バースデイ・プレゼント





「心配しないで大丈夫だよ、もう小さな子供じゃないんだから」
そう言って電話を切ったのは、二日前のこと。
いつもと変わりなく指導碁の仕事を終えて、誰も居ない家に向かっている途中だ。
時計を見ると、すでに7時を回っている。辺りはすっかり夜の帳に覆われていた。
日中はまだ暖かいが、さすがに日が暮れると気温がぐっと下がるのを実感する。
はあっと息を吐くと、白く煙るのが街灯の明かりに透けて見えた。

今日は12月14日、アキラの誕生日だ。

申し訳なさそうに、受話器の向こうで何度も謝る明子の声がアキラの耳には残っていた。
-全く、お母さんは心配性だな-
口元に薄く苦笑が浮かぶ。
行洋の都合で予定が長引きそうだとの連絡だった。
こんなこと、いつものことだ。
今や行洋は、一年の内の半分以上は中国や韓国で過ごす。だから、滞在が急に伸びたからといって、別段驚くことではない。
ただ一つ、いつもと違ったのは、アキラの誕生日に帰って来れないという点だった。

明子は、どうやら今まで頑なにアキラの誕生日には戻って来れるようにしていたようだ。
考えてみると、去年も一昨年も家族揃って誕生日を祝ってもらった。もしかすると、明子はいつも、一人で家に残っている息子に対して申し訳ない気持ちを抱えているのかも知れない。せめて誕生日ぐらいは一緒に、と思っているのだろう。

けれど、今年はそういう訳には行かなかったようだ。
なにせ、塔矢行洋は忙しい。
世界トップクラスの棋士だから、という理由からだけではなく、もともとアクティブな性格なのだろう。
あちらにこちらにと、まるで好奇心の塊のように動き回る。
行洋の体調を心配する明子は、当然ついて回ることになる。とは言っても、本人も十分楽しんでいることは、週に二、三回かかってくる電話の声を聞けば一目瞭然だった。
-お父さんとお母さんって、一見全然違うタイプに見えるけど…結構似たもの夫婦だったんだな-
生まれてから十数年という歳月を経て、ようやく両親の性格を知ったような気がしていた。
なんだか微笑ましいような、羨ましいような…
知らないうちに溜息が零れていた。

自分には現れるのだろうか。互いを必要とし、支えあえる相手が…

家に向かう足が、急に重くなったような気がした。
誰も居ない、ただ冷たく広い家。
寂しいとか、孤独だとか、そんなこと今まで一度でも考えたことは無い。
囲碁さえあれば、それで良かった。だってアキラには、それがすべてだったから。
他には何も必要では無かった。
はずだった…

ふと、アキラの脳裏に昨日の出来事が思い出される。



「ごめんな、アキラ。まさか先生たちが帰って来れなくなるとは思ってなかったもんだからさ…」
そう言って、唐突に芦原は謝った。
アキラが市河に呼ばれて碁会所に寄ってみると、芦原が来ていたのだ。
何のことだか分からず、目をぱちくりさせていると、地方のイベントで泊りがけの仕事が入っているから、明日は一緒に祝ってやれないのだと言う。
「どうしたの? なんで芦原さんがそんなこと…?」
「いや、昨日明子さんに電話もらったんだけど、おれも仕事でさ。ほんとゴメン!」
目の前で両手を合わせる芦原を見ながら、アキラは思わず溜息が出そうになった。

-お母さんは、一体ボクが幾つになると思ってるんだろう? っていうか、芦原さんもボクの歳を分かってるのかな? もう、小さな子供じゃないんだけど…-

誕生日だからと言って、特別何をして欲しいわけでもないし、どうしても誰かに一緒に祝って欲しいような歳でもない。
アキラにとっては、年齢のカウントが一つ増えるだけの、別にいつもと変わらない一日に過ぎなかった。
けれど、こんな自分の考えを口にしようものなら、『これだからAB型は…』などと言われたりするため、決して口にはしないけれど…
「安心して、芦原さん。明日はわたしがアキラくんの誕生日のお祝いをするからv」
「い、市河さん!」
突然、後ろからアキラの腕に抱きついてきた市河は、頭一つ分くらい自分より背の高くなったアキラを上目遣いに見上げると、それでいいわよね? アキラくん? と聞いてくる。
「そうか、そうだな! そうしてもらえよ! アキラ!」
「え、いや、あの、ぼくは…」
アキラが返事に困っていると、後ろから意外な助け舟がきた。
「おいおい、芦原。アキラくんが困ってるじゃないか」

-この声は…-

「「緒方さん」」
アキラが振り返るのと、芦原が声を発したのは、ほぼ同時だった。
「どうしたんですか? 緒方さんまで…」
アキラが訊ねると、銜えタバコの白スーツはにやりと口の端を歪め、優雅な動きで銜えていたタバコを左手の指の間に挟むと、薄い唇からふーっと白い煙を吐き出した。
「明日はオレも用があるんでな、一日早いがアキラくんへのプレゼントを持ってきた」
そう言うと、胸ポケットから小さな箱を取り出してアキラに差し出す。
「一日早いが、誕生日おめでとう、アキラくん」
何だかんだ言っても、この兄弟子も弟弟子が気に掛かっているらしい。
毎年、アキラのために色々と考えてくれた品をプレゼントしてくれる。
「ありがとうございます、緒方さん。…あの、今開けてもいいですか?」
「ああ」
アキラは破かないように丁寧に包みを開けると、中の箱を開いた。
「これは…」
「アキラくんにはまだちょっと早いかも知れんが、もう持っていてもいい歳だろう」
中から出てきたのは、2000年限定モデルのシリアルナンバー入りのジッポのライターだった。
手に持つと、丁度良いサイズと重さがしっくりと手のひらに馴染む。
「緒方さん、アキラまでタバコ好きにさせようって魂胆ですか? 駄目ですよ~」
芦原が、すかさず緒方に突っ込んでいる。
碁界広しと言えども、十段・碁聖の称号を持つ緒方相手にこんな口をたたけるのは、たぶん、芦原以外にいないだろう。
芦原のことを、人は怖いもの知らず、と呼ぶ。
「ふん、おまえは何をプレゼントしたって言うんだ?」
たいして気にした風も無く、緒方はタバコの灰を、手近にある灰皿に落としながらそう言った。
「あっ、おれはですね~」
思い出したように芦原もまた胸ポケットに手を入れると、小さな箱を取り出した。
「はい、誕生日おめでとう、アキラ」
「ありがとう、芦原さん」
アキラが手に取ると、芦原は身を乗り出してきた。
「早く開けてみて」
「え、う、うん」
箱の中身はブランド物のキーホルダーだった。本皮でできたそれは、メタリックな物とは異なる滑らかな感触が心地よい。
「アキラも18になるだろ? そろそろ車の免許とか取るんじゃないかな~とか思ってさ」
車の鍵にでもつけてよ。そう言って、笑った。
「うん、ありがとう。本当に、緒方さんも芦原さんもありがとうございます。大事に使わせてもらいますね」
「わたしは明日渡すわね~v アキラくん」
市河が嬉しそうに横から顔を出した。
「あっ、市河さん」
市河からは、見るからに明日は張り切っちゃうぞ~v 的なオーラが滲み出ている。
はっきり言って、断るに断れない雰囲気だ。
どうしようか考えていると、不意に緒方が、
「市河さん、アキラくんにだって予定くらいあるんじゃないか? なあ、アキラくん」
「えっ」
思わず緒方の方を見やると、
「一緒に誕生日を祝ってくれる人ぐらい、いるんじゃないのか?」
タバコを燻らせながら、人を食ったような笑みを口元に浮かべる。
「「ええ~~~!!!」」
同時に声を上げたのは市河と芦原だ。
「ア、 アキラくん!そんな人がいるの!!」
「そっか~、アキラもそんなお年頃なんだ~」
二人のニュアンスは随分と違うものだったが、もうアキラは、自分たちが心配するような子供ではないのだと理解したようだった。
「…仕方ないわね…、じゃあアキラくん、明日こっちに、できたら帰りにでも寄って欲しいの。碁会所のお客さんも、アキラくんにプレゼント渡したいって言ってるから…」
少し…いや、かなり元気を失くした市河は、それだけ言うと、ガックリと肩を落とした様子で受付に戻って行った。

-ごめんね、市河さん-

市河の折角の好意に対して、申し訳ないとは思うのだが、正直ほっとしている気持ちの方が大きかった。市河が祝ってくれるとなると、大抵碁会所で、大人数で、大騒ぎというようなことになりかねない。アキラとしては、さすがにそれは勘弁して欲しいのだ。
しかし、緒方はどういうつもりであんなことを言い出したのか…
ちらりと緒方の顔を見てみたが、何やら意味ありげな笑みを浮かべているばかりで、眼鏡の奥の瞳は何を考えているのか、さっぱり分からない。
「じゃあ、用も済んだことだしな、帰るとするか」
再びタバコを銜えると、緒方はそのまま背中を向けた。
「緒方さん」
アキラが声を掛けると、緒方は立ち止まって少し振り向いた。
「ありがとうございました」
その言葉をどう受け取ったのか、緒方は薄く笑みを浮かべると、軽く片手を上げて、そのまま歩み去っていった。


それが昨日のこと。
緒方が帰った後、少ししてアキラも碁会所を後にしたのだったが…
こうして冷静に自分の周りのことを考えてみると、いかに自分が(両親以外の人間に)構われて育ってきたのかが分かろうというものだ。
アキラ自身、自分ではかなり自立しているつもりだったけれど、これだけ周りに気に掛けられていたのでは、その点にも疑問を抱かざるをえないだろう。

-もしかしてボクは、孤独だとか寂しいだとか言うにはおこがましいような立場にいるのでは?-

大げさに祝われるのはイヤ、かといって一人もイヤ、ではただの駄々っ子ではないか。
自分自身に対して、溜息が出そうな気分になった。
「まだまだ、ボクも子供だな」
自嘲気味にそう呟くと、少しばかり先にある灯りの点いていない筈の自宅前に眼を向けた。
ここから自宅までは直線の道が続いているので、見通しはすこぶる宜しい。
もしかして、また予定が変わって、誰かが家にいるかも知れない。そんな期待がまだ心の何処かにあったのかも知れない。
視線の先にある自宅前は、当然のように灯りなど点いている訳も無く、ただ暗闇が広がっているばかり、だと思った瞬間、誰かが立っているのが見えた気がした。
よく眼を凝らしてみると、確かにそこに誰かが立っているようだ。

-えっ、誰だろう?-
一瞬、緊張が走る。

職業柄、表に顔が出ることも多いアキラは、棋士という日本では存外地味な職業にも関わらず、その若さと整った容姿ゆえ、熱心な女性ファンが多数いる。中には家まで押しかけてくるようなファンも少なからず存在していることを考えると、足が止まった。
性質の悪いファンというのは、何処にでも居るものだ。以前、婚姻届を握り締めて、家まで押しかけてきたファンの女性には大変な思いをしたことがある。その時にはまだ、結婚できる年齢に達していなかったため、相手に勝手なことをされずに済んだが、アキラは今日で18歳になるのだ。
不安が胸の中で大きく鼓動を打つ。
-どうしようか…-
そう考えたとき、相手の影がこちらを向いたのが分かった。
-しまった!見つかった!-
今まさに、踵を返して逃げようとしたアキラを呼び止めたのは、当の人影の声だった。

「遅え! 何ちんたら帰って来てんだよ!!」
「えっ? まさか…進藤?」
立ち止まったままのアキラにイラついた声が飛んでくる。
「寒いんだから、早く家に入れろって!」
「何を偉そうに言ってるんだ! 大きな声で! 近所迷惑だろう!」
ちょっとむっとしながら、その反面、ほっとしながら足早に駆け寄ると、そう反論してみる。
そして、何故、こんなところにヒカルがいるのかと、心の中で首を傾げる。
確か、今日は会う約束など無かった筈だ。…たぶん。
門を開け、家まで続く飛び石の上を歩きながらアキラは考えていた。
-まさか、前に約束でもしたのだろうか?-
ちらりとヒカルの顔を見てみるが、暗くてよく見えない。
今夜の上弦の月はすでに沈んで、空には冬の星座が綺麗に瞬いているばかりだ。
アキラは首を捻りながらも、ヒカルを家へと招き入れた。

「あ~、寒かった~! おまえ、 なかなか帰って来ね~んだもんよ~!」
居間に入ってストーブを点けると、ヒカルは上着を着たままその前に蹲った。どのくらい、アキラのことを待っていたのだろう。随分と身体は冷えていたようだ。けれど、その様子はまるで猫のようで可笑しい。
「まるで猫だな」
アキラが言うと、ヒカルはぷっと頬を膨らませる。その様子は、今度は餌を頬袋に溜め込んでいるリスかハムスターといった風情だ。猫から、さらに小動物になってしまった感がある。
「うるせー! 誰のせいだよ!!」

-そんな顔で怒鳴っても、ちっとも怖くないぞ、進藤-
アキラは笑いそうになるのを堪えるのに、苦労しなくてはならなかった。

「で、何の用なんだ? 今日は会う約束なんて無かったと思うが」
アキラとヒカルは第一回目の北斗杯後も、二人でよく打っている。北斗杯で顔が売れてしまったのか、あれ以後、二人ともかなりハードなスケジュールを抱えているのだが、それでも僅かな時間を見つけては打った。
強い相手なら碁界にいくらでも存在するが、ヒカルほどの胸躍る対局相手はそうは見つからないだろうとアキラは思う。
たぶん、ヒカルも同じ思いを持っているからこそ、どんなに忙しくても、少しでも時間を見つけてはアキラと打つのだろう。
互いに互いを高めあえる存在、そう深く認識している。
が、それは囲碁の上でのこと、別にプライベートでも仲が良いという訳でもないし、そんな関係を求めている訳でもない。
やはり、誕生日という日にヒカルと会う約束などするはずも無いだろうと思ったのだが、
「おまえ、飯、食った?」
「はあ?」
「だ・か・ら、飯はまだなのか、って聞いてんだよ!」
アキラは軽く頭痛がした。こちらが質問しているというのに、よもや質問で返してくるとは!
ヒカルらしいといえば、すこぶるヒカルらしいのだが…
「はあ…」
今度のは諦めの溜息だった。
「…いや、まだだよ。で、それが?」
その一言で、ヒカルの顔が急に輝いた。様な気がした。
「実はそうじゃないかと思ってさ、オレ、買ってきたんだ~♪」
へっへ~ん!!
得意げにヒカルが手に提げた袋から出してきたものは、やたらにこやかな、サンタかと思しきメガネをかけたおじさんがプリントされた、一目でクリスマス仕様と分かる派手な丸い箱だ。
「………これは、なんだ…?」
「何って? え~!? マジ? おまえ、マジ知らね~んだ? うわ~! 今どき天然記念物並だな!! オレ、ちょっと感動~!!!」
「…そりゃ、どーも(怒)」
最近、この程度のことでは流石にアキラも怒鳴らなくなっていた。
ヒカルの物言いにいちいち怒鳴っていたのでは、今に高血圧で倒れかねない。
「コホン! よく見たまえ!! これがかの有名なカーネル・サンダースおじさんだ!!!」
わざとらしく咳払いを一つすると、妙に恭しげにヒカルは箱のサンタもどきを指差した。
-一体、何しに来たんだ! こいつは!-
アキラがこめかみに血管を浮き上がらせていると、
「ま、いいや。食おうぜ。オレ、腹減ってんだもん。もう、限界だし…」
ヒカルは急にテンションを下げて、そのアイスのデカイ版のようなものの蓋をおもむろに開けた。
中からはサラダやら何やらの他に、メインディッシュらしき骨付きから揚げ(アキラ談)が多数出てきた。
「お、そうだ。おまえ、食い物買ってきてやったんだから、飲み物ぐらいは用意しろよ」
勝手知ったるとばかりにテーブルにそれらを広げると、なんだか見たからにカロリーの塊のような代物を素手で掴んで、躊躇無く齧り付く。
-え~っと、進藤、まだ手を洗ってなかったんじゃ…って、もう遅いか-
何が何やら分からないまま、アキラはあたふたと皿を出したりお茶を入れたりさせられるはめになっていた。
もちろん、お手拭きも忘れない。
-…こういうところが神経質だって言われるんだよなあ…って、なんで進藤のために、ボクがこんなことをしているんだ?-
アキラが頭に疑問符を浮かべながら席に着くころには、ヒカルは三つ目の骨付きから揚げ(アキラ談)に手を伸ばしていた。
「おまえも食えよ。うまいぜ」
「えっ!?」
「なんだよ、食ってみろって。たまにはこういうのもいいじゃん!」
-…う~ん。せっかく進藤が買ってきてくれたものだし、流石に腹も減っているしな…-
実はアキラは、ジャンクフードの類など今まで一度も食べたことが無かった。棋士の健康管理はまず食事から、とばかりに、明子たちがいない間も律儀に自炊して生活しているのだ。そのおかげで、今ではアキラの料理の腕はかなりのものになっていた。
けれど、今日はヒカルがせっかくアキラのために(かどうかは謎だが)買って来てくれたのだ。
戸惑いながらも、持ちやすそうなものを選んで紙を巻いて、恐る恐る一口噛り付く。
「あ、結構美味しい」
「だろ?」
アキラの顔を覗き込みながら、嬉しそうにヒカルは満面に笑みを浮かべた。
何となく、アキラもつられて笑顔になってしまう。
たまには、こんな風に気軽な食事も楽しいかもと、アキラは思った。
緒方や芦原と食事をすると、いつもレストランや料亭で、とても同年代の友人たちと気軽に集える、というような雰囲気とは程遠かった。ましてや、アキラにはそんな同年の友人など、今まで一人もいなかったのだ。いつも周りにいたのは大人で、それに何の不満も感じずに生活してきた。
そんな自分に、いつも、いとも容易く知らなかった世界を指し示してくれる存在がヒカルだったなと、アキラは今更ながらに思う。

珍しく他愛の無い話をしながら、二人で全部平らげてしまうころ。ヒカルが突然、声を上げた。
「ああ! 忘れるところだった!!」
「なんだ?」
「わりぃ! ちょっくら、中庭貸してくれ!」
「別にかまわないが…何をするんだ?」
「へへ、内緒だよv」
言いながら、ヒカルはバックパックを担ぐと、部屋から出て行ってしまった。
-一体、何なんだ?今日の進藤は…?-
アキラはヒカルの一連の突拍子も無い行動に、さらなる疑問符を浮かべながらも、
純粋に嬉しいと感じている自分がいることに気がついていた。
ヒカルのおかげで、帰りに感じていた孤独感など、何処かへ行ってしまった。
「…まさか、ぼくの誕生日を祝ってくれているのかな?」
そのような気もするし、そうじゃない気もする。もしかすると、単なる彼の気まぐれなのかも知れない。
-第一、彼に誕生日など教えた覚えはないし…-
クスリと、口元に笑みが零れる。
そんなこと、どうだっていいことだ。
なんだか急に、ヒカルという存在は、自分の中に開いた新しい扉のような気がした。
知らなかった世界へと開かれている、未知への扉。
そっとアキラは、自分の胸に手を当ててみる。
今まで気が付きもしなかったけれど、本当は彼のおかげで、ライバルとしての彼だけではなく、もっと多くのものを得ていた、と思う。
「…キミに出会えて、よかった…」
心から、そう思えた。と同時に、
-進藤は、ボクと出会えてよかったと、思っているんだろうか?-
ふと、不安になる。
自分がヒカルに必要とされているのは、囲碁の相手としてだけではないのだろうか…
それだけで十分だったはずなのに、なぜだか今はそれだけでは不安になる。
アキラ自身、どうしてこんな気持ちになるのか、不思議だったけれど…
「…今日のボクはどうかしているな…」
18歳になって、一歩大人に近づいたはずなのに、逆に寂しがり屋になってしまったような気分だった。それとも、囲碁という狭い世界の中だけで今までは満足していたけれど、もっと外にも眼を向けろと、自分の中の何かが動き始めたのだろうか。
進藤ヒカルという扉に、触発されて…

「おおい、できたぞ~!こっち来いよ!塔矢!」
外からヒカルの声が聞こえた。声に呼ばれて、和室から中庭に続く障子を開けてみる。
ガラス戸の向こうでさかんにヒカルが手を振っていた。何かをしているようだが、暗くてよく見えない。
「一体、何をしているんだ?」
ガラス戸も開けて濡れ縁に出てみると、急激な温度変化に思わず身体を竦めた。上着でも着てくればよかったと思ったとき、ヒカルの声が飛んできた。
「上着くらい着て来いよ! バカ!」
「うるさいな! きみに言われたくないね!」
変な意地だと自分でも思うが、上着は絶対に着ないことに決定していた。
どうしてヒカルの前だと、こうも素直になれないのか…
「寒くないのかよ」
「うるさい!」
「じゃあ、仕方ねえから始めるぞ?」
何を始める気なのかと腕組しながらじっと見ていると、ヒカルがぱたぱたとポケットの辺りを探っているのに気がついた。
「あれ?」
そう言うと、またぱたぱたとする。
そしてまた、
「あれ?」
そしてまた、ぱたぱたと…

初めは大人しく見ていたアキラだったが、えんえんとそれが続きそうな雰囲気に、流石にイライラしてきた。
なにせ寒いのだ(自分のせいで)! それをやせ我慢しているのだ(やっぱり自分のせいで)!
で、ついに切れてしまった。
「一体キミは何をしたいんだ!ボクに風邪でもひかせたいのか!」
「マッチが無えんだよ!!」
間髪いれずに、ヒカルが怒鳴り返してきた。
「マッチ?」
「そうだよ! …おっかしいなあ、確かに入れたと思ったのに…」
言い方こそぶっきらぼうだが、ヒカルの顔は明らかにバツが悪そうだ。
「火が欲しいのか?」
ヒカルの様子に溜飲を下げたアキラは、今度は喧嘩腰ではなく、聞いてみた。
するとヒカルも素直にこっくりと頷く。
「ライターでも構わないか?」
「今、持ってるのか?」
アキラがポケットからジッポのライターを取り出すと、ヒカルは驚いた顔をしてそれを受け取った。
「うおっ! これ2000年の限定モデルじゃん! かっこいい~! おまえ、こんなの持ってたのかよ!!!」
「いや…誕生日のプレゼントに…緒方さんから貰ったんだ」
「ええ~~~!!! 緒方さん! おまえにこんなのくれんのか!!!」
羨ましそうに、いいないいなと連発するヒカルにアキラはちょっと優越感を覚える。
「オレのときなんか、何でか真っ赤なバラの花束を送って来たぞ!」
今度はアキラが仰け反るほど驚く番だった。
-何を考えているんだ!! あのスケベおやじは!!!-
「しかもさ、ちゃんと歳の数だけあるんだよ!」
一体何なんだろなー、などとヒカルは暢気なことを言っている。
「…進藤…今度からそんなの受け取らない方が身の為だぞ…」
なんだそりゃーと笑いながら、ヒカルは地面にしゃがみこみ、かちっかちっと手のひらの中で音を立てていた。
瞬時にオレンジ色の暖かな光がぽっと灯り、ヒカルが風を避けるように手のひらでそれを包み込むと、その光はさらに大きくなった気がした。
「見てろよ」
ヒカルがその言葉と共にライターの炎を地面に近づけると、ばちばちと何かが燃えるような音がした。何かの導火線に火が着いたらしい。
それが黒い塊に吸い込まれたように見えた途端、大きな火花がまるで噴水のように吹き上がった。
流石に驚いた。
思ってもみなかったから…

花火だ。

色とりどりの火花が宙に舞う。
冷たく、色の少ない冬の庭に、鮮やかな夏の彩が花開いていた。
「へへ~、まだあるんだぜ」
声も無く見つめるアキラに、ヒカルはいたく満足そうな笑みを浮かべながら言う。
吹き上げ式の花火が終わりかける頃、また次の導火線に火が着き、その小さな炎はするすると上に登ったかと思うと、
今度はシャワーのような火花が降り注ぎ始めた。
じゅんじゅんに降り注ぐ金色の光のシャワーは広さを増し、やがて光のカーテンのようになった。
が、一瞬だけ。すぐにばらばらと個々の花火は燃え尽きてしまった。
「う~ん、ナイヤガラの筈なんだけど、これ、外したかな~」
-そうか、これはナイヤガラなのか…確かにナイヤガラにしては、寂しい、かな? でも、こんなのも家庭用の花火にあるんだ。ふうん、面白いな-
アキラがなんだかあさっての方向で感心しているのも知らずに、ヒカルは残念そうに首を捻っている。
「でも!メインディッシュはこれからだからな!」
手をグーにして、今度のは凄いぞとばかりにヒカルはいきり立つ。次のは自信があるようだ。アキラは口元に薄く笑みを浮かべると、次の花火が上がるのを待った。

ドン!

突然、大きな音がしたと思うと、続いてひゅるるるる…パン!っと頭上で綺麗な花が開いた。それは小さいながらも二段式になっていて、一段目の火花が消える前に二段目の火花が開いて、キラキラとした余韻を長く引きながら闇に溶けていった。

ドン!ひゅるるるる、パン! パ! きらきらきら…
ドン!ひゅるるるる、パン! パ! きらきらきら…

いくつかの花火が、まるで夢のように、冷たい冬の夜空に散ってゆく。


ああ…、綺麗だね。
ありがとう、進藤。
素敵な、誕生日のプレゼントだ…


「きみは、今日ボクが誕生日だって知ってたのか?」
暖かい部屋に戻って、いつものように一局打っている最中に、アキラは聞いてみた。
ヒカルの顔がしまった、というような表情を作る。
「う…ん、というか…、今日知ったっていうか、緒方さんが教えてくれたっていうか…」
アキラが、またあのおやじか! という顔を一瞬だけ見せる。
親切心でやっているのか、はたまた何かを企んでいるのか、眼鏡の向こうの本心はいつも見えない。今回の緒方のプレゼントも、まるで計ったかのように役に立ったのは、偶然なのか、それとも必然なのか、アキラには考えあぐねるところだ。けれど、今回ばかりは、まあどっちでもいいか…という気分だろうか。
「んで、誕生日なのに塔矢一人だって言うしさ…」
「で? 急だったものだから、取りあえず夏に遊び残した花火でも上げて、ぱあっと祝ってやろうかって?」
「うわ~! さすがだな、塔矢! 俺の考え、そのまんま読んじゃってるよ!」
アキラは再び頭痛に見舞われた。
-きみって奴は!簡単に白状しすぎだ! ちょっとはシラを切ってみるとかしたらどうなんだ!!-
「まあ、いいじゃん。結構楽しかったろ?」
にやりと口元を歪めて、ヒカルはアキラを見た。
「確かにね」
アキラは軽く肩を竦めた。
そう、楽しかった。友人に祝ってもらう誕生日というのは、こんな感じなのだろうか。
実は少しばかり、緒方に感謝していたりもする。
「また、いつかやろうぜ。冬に花火」
ヒカルが嬉しそうに身を乗り出して言う。
「きみも物好きだな」
一見、呆れた風を装って、アキラは答えた。
「いいじゃん、すごく綺麗だっただろ?」
「…ああ、綺麗だった」
「じゃあさ、次はおまえの還暦の誕生日に、なんてどうよ?」
いつも突然、突拍子も無いことを言い出すのは、ヒカルの癖なのだろうか?
「なんでそんなに年取ってからなんだ?」
アキラは素直に疑問をぶつけてみる。
「ん~、なんとなく。孫とかも居たりしてさ、賑やかにできそうじゃん?」
いたって単純な答えが返ってくる。
「う~ん、…楽しそう…かなあ?」
一人っ子で、大人にばかり囲まれて育ってきたアキラには、ちょっと想像がつき難い。
「そうそう、花火にはしゃぐ孫を見ながら一局、とかさ」
すっかりヒカルは、妄想モードに突入しているようだ。
アキラも考えてみる。

歳を取って、白髪交じりになった自分たちが、娘や息子や小さな孫たちに囲まれながら、和やかに碁盤を挟んで冬の花火を見上げている。
その頃には家庭用の花火も、今よりももっと凝ったものになっているかも知れない。
けれど、やっぱり自分たちは今と変わりなく、喧嘩したり言い合ったりしていそうだ。
すると家族の者が、慌てて止めに入ったりして…

「う~ん、楽しそうかも…」
考えていると、色々と想像は膨らむ。
それは、とても、楽しそうな未来だ。
「決まり! 次はおまえの還暦な!」
「また勝手なことを…」

いつもヒカルは突拍子も無いことばかり言う。
アキラは、いつもそれに振り回される。
けれど、アキラの胸の中は温かだった。
ヒカルは何も言わないし、気付いてもいないかも知れない。
けれど、ヒカルの考える未来には、当たり前のように、ずっとアキラが存在しているのだ。
アキラの想像する未来と同じように…

そうか、囲碁という絆がある限り、ボクたちに孤独なんて、ありえないんだ。

「何、にやにやしてんだよ! 気持ちワリィな!」
「別に、この勝負、もらったなと思ってさ」
「言ったな! このやろう! ゼッテー勝ってやる!」
「できるものならね」
「おまえってば、いつも何気にムカつく!」
「そりゃあどうも…」


こうして、時を積み重ねてゆこう。
未来はとても不確かなものだけれど、キミは何よりも強く未来を信じさせてくれる。
一人ではないと、確信させてくれる。

キミは気付いているだろうか?
キミという存在自体が、ボクにとっての最高のバースデイ・プレゼントなのだということを…




12月25日     改訂版   了
____________________

遅くなりましたが、ようやく改訂版アップです。
なんとなく、だらだら長くなっただけ、と言う感もありますが、第一稿と比べると面白いかもです。
話の内容自体が少しばかり変わっちゃったかな?
ラストのオチは、結局は緒方さんからの…、と言う感じでしょうか?
塔矢くんには、もっと同い年の友人と関わる時間が必要だろうとか、いろいろと勝手に考えているんじゃないかな、あのおやじは、などと考えていたら、こんな風になったしだいです。
いつまでも、ヒカルと仲良く喧嘩していて欲しいな。
遅くなったけど、塔矢くん、誕生日おめでとう!な、気持ちを込めて…

-竹流-
14/12/18再UP



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