『春宵一刻』



 春の風が、やわらかく、濃い褐色の髪をもてあそぶ。
   とろりと気だるい春の夜には、星々とて姿を現したくないのだろう。
   細い月だけが、ただ、おぼろにゆらぐ光をさしかける。
「はじめ」
   そっと呼びかけた。
   開かれている窓からは、馥郁と桃の香が漂っている。
 邪気をはらう神聖な花が、そっと、差し出しかけた枝を、震わせた。
 聖別された花でさえ、はじめを恋い慕う。
 ならば、私が、はじめを我が物にしようと強く心に決めたとて、なんらおかしくはないだろう。
 愛しい――――
 凍てつく心が、氷の割れゆく音めいた音をたてて、軋む。
 顔を覗き込めば、あどけない寝顔があった。
「少し、酷くしてしまいましたか」
 泣き腫らしたように目の周囲が、赤い。
 私を鎖す桃の花に苛立って、つい、度を越してしまっていた。
 こころは、こんなにも、愛しいと叫んでいるというのに。
 ひとに恐れられる、魔である身は、愛するものにやさしく接することすらできないのだというかのように。
 これは、呪いなのだろうか。
 空を仰ぐ。
 嘲笑じみた細い月が、私を、静かに、見下ろしている。
 あまたの人間をこの手にかけてきた私には、ひとを愛する資格などないと。
 そうして、その愛を受け入れた人間は、永劫苦しむのだと。
 まるで、そう言いたげに。
 けれど、
「これから先、どれだけ君を泣かすことになったとしても、私は、君を手放せません」
 こんな私を、君は、許してくれますか。
 そっと、まろい頬にくちづけて、私は、目を閉じた。
「オレは、大丈夫だから」
 ささやき返されて、私は、目を開いた。
 力強い褐色の双眸が、私を見上げていた。
「あんたのここは、オレのもんだ」
 そうだろう?
 私の心臓を指差して、はじめはニッと、ふてぶてしい笑みをたたえた。
 そうです――――
 口にする代わりに、私は、はじめのやわらかなくちびるに、触れた。
 たちまち点る、官能の焔に、私は、はじめをきつく抱きしめたのだ。

 細い月と、桃の花だけが、そんな私たちを、ただ静かにながめていた。

                            おしまい
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この素敵なお話は、『魔女のアトリエ』の魚里奈美さまが、
うちのサイトの二周年を祝って、送ってくださったものなのです!
思いもよらない突然のプレゼントに、狂喜乱舞の竹流なのでありましたvv
ああ、ありがとうございます!!!魚里さまvvv
もう、もう、大事にいたします!!!!!
サイト頑張ってて、よかったな、わたし(涙)…

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06/02/13UP
再UP14/08/25