Sweet fingers



 生欠伸を噛み殺して、一は歩きながら背中を伸ばした。バイトの帰り道、疲れた体では足取りも重い。ずるずると引きずるような歩調で、
「どーせ今日も……だよなぁ」
 ぽつりと呟いた後に、淋しさが漂う。今日も鳴らなかった着信、メールすら届かない。
「ったくよー、連絡くらい寄越せっての……!」
 つい携帯電話に向かって愚痴を零してしまう。留守がちな同居人の顔を思い出して、
「あーもう、やめやめ! 考えたってしょうがねぇじゃん」
 後ろで一つに束ねた髪をわしゃわしゃと掻き回した。はぁと深い溜息をついてから、気を取り直して家路につくが、足取りはやはり重い。それは、疲れているせいというだけでも無かった。





「ただいまーっと」
 マンションに辿り着いた一は、玄関のドアを開けて、誰もいない暗い部屋に帰宅を告げる。よっこいせと、フローリングに腰を下ろして、靴を脱いでいると、
「……お帰り」
 背後から回された腕と、耳にかかる息に驚いて、
「ひゃっ……ほいっ!」
 一は、声と同時に飛び上がって奇声を発していた。囁かれた耳元を手で押さえながら、手探りで部屋の電気スイッチを探し当てる。ぱっと明かりの点いた部屋の中、一のすぐ傍で、フローリングに蹲って体を震わせている男がいた。
「……ひゃ、ひゃっほ……ひゃっほいって……!」
 口元を手で押さえていても、抑えきれない笑いがくっくと声になって漏れる。それが更に一の癇に障った。全身を小刻みに震わせる背中を見て、
「てめ、いつまでも笑ってんじゃねぇ、アホ高遠ー!」
 とうとうキレた一が、顔を真っ赤にして、高遠の背中に自分のショルダーバッグをお見舞いした。



「いい加減、許してくれませんか?」
 完全に機嫌を損ねてしまった一を、高遠が神妙な顔で宥めていると、
「……あんたが、そのやらしい笑い引っ込めるのが先だろ?」
 口が笑ってんだよと、ソファの上で胡坐を組んだ一がふいと顔を背けた。頬をぷっと膨らませてむくれる一も可愛らしいと高遠は思うのだが、少々やり過ぎたかと僅かに反省してみる。予定よりも早く帰って来れたから、驚かせようと、連絡もせず部屋に身を潜めていた。ちょっとした悪戯心だったのに、まさかあんな反応が返って来るとは思いもしなかった。気を抜くとまた笑い出してしまいそうなのを我慢して、
「すみません。もう笑いませんから許して下さい」
 ソファの前に跪いた高遠が、ふわりと笑って一を見上げる。その笑顔に一がぐっと詰まる。高遠の笑顔に弱い一は、ついそこで許してしまいそうになる。だが、ここで負けてはいられないと、今日は前々から思っていた事を言う事にした。
「大体な、何であんたはいっつも人を驚かすような事ばっかすんだよ! もっと普通に帰って来い、普通に!」
「ああ、そんな事? だって、仕方無いでしょう」
「何が仕方無いだ」
「僕はマジシャンですから」
 人を驚かせるのが仕事ですと、にこりと笑ってしれっと答える高遠に、一は脱力感を覚えた。
「……ぬぁーにぃーがーマジシャンだ。そういう事は仕事だけにしとけって言ってんだよ、俺はっ!」
「嫌です」
「何でだよ!」
 きっぱりと拒否られて、噛みつきそうな勢いで一が身を乗り出すと、
「だって勿体無いじゃないですか」
「……は?」
 今までの会話に「勿体無い」なんて台詞が出てくる流れがあっただろうかと、一が内心首を傾げていると、頬に高遠の手が触れて、
「僕はね、君のころころ変わる表情を見るのが好きなんです。勿論普段のままでも充分魅力的ですけどね」
 その為の労力なら惜しみませんと言う高遠に、一は再び脱力するしか無かった。
「それじゃ何か? 俺はあんたを喜ばせる為に、何度も寿命が縮む思いをしなきゃならんのか?」
 がくりと項垂れる一に、
「いいじゃないですか、可愛いんだから」  語尾にハートマークを飛ばしていそうな高遠が答える。
「あのなぁ……男が『可愛い』なんて言われて喜ぶかって……何だ!?」
 ふと顔を上げた一が、至近距離にある高遠の顔に驚いて飛び退いた。思わずガードした一の両腕の手首を掴んで、
「それはこちらの台詞です。何ですか、これは……?」
 高遠は僅かにむっとした顔で尋ねた。
「だって何でそんなに顔近いんだよ! ビビるだろ、普通」
「何でって、そんなの決まってるでしょう?」
「何がっ?」
「お帰りなさいのキスがまだです」
「……はいっ!?」
 にっこりと告げる高遠の言葉に、一の顔がぱっと赤く染まる。笑みを浮かべた高遠が、一の手首を強引に引き寄せて、そして、唇を重ねた。
「……ふ、ん……ぅんっ」
 一の切ない息遣いを聞きながら、高遠はその唇を割って口腔内を存分に堪能する。やがて、一を解放してから、
「お帰りなさい、金田一君」
 一だけにしか見せない優しい笑みで、高遠が告げた。一は、恥かしさを隠すように高遠の胸に顔を埋めて、
「……ずるい」
 ぽつりと呟いた。
「はい?」
 聞き返す高遠に、
「何であんたはいっつも俺が言いたかった台詞を先に言っちまうんだよ」
 少し拗ねたような言葉に、高遠は愛しさを感じずにはいられない。きっと顔を真っ赤にして、少しむくれているに違いない一の顔を思い浮かべながら、
「すみません」
 高遠が答えた。すぐ近くでくすりと笑う高遠の声と、その振動を頬に感じながら、
「お帰り…………高遠」
 一は高遠の背中をぎゅっと抱き締めた。





「くぅー、このクリーム最高!」
 食事を瞬く間に平らげた一は、既にデザートに取り掛かっていた。今日のデザートは苺のショートケーキ。しつこくもなく甘過ぎるでもない、絶妙のクリームを味わいながら、一はスプーンを咥えたまま幸せに浸っていた。
 先程の甘い雰囲気の流れからすれば、さぁ、このまま恋人達の時間…………と思いきや、空腹を告げる一の腹の虫が全てをぶち壊した。気分一転、さぁ飯だメシ! と食卓に向かう一の後ろ姿を、若干恨めしそうに見つめる高遠の視線に、既に食事の事しか頭に無い一が気付く筈も無い。
 ……高遠の苦労が伺い知れる瞬間であった。
 それでも、食卓に並ぶ皿の上の料理が消えていくのは作り甲斐があったし、美味しそうに高遠の手料理を平らげる一を見るのは、高遠にとっても楽しい一時だった。
「やっぱ高遠の作る飯は美味いよなぁ」
 しみじみと告げた。
「そう言って頂けると作り甲斐もありますね」
 にこにことテーブルに頬杖をついて、高遠は楽しそうに顔を綻ばせる。
「いや、マジで。高遠の飯食ったらコンビニ弁当なんて食いたくねぇよ、ホントは」
 ぶぅと膨れる一に、
「駄目ですよ、そんな物ばかり食べてちゃ……」
「しょうがねぇだろ。俺料理駄目だもん」
 留守がちな高遠の手料理を毎日食べれる筈もなく、高遠が不在の場合、一の食事事情は情けないものとなる。
「だから、教えてあげますと言ってるでしょう?」
「パス。俺、食い専でいい」
 即答する一に、高遠は小さく溜息を零した。手がかかる子程可愛いと言うか、むしろ一の世話なら喜んでするが、自分がいない間に体でも壊しやしないかと気が気では無い。
「そのうち体壊しますよ?」
「若いからヘーキ」
 へへんと笑う一を愛しいと思う自分は、終わっていると高遠は内心深い溜息をついた。一の為を思うならば、少し位突き放した方が良いだろうとは思うのだが、それが実践出来た試しは無い。仕事の都合で、四六時中傍にいる事が出来無いのも一因かもしれない。
 恋は盲目と言うか、惚れた弱みと言うか。いずれにしても、高遠にとっては厄介な事この上無い。
 そんな高遠の心情を知ってか知らずか、一は、
「……どした?」
 他意の無い眼差しを向けてくる。そんな仕種も愛おしくて、高遠は、可愛すぎて殺してしまいたくなる衝動に時折駆られる。無論、勿体無いのでそんな事は絶対しない。
「何でもありませんよ……あ、金田一君」
「ん?」
「クリームついてますよ」
 言うのと同時に、高遠が身を乗り出して、一の頬に付いたクリームを指で掬って、そのまま、指ごとクリームを舐め取った。
 高遠の、少し開いた口からちらりと覗く赤い舌が、長い指を舐め取る。それを見ていた一は、
「うわ……エッロ」
 思わず呟いていた。その言葉に面食らったのは高遠で、
「は? ……何がですか?」
 一に聞き返した。
「いや、改めて聞かれると困るんだけど。言葉じゃ上手く言えないっつーか。うーん……あ! フェロモン全開って感じ?」
「フェロモン……ですか?」
 いきなり何を言い出すのかと高遠が更に尋ねると、
「そう、フェロモン! なんか男の色気って感じだよなぁ」
 適切な言葉を見つかって上機嫌な一は、うんうんと一人納得して頷いた。その一言が墓穴を掘っている事を、一はまだ気付か無い。
 一の言葉を黙って聞いていた高遠が、やがて、くすりと笑って、
「嬉しいですね。君から誘ってくれるとは……」
「は? 何でそうなるんだよ。俺はあんたの色気について話してただけだろーが」
「だから、それが誘っていると言うんですよ。つまり、僕に欲情した……と」
 にこりと笑う高遠の顔を、優に10秒以上見つめてから一がはっとする。
「ち、違う! そういう意味じゃ無い!」
「違わないと思いますよ? それに、フェロモンを出してるのは僕だけじゃ無いですし?」
 高遠が、一の食べかけのケーキからクリームを掬って、その指を一の目の前に差し出した。
「君も舐めて下さい?」
「君だって僕のを見たんでしょう? 僕だって君の色っぽい仕種見たいんですよ。自分だけなんて狡いですよ」
「狡いって、あれはたまたまっ!」
「まぁ、細かい事は気にせず……」
「するわっ!」
 暫しの押し問答の末、勝ったのはやはり一枚も二枚も上手な高遠だった。



「そう……そのまま舌を絡めて?」
 言われるまま、一は高遠の指をしゃぶった。クリームは既にきれいに舐め取ってしまっていたが、一は高遠の指から口を離さなかった。暫くの間、夢中で高遠の指に舌を這わせて、高遠が指を一の口から抜いてから、はっと我に返る。恥かしさで、一が顔を赤く染めると、
「ほら、君の方がずっと色っぽいですよ……ね?」
 一の唾液で濡れた指を一本だけ立てて、嬉しそうに告げる高遠に、
「何が『ね?』だ……こ、の……セクハラ野郎っ」
 あっさりと嵌められた事実が口惜しくて、一は高遠を睨みながら拳を震わせていた。





「済んだ、済んだっと」
 何だかんだしつつも、高遠と一は仲良く並んで食事の後片付けをしていた。作業を終えた一が、キッチンから一足先に出ようとすると、その背後を高遠に抱き止められた。
「……何すんだよ。離せって」
 一は、腹の前で組まれた高遠の両手を外そうとするが、解くのは容易な事では無かった。逆に更に強く抱き締められて、
「今日の仕事も済みました」
「…………だから?」
 高遠の手が一の顎に伸びて、上を向かされた。一の視線と、見下ろす高遠の視線がぶつかる。
「これでゆっくり出来ますね」
「………………は、い?」
 一が、高遠の言葉の意味を測りかねていると、
「いやらしい事、一杯しましょうね」
 離れていた時間の分も取り返しましょうねと、穏やかな物言いとは裏腹に、高遠の台詞は物騒極まり無い。そして、高遠の瞳の奥に鬼畜な光を見た一は、身の危険を察知して、背筋に冷たいものが駆け抜けた……気がした。
「いや、俺これから風呂入りたいし……もう少し待てって。……な?」
「食後の入浴は消化に悪いですよ」
 ぎこちない笑顔で告げた一の言葉は一蹴された。
「それ言ったら、食後の運動は横腹が……」
「おや、腹が痛くなる位激しいのをご希望ですか? では、ご期待に添えるように頑張りましょう。勿論、君も協力して下さいね、金田一君」
「人の揚げ足を取るなって! おい、こら、高遠! ちょっと待てって!」
 細身な見かけに反して、高遠は一を小脇に抱えると、ずるずると強い力で引きずって寝室へ向かう。
「おーい、がっつく男はダサいぞ?」
 半分諦めた一が、呟くと、
「僕が格好悪い男になるのは、君の前でだけですよ?」
 にこりと、一にしか見せない、一が大好きな優しい笑みを浮かべて、高遠が答えた。
 寝室のドアが、静かに閉まる。



 その後、一が高遠に散々泣かされたのは言わずもがな……である。



― 終われ ―


[補足]
マユゲは多分高校を出て(フリーター?大学生? どっちが萌えだろう?@笑)
現在高遠と同居……もといルームシェア中(笑)
でも、マユゲに家賃が払える筈もなく(高遠さんが住むようなマンションだもんv@笑)
家賃は全て高遠持ち。生活費も入れる必要は無いと言う高遠を押し切って、
せめて自分の食費だけは、バイトで稼いで入れているマユゲ。
それを決めるのに、押し問答が繰り広げられると萌え(笑)
それはもう、競りの如く割合が交渉されたのではないかと……うふふふv


[イボコ的高金考察]
俺的高金は、マユゲにベタ甘いで。明金だと「金田一君の為にならない」と思えば
心を鬼にして(元から鬼畜なのはスルー@笑)躾する事も厭わないでしょうが、
うちの高遠さんは、もう愛娘を目の中に入れても痛く無いっていうか。
マユゲの男のプライドを尊重するのがマユゲ警視(理性の人)なら、
自分の欲求の為なら、愛しい人のプライドでさえ見て見ぬふりするのが高遠さん(本能?@笑)
ある意味、とても自分の欲求に正直な人<褒め言葉

マユゲが駄目人間になっても無問題、僕が世話するからマユゲは何も出来なくても
いいって言うか、むしろ出来ないでいて欲しい(面倒みたいから)みたいな。
もう、べたべたで甘々だと猛烈に萌えます。


★反省★
タイトル考えるの嫌いです。だからいつも直球。
本文見れば分かりますが、アレです(笑)二人の指だから複数形(笑


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じつはイボコさまは、「ゴーストハントやマルま」をやってらっしゃる
サイトの管理人様なのですが、なんと今回、
高金SSを書き下ろしてくださったのですよっ!!(大興奮)
イラストのお返しにとくださったのですが、なんという海老鯛っ!
拙い絵で、素敵な小説をゲットしてしまいました///
うふふふふふふふふ。←ふ増量中です。
イボコさま、どうもありがとうございました。
大切にいたしますねvvv


08/10/04UP
再UP14/08/25

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