最高の誕生日
「なあ、克哉。じつは今日さあ…」
「ああ、ごめん。今忙しいから、後でな」
朝から何の反応も無い克哉に、今日が俺の誕生日だと知らないのかもしれないと、色々逡巡していたんだ。だってさ、自分から誕生日をアピールするなんて、なんだか物欲しげで、やな感じがするだろ?
いや、なんとなく、俺がそう思ってるだけなんだけどな。
でも…だ。もしも、このまま教えずに克哉が知らないままだったとして、たまたま後から何かの拍子に知った克哉が「どうして教えてくれなかったんだよ!恋人なのに、水臭いっ」とか言って、後悔するかも知れないかな? とかも考えてだな。だったら、さりげなく今日が自分の誕生日だとアピールしたほうがいいかもしれないと、思い直したんだ。
けど、実際取り付く島もないほど、あっさり「忙しい」と言い切られてしまっては、俺としてもそれ以上は何も言えるはずがない。目の前の克哉は、なにやら取引先の誰かに確認のメールを送るべく、書類を作成しているらしい。
キーを叩く音がせわしなく、周りからも聞こえている。鳴り響く電話の音、取引先と話している誰かの声。確かに、最近の8課は、以前とは比べ物にならないくらいに忙しい。
けれど。
「忙しそうだな、何か手伝おうか?」
俺が、そう声を掛けても、
「何言ってるんだよ、本多だって自分の仕事があるだろう? おれに構ってないで、さっさと仕事しろよ」
なんて、克哉からは冷たい言葉が返ってくるだけ。
なんだか軽くあしらわれている気がして、少し落ち込みそうになるけど、でも、そんなことはないんだよな?
克哉は俺の仕事のことを心配して、こんなことを言っているだけなんだよな?
時々、きついことも言ってくるけど、それは俺のことを想ってくれてるからなんだよな?
誕生日の今日ぐらい優しくしてくれてもいいのに、なんて考えちまうのは、俺が単に、甘えているだけなのくらいはわかってるさ。だって克哉は、何も知らないんだからな。
そうさ、克哉は何も悪くない。
わかっているのに、俺は、重いため息が口から出てしまうのを止められなかったんだ。
ああ、やべえ。
ほら、克哉がおかしな表情をしてこっちをみてるじゃねえか、なさけねえな。
「本多? どうしたんだ? ため息なんか吐いて…」
まったく、克哉に心配そうな顔をさせてどうするんだよ、俺。
「ああ、なんでもない。ちょっくら、外回りにでも行って来るぜ…」
片桐さんにもそう断って、まるで克哉から逃げるみたいにしながら、気がつくと俺は、外へと飛び出していた。
結局、得意先を回って、商品の追加注文など、それなりの成果を上げてすっかり前向きに気分転換した俺は、これから社に戻りますと片桐さんに連絡を入れた。もうすぐ日が翳り始める時間だが、今日中にやっておきたい仕事はまだある。
「さて、もう一頑張りするか!」
軽く伸びをして空を見上げると、薄く引かれた雲が、オレンジや薄紫に染まっているのが俺の目に入った。ビルの谷間から覗く、深く橙色を帯びた空は、なんだかとても綺麗で。まるで、初めて目にするみたいに、俺は軽く感動を覚えていた。
いつも見ているはずなのに、毎日が忙しすぎて、そこに空があることすら俺は忘れちまってたんだろうか。
都会だからといって、空が無いわけじゃない。なのに、気付かずに通り過ぎてしまっていたんだろう。きっと、そこにあることが当たり前になってしまっているから、気付けないでいたんだ。
こんなに、綺麗なのにな。
そう考えて、ふと俺は思った。
今日が自分の誕生日だからと、俺は克哉に変に期待ばかりしていて、克哉が傍にいてくれていることのありがたさを忘れているんじゃあないのか?
あいつが恋人で居てくれることを、当たり前みたいに思い始めていたんじゃないのか?
克哉が俺を受け入れてくれて、傍にいてくれることだけで、十分幸せじゃないか。
克哉の態度が冷たいとか、何を我侭なことばかり考えていたんだ俺は。
そう気がつくと、もう居ても立ってもいられなくなって、俺は急いで駅へと向かった。
少しでも早く、克哉の顔を見たかったんだ。
社に戻ると、空はもう暗くなり始めていて、帰宅する人たちとすれ違う。
「本多、まだ仕事か?」
流れに逆行していると、他の課の知り合いが声を掛けてきた。
「ああ、これから纏めないといけない書類があるからな」
「最近の8課は本当に忙しそうだな。まあ、頑張れ」
「おう、お前もお疲れさん」
軽く手を上げて別れると、丁度来たエレベーターに乗り込む。その間も、俺はなんだかそわそわして落着かない。
週末とはいえ、克哉はまだ仕事中だろう。あいつはすごく頑張っているから、今日も遅くまで残っているに違いない。
じゃあ、俺もそれまで一緒に残業して、出来るなら、今日はそのまま克哉をお持ち帰りしたい。今夜はずっと一緒にいたい気分なんだ。
誕生日だからって、特別なことなんか何もしなくていい。
ただ克哉が、俺の傍にいてくれるだけでいいんだ。
今夜は、なんて言って誘ったらいいんだろうな…
今更、「今日、じつは俺の誕生日でさ」なんて敢えて言いたくない気がするし。かと言って、週末だからという理由も、ありきたりすぎてピンと来ねえ。
大体、克哉はいつも一度家に帰って、私服に着替えてからじゃないと俺の家には来ない。なんでも、仕事の同僚だからこそ、公私の区別はきっちりと付けたいんだそうだ。
変なこだわりだとは思うが、克哉がそうしたいということを俺は尊重したいと思うし、そんな克哉が可愛いとも思うんだ。
だってさ、なんかいじらしいじゃねえか。恋人だからって、ついつい甘えてしまいそうになる自分を、懸命に律しようとしているみたいでさ。
エレベーターから降りると、足早に8課へと急ぐ。
そして、いつもと変わらないドアのノブを握り締めて、いつもと同じように俺は開いた。
ぱんぱんぱんっ!
突然、すぐ目の前で派手な音がして、俺に向かって何かが飛んできた。
「おわっ!」
いきなりのことで、本気で身体が飛び上がっていた。
一体、何事が起こったんだ?!
「「「本多(さん・くん)、お誕生日おめでとう~!」」」
「えっ?」
まだ、ドアノブを握り締めたまま、扉を開いた状態で止まっている俺の前には、8課の面々が勢ぞろいして、口々に「誕生日おめでとう」と言ってくれている。
俺の頭やら身体には、細い紙テープがいくつも絡み付いていて、それはどうやら、彼らが手にしているクラッカーから発射されたものらしい。
けれど、あまりに唐突な出来事で、俺は咄嗟に反応できなかった。
単純に、驚いていたんだ。
「おや、びっくりさせすぎてしまったようですね」
穏やかな片桐さんの声が聴こえている。
「ホントだ~。本多さん、見事に固まってますね~」
と言っているのは、課の女子社員だろう。
「本多、本多、大丈夫か?」
目の前で、克哉にひらひらと手をかざされて、俺はようやく我に返った。
「克哉…? なんで…」
「みんな、お前が帰ってくるの、待ってたんだぞ?」
「えっ? 待って…って?」
「ショートケーキだけど、ちゃんとケーキも買ってあるのよ」
克哉の後ろから、女子社員の一人が声を上げた。
「本多くんはいつも頑張ってくれていますからね、みんなの気持ちなんですよ」
「8課がこれだけ盛り返してきたのも、お前がきっかけを作ってくれたんだしな!」
片桐さんや同僚たちも、そう声をかけてくれる。
克哉が目の前で、微笑んでいる。
「いや、それは…そんなのは、俺だけの力じゃないだろうが…」
そう返しながら、全員の顔を見回すけれど、みんなニコニコと笑っているばかりだ。
「本多が諦めないで、引っ張ってくれたおかげでもあるだろ?」
目の前の克哉が言う。
それだけで、もう、十分すぎた。
「…ありがとう。こんなに嬉しい誕生日は、初めてだ…」
ちょっとばかり感激しすぎて、涙が出そうになる。
ちくしょう、なんて嬉しいサプライズだ。死ぬほど、仕事頑張っちまうじゃねえか。
その後、課長が入れてくれたコーヒーを飲みながら、俺はケーキを食べた。
机の上には、なぜだか首にリボンを巻いた茶色いクマのぬいぐるみが置かれてあった。
なんでも、みんなで少しずつお金を出して、女子社員が俺のイメージで選んできてくれたプレゼントらしい。つか、なんで俺がクマのぬいぐるみなんだ?
でも、単純に嬉しい。俺って、愛されてんだな。
みんなで飲みに行かないかとも誘われたんだが、どうしても今日中にやっておきたい仕事があるからと断って。結局、最後まで8課に残ったのは、克哉と俺のふたりだけだった。
「…もしかして、お前が言ったのか? 今日、俺が誕生日だって知ってて…」
一応の区切りがついて、う~んと伸びをしながら克哉の方を見ると、丁度克哉も終わったところなのか、顔を上げて俺の方を見た。だから、訊いてみたんだ。
「うん。朝は知らないフリをしてて、ごめん。でもオレは、何か本多に返したかったんだ。みんなも同じ気持ちだったみたいだし。本当に、今の8課があるのは、本多、お前の熱意があったからだよ」
少し照れたように、克哉は笑った。
「俺のおかげも何も、プロトファイバーの仕事を取ったのは、お前の方じゃないか」
「何言ってるんだ。お前があの時言い出さなかったら、今の8課は無かったんだよ、本多」
何のてらいも無く、克哉の口から紡ぎ出された言葉は、けれど、おれの胸を熱くさせるのに十分だった。
「克哉…」
俺は立ち上がると、後ろに転がっていった椅子を戻しもしないで克哉の傍に寄った。
「え? な、何?」
俺が、たぶんすごく真剣な顔をしていたからだろうな。克哉は自分の席に座ったまま、戸惑うような声を出した。でも、そんな声なんか無視して、俺は背後から克哉を強く抱きしめていた。
「ほ、本多?」
「本当に、お前ってヤツは…」
それ以上、言葉にできなくて、俺は克哉の首筋に口吻けを落とした。俺の腕の中の身体がピクリと震えて、仰け反るように俺へともたれかかってくる。
「はっ、ほんだ…? 駄目だよ、こんな…ところで…」
仰け反った首のラインを辿るみたいに舌を這わせると、言葉とは裏腹に、克哉の身体は小刻みに震え始める。本当に、感じやすい身体だ。
克哉の反応に気を良くした俺は、スーツの上着の中へ手を伸ばすと、シャツの上から小さな突起を探り出した。指の腹で押しつぶすみたいに弄っていると、それはしこって硬くなり始める。
震えながら、克哉は身体を捩った。
「だ、駄目…」
熱い息を吐きながら俺の手を掴むと、無意識になのか、克哉は爪を立てた。
抱きしめていた腕を放すと、克哉の口からホッと吐息が洩れたが、俺は克哉の椅子を自分の方に向けて回転させると、今度は克哉を抱き起こすみたいにして抱きしめた。
克哉の腰に手を回してわざと腰を密着させると、俺の高ぶりに気付いた克哉が、顔を真っ赤にして俺を見上げる。
でもその表情は、困っているようにも、誘っているようにも見えて、俺を煽るだけだということに、果たしてこいつは気付いていないんだろうか。
「克哉、好きだ」
「ほん… んん…」
そのまま、克哉の唇に唇を重ねて、強引に奪う。それでも克哉は、嫌がる素振りも見せないで、大人しく口を開いて俺を受け入れてくれる。
そんな克哉に、なおさら、愛おしい想いが溢れてくるんだ。
もう、夢中で。
ここが社内だという背徳的な気持ちから来るのか、いつもよりも余計に興奮する気がして。
気がつくと、キスをしたまま互いに強く抱き合って、腰を擦りつけあっていた。克哉のそれも、俺と同じように高ぶっているのを感じる。
「もう、待てねえ…」
口吻けの合間に、そう呟いて克哉のベルトに手を掛けると、慌てたように克哉の手がそれを止めた。
「駄…目だよ、本多」
熱に浮かされた紅い顔をして、潤んだ眼差しで俺を見つめながら、克哉は言うんだ。
つか、お前。その顔はどう見ても、誘ってるだろうがっ。
「なんで、別にいいじゃねえか。もう、誰も来やしねえよ」
「それでも困るんだ。ここでこんなことしたら、俺、ここで本多を見るたびに…」
紅い顔を更に染めて、克哉は口ごもりながら、視線を逸らせた。顔を逸らせたせいで、その首筋までもが紅く染まっているのが、俺の視界に入る。それがまた妙に色っぽくて、益々俺は我慢が利かなくなってくる。
「駄目だ。俺は、今ここで」
克哉を無理やり押し倒そうとしたら、今度は涙目になった克哉が俺を見上げてきた。
「待って、本多。お願い…」
克哉、そりゃあ反則だろっ。
そんな顔をしてお願いされたら、何も出来ねえじゃねえか。
ったく、もう、俺は限界だってのにっ。
「克哉… そんなに嫌なのか?」
おれが言うと、克哉は微かに頷いて。そして、恥らう素振りを見せながら、こう言った。
「ここでだけは… でも帰ったら、何でも言うこと聞いてやるから。今日は本多の誕生日だし。な?」
だがその言葉に、おれの中の何かが激しく反応したっ!
「俺の言うこと、何でもって… マジでかっ?!」
「う、うん… 『今日だけ』…だけど…」
俺の勢いに気おされたのか、克哉はおれの胸に手を突いて、思わずといった風に身体を遠ざけている。どこか、まずい事を言ってしまったと思っているようなのは、この際無視だ。
「よしっ、今すぐ帰るぞ!」
「ほ、本多?」
机から鞄を引っ手繰るように取ってくると、克哉の手を引いて急ぎ足で8課を後にする。早く帰らねえと、今日はあと数時間しかないっ。
克哉が何かを言っているみたいだったが、もう、俺の耳には入って来なかった。
とりあえず、社外に出るまでに、すっかり元気になってしまっている俺自身を、どうにか根性でなだめて。そして、これからの時間をどう過ごそうかと考えるだけで、俺の頭の中はいっぱいだったんだ。
俺はもう一度、掴んだままの克哉の手を、ぎゅっと握った。
克哉も、そっと握り返してくれたのは、気のせいじゃないはずだ。
幸せな気持ちが、胸の中に広がってゆく。
今夜は、今までで一番最高の誕生日に、なりそうな気がした。
了
08/04/23
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遅ればせながら、本多誕生日SSです。
なかなか、すんなり書けなくて、遅くなって申し訳ないです(汗
08/04/23UP
14/12/16再UP
-竹流-
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