Afterward




「おう、克哉。昨夜はちゃんと家まで帰れたんだろうな」
「えっ、あ、うん。なんとか、帰れたみたい…だね」

あはは…と、克哉が力なく笑いながら携帯で話している相手は本多だ。
「帰れたみたいって、なんだそりゃ?」
「いや、それが、どうやって帰ったのか全然覚えてないんだよ。第一お前の家に泊まるはずだったのに、どうして帰ったのかもわからないんだから」
「あ~、そう言やなんでだったかな? 俺もあんまり覚えてないんだが、みんなが酔いつぶれてばたばた眠り出したら、急に帰るって言い出したような気がするなあ。狭い部屋にヤローばっかでむさ苦しかったのか?」
そう言いながら、豪快に笑う本多の声がひどく頭に響く。
「…本多、頭に響くから…大声出すなよ」
「なんだ、二日酔いかよ。あれぐらいの量でだらしねえなあ。まあ、ちゃんと帰れたみたいだし、ひと安心だ。また今度、一緒に飲みに行こうぜ」
お前、MGNに移ってから付き合い悪いからな。たまにはゆっくり付き合え。
という本多の言葉を、耳に痛く聴きながら、「ああ、またな」と曖昧に答えて通話を終える。
途端に、重いため息が克哉の口から零れ出た。
どうしてただの友人と携帯で話をするだけで、こんなにも気を使わなくてはならないのか。
少しばかり理不尽な想いが、胸の内で頭を擡げる。がしかし、それはたぶん仕方のないことなのだろう。自分が他の男…特に本多と話すのを、あまり快く思っていない人物が傍にいるからに他ならないからだ。

閉じた携帯を目の前のダイニングテーブルの上に置くと、覚悟を決めたようにテーブルに肘を着きながら、克哉は通話中ずっと見ないようにしていたソファーの方を、恐る恐る窺った。
するとなぜか、新聞を広げてそこに腰掛けている人物と目があってしまった。
恋人の御堂だ。
新聞を広げているのに、まったく読んでいなかったらしい。しかも、目が据わっている…ような気さえした。
もしかして、ずっとこっちを見ていたのだろうかと考えて、克哉は全身の毛穴から汗が吹き出るほどの緊張感を覚えていた。それはまるで、蛇に睨まれた蛙の心境だ。

「本多か」
低く呟かれた言葉に、思わず弾かれるように克哉は背筋を伸ばしてしまう。
別に悪いことをしているわけでもないのに、惚れた弱みとはよく言ったものだ。どうにもこの関係の主導権は、常に御堂の手の中にある。
「あっ、はい。昨日、ちゃんと帰れたかどうか心配して掛けてきてくれたみたいで」
「相変わらず、仲のいいことだな」
ふんと鼻を鳴らしながら、ようやく御堂は自分の手元に広げた新聞へと視線を落とした。けれどもその様子は、別段怒った風でも機嫌が悪い風でもない。
(本多がただの友達だって、理解してくれたのかな? それとも、昨夜俺が泊まらずに帰って来たから機嫌がいいのかな?)

克哉自身、朝目が覚めたらいつものベッドで眠っていたのには、驚いたのだ。
本多の家からタクシーで帰って来たらしいのだが、その間の記憶は綺麗さっぱり頭の中から抜け落ちていた。
(しかも眼が覚めたら、全裸で…あの人の腕の中だったし…)
思い出すだけで、恥ずかしくなってしまう。
居間から点々と脱ぎ散らかされた互いの衣服、それに寝乱れたシーツ。身体は拭われて綺麗になっていたけれど、何があったのかは一目瞭然だった。しかも、自分が目を覚ましたら御堂も起きてきて、危うく朝からまたされてしまうところだった。克哉の二日酔いで、それは未然に防がれたわけだが。
いや、別にそれはいい。問題はそんなことではない。
その時、御堂に昨夜のことを何も覚えていないと話したのが、更なる不安を増やしたのだ。

「何も覚えていないのか? まったく?」
「はい…」
「そうか…」そう言って、御堂は少し考え込むように口元に手を当ててから、おもむろに。
「いつもあんな風に素直だと、わたしも嬉しいのだがな」
そうか、覚えていないのか…
と、ひどく思わせぶりに言ったきり、それ以上は何も教えてくれなかった。

「俺、何したんだろう…」
何かをしたらしいのに、まったく覚えていないことほど恐ろしいものはない。けれど御堂のことだから、この先もきっと教えてくれることはないだろう。
なにせ、
「えと… 俺、なにか、したんです…か?」
そう、不安いっぱいに聞いても。
「…秘密だ」
きっぱりと言われてしまった。
ただ答える御堂が、どこか照れたような表情を浮かべていたのが… 余計気になった原因だったりもする。
御堂がそんな顔をするくらいなのだから、なんだかすごいことをしたのかもしれない、と変に考えてしまって、どうしようもなく恥ずかしい。
(酔った勢いで、俺、何したんだろう?! もしかして、本多と携帯で話してても御堂さんの機嫌が悪くならないのは、そのせいなのかな?)
それはやはり、とてつもなくよっぽどのことのような気がして、克哉はダイニングの椅子に座ったまま俯いて、両手で顔を覆いながらひとり紅くなってしまう。

「克哉」
不意に声を掛けられ、はっと我に返った。
声の方を見ると、いつの間に傍に来たのか、御堂が横に立っている。考え事にふけっていて、まるで気がつかなかった。でも、こんなだから御堂に「君は無防備すぎる」とよく言われるのかもしれない。などと、妙なところで深く納得していると。
「どうした、顔が紅いぞ?」
指先で顎をつかまれ、顔を上げさせられた。
「御堂さん…」
正面に映る御堂の顔は、やっぱり見とれてしまうくらい綺麗で、そのくせできる男の顔をしている。いわゆる、端整でいて理知的だ。
その顔が、口端だけを上げて笑みを形作った途端、野性的な色を帯びる。と思う間もなく、ゆっくりと顔が近づいてきて、克哉の耳元に唇が寄せられた。

「昼間から何を考えていた? いけない子だ」
熱を孕んだ声で囁かれて、耳に熱い息を吹き込まれた。
突然の御堂の行為に驚きながらも、克哉の背筋には寒気にも似た痺れが走り、肌が粟立つ。
「ち、違います。別になにも考えてなんかっ!」
咄嗟に、自分の中に点りそうになる熱を払うかのように、頬をさらに赤らめて克哉は否定した。けれどそれでは逆に、御堂を煽ることになっているとは、克哉は気付かない。
「そうか? じゃあ、いけないことを考えていたのは、私の方かな」
御堂に大人の余裕で返され、首筋に舌を這わされ。掠れた声にさえ敏感に感じてしまって、震える身体を誤魔化すこともできなくなってしまう。いつもこんな風に。
「御堂さん…まだ昼間ですっ。…それに…おれ、二日酔いで頭痛いし…」
随分楽になってはいたが、まだ頭痛がするのは確かだ。それに、昼間からこんなことをして悦ぶ姿を見せていたら、また御堂に「淫乱な身体だ」と言われてしまいそうで怖い。できれば「二日酔いなので無理です」を通したいと克哉は期待したのだが、どうやらその考えは甘かったらしい。御堂の反応は、冷淡だった。
「薬を飲んで、もう気持ち悪くはないのだろう?」
「はい…」
「じゃあ、問題はない」
相変わらず御堂は強引で、克哉の体調よりも自分の欲望が優先なのかと考えると、寂しいを通り越してどこか悲しい。こんなに好きなのに、でも心がちゃんと重なっていないように感じて。
(本当は御堂さんは、俺が好きなんじゃなくて、俺の身体だけが欲しいのかな…)
身体は煽られてゆくのに、心が悲しさに冷えてゆく気がした。
だが、その後続けられた御堂の言葉に、克哉ははっと息を呑んだ。

「君のせいだ。君が昨夜、あんなに無防備にわたしを煽るから…」
「御堂…さん?」
それ以上、御堂は何も言わなかったけれど、それで十分だった。
力強く自分を抱きしめてきた男の背中に、克哉はそっと腕を回した。
御堂の身体はとても熱くて、それだけで涙が出そうなほど、幸せな気持ちになれた。
一瞬でも、御堂の気持ちを疑った自分が恥ずかしい。

「好き…大好きです。御堂さん…」
素直に言葉が零れた。胸の内からあふれ出す想いを、堪えきれずに。
「克哉」
答えるように、克哉の唇に御堂のそれが重ねられる。
大切なものに、触れるように。

昨夜自分が何をしたのかなんて、もう、どうでもいい。
御堂が、自分を求めてくれるだけで十分だ。
それ以上、何もいらない。必要ない。

ただ、自分はこの人がとても愛しいと。
ただ、その想いだけで、克哉の胸は満たされていた。



07/11/26
____________________

『酩酊』の続きでした///

07/11/27UP
14/12/16再UP
-竹流-


ブラウザを閉じて戻ってください