FROM A HEART





「ごめんね、太一」
「へっ?」

部屋に帰って来るなりいきなり克哉に謝られて、太一はキョトンと音がしそうなほどに眼を見開いて首を傾げた。相変わらず、素直な子供のようにわかりやすい太一のリアクションに、克哉は思わず笑ってしまう。
「あっ、克哉さん、笑ったね? いきなり謝って来たかと思ったら、今度は笑うし。もう、訳わかんなくって、俺、すねちゃうよ?」
そう言いながら、太一も笑っている。
そんな太一を見ながら、胸の中に暖かいものが溢れてくるのを、克哉は感じていた。

時計の針は、もう、夜の11時を回っていた。今日も一日忙しく、しかも朝からずっと別の仕事で動いていた二人が顔をあわせたのは、部屋に帰ってくる少し前のこと。
また新しくCMのタイアップの話が来ており、克哉はそのための打ち合わせや準備に、朝から奔走していた。太一は太一で、今日は都内のLIVEハウスでの仕事があり、夜までずっと忙しかった。
こんな生活が、このところずっと続いていた。


以前、MGNの商品のコマーシャルに太一の曲が使われた時、自分たちが考えていたよりも大きな反響があった。その時の曲はオリコンの上位にまで食い込み、大ヒットしたのだ。
そのヒットを受けて、急遽新しいアルバムの作成が決まり、音楽番組への出演やライブの仕事も増え、気がつくと太一たちのバンドは、人気バンドの仲間入りを果たしていた。
ミュージシャンとして認められ、活動の場が増えたことは純粋に嬉しいことだったのだが、毎日が忙しくなってくると、太一と克哉の生活が微妙にずれ始めた。

ふたりで一緒のマンションに暮らしてはいるのだが、朝、克哉が仕事に出かけるときには、夜遅く帰って来た太一はまだ眠っていることが多く、夜はできるだけ顔を合わせたいと思っていても、疲れのせいか気がつくと克哉が先に眠ってしまっている。結局ふたりが顔をあわせるのは、事務所で仕事の話をするときだけ、という日々がこのところ続いているのだ。
それを太一が不満に思っているのを、克哉は知っていた。
けれど、せっかく人気が出てきて仕事の依頼が増えている今、太一たちにとってプラスになる仕事を選んで、実績を積み重ねたい。そして、それは自分の仕事だ。そして、今の人気を不動のものとするのかどうかは、太一たちの仕事。
音楽という眼に見えないものを商品にしている以上、人の心を動かす音楽を作り続けてゆけるかどうかで、この先の未来は変わってゆく。けれど、克哉はそれを疑ったことはない。
太一の作る音楽は、何かを乗り越えた強さと優しさが満ちている。こんなにも音楽が好きだと、人の心を震わせる。だから、太一が少しでも気持ちよく仕事ができるようにするのが、克哉は自分の務めだと思って仕事をしているのだ。同時に、たくさんの人に太一の曲を聞いてもらいたい。こんなにも素敵な音楽に、ひとりでも多くの人に触れてもらいたい。そんな想いで仕事をこなしている。だからどんなに忙しくても、大変だと思ったことなど一度もない。
ただ、太一に寂しい思いをさせてしまっているのが、申し訳なかった。
だから、太一の誕生日の今日ぐらいは、早めに仕事を片付けて太一のライブを見に行って、打ち上げのときに、みんなと一緒にお祝いをしようと考えていたのだ。
なのに仕事の打ち合わせが、先方の都合で大幅に遅れてしまったのが、運のつきだった。

「もう、間に合わないな…」
大きなため息が、口から零れ落ちるのを止める術など、ありはしなかった。一旦事務所に帰って時計を見上げたときには、夜の10時を少し回っていた。予定が全て遅れたせいで、まだやらなくてはいけない仕事も残っている。
申し訳なさが、胸に溢れてくる。一緒にサプライズを企画してくれていた他のメンバーには、間に合わないかもしれないから先にやっておいてくれとメールを送ってはいたが、何も知らない太一には仕事のことしか連絡していない。
誕生日だと知っているはずなのに、薄情な恋人だと思われただろうか。それとも、仕事が忙しくて自分の誕生日も忘れたのかと、寂しい想いをさせてしまっただろうか。
けれど、ぎりぎりまで何も言わないで、驚かせたかったのだ。どうしても、間に合いたかった。
太一の喜ぶ顔を、見たかった…
でも、もう今頃はみんなで誕生日祝いをしていることだろう。企画した人間がその場にいないとは、情けなさも極めた感じがする。ため息どころか、泣きたい気持ちがした。

「太一に、謝らないと…」
ごめん、と一言謝ろうと携帯を取り出そうとしたとき、突然、事務所のドアが開いた。
「あ、やっぱりここにいた」
聞きなれた声が、耳に優しく響く。
顔を上げると、ずっと頭の中を占めていた人物が、入口に立っている。
「た…いち? なん…で…」
驚いて、頭が真っ白になっていたのだろう。口から出た声は、自分でも間抜けだと思うくらい、しどろもどろだ。
「メールにさ、打ち合わせの時間が遅くなったって入ってたから、こっちにいるんじゃないかな~と思って。もう、克哉さんてば仕事しすぎっ!」
笑いながら、太一はデスクに近づいてくる。
「えっ、でも、みんなと打ち上げは?」
まさか本人がここに来るなどとは思ってもみなかった克哉は、呆然とするしかない。椅子に座ったまま、すぐ傍にまで近づいてきた太一を、ただ見上げていた。
「お祝いなら、受け取ったよ。克哉さんが企画してくれたんだって?」
ありがとう、克哉さん…

照れたように、少しだけ頬を染めた太一の顔が近づいてくるのを、いまだに信じられない面持ちで克哉は見つめ続けていた。と、
「だめだよ、キスをするときは、眼を閉じて」
少しだけハスキーな声で低く囁かれて、克哉はカッと身の内が熱くなるのを感じた。
太一のこの声は、夜のときの声だ。
ただ囁かれただけなのに、身体の奥が奇妙に疼く感覚がして、克哉は咄嗟に眼を閉じていた。
目の前が暗くなった途端、ひどく優しく頬を両の手のひらで包み込まれ、そして柔らかく暖かい感触が唇に触れたと思うとすぐに湿ったものがちろちろと克哉の口先に触れてきた。扉を開けてと、まるで強請るように。
克哉が反射的に口を開いてそれを受け入れると、ぬめった感触が性急に口の中へと進入してくる。
それは、初めは柔らかく口蓋をなぞりながら、探るように克哉の口の中を這い回って。やがてそれが克哉の舌を絡め取る頃には互いの唾液が混ざり合い、互いの立てる水音に、頭の芯まで痺れてしまいそうな気がした。息が苦しくなってくる。なのに、ぴちゃぴちゃと音を立てながら、まるでおいしいものでも食べているみたいに、太一は唇を離そうとはしなかった。
時に強く吸われ、時に羽に触れるような優しさで絡め取られ、口の中を蹂躙される感覚に、克哉はだんだん何も考えられなくなってしまう。
身体の奥が、ひどく、熱い。
「…ん…たい…ち…太一…」
足掻くような息継ぎの合間に、何度もうわ言のように太一の名を呼んで、気がつくと、太一の首に自分の腕を絡ませていた。
「克哉さん…」
熱を孕んだ太一の声が耳を犯して、節くれだった手が克哉の服の中に忍び込んでくる。ギターを弾く人間特有の、硬くなった指先の皮膚の感触が身体の表面を滑るたび、深い部分が何かを求めて疼く。
「あっ…」
思わず、声が漏れていた。そんな自分の声に、けれど一瞬、意識が現実に引き戻される。
(駄目…だ。こんなこと、外ではしないって… しかも、事務所でこんな…)
でももう、互いに高まって熱くなっている感情を止めることなど、克哉にはできそうになかった。下着の中の自分自身も、すでに固く張り詰めている。
「ひぁッ…」
小さく悲鳴を上げてしまう。太一の手に自分の弱いところを攻められて、その度に身体が跳ねて、息が荒くなるのを止められない。もう、行き着くところまで、行ってしまいたい。
「感じる?」
克哉の耳に舌を這わせながら、掠れる低音で太一が囁く。それだけで、背筋がぞくりと震えてしまう。がくがくと何も考えられないままに克哉が頷くと、何を思ったか、不意に太一の身体が克哉から離れた。
「えっ?」
思わず零れた不満げな克哉の声に、太一がふっと笑みを零す。
「ここじゃできないだろ? こっちに来て」
差し伸べられた腕に抱えられるようにして、ひとり掛けの回転式の椅子からよろよろと立ち上がると、太一に導かれるまま、克哉は来客用の応接セットのテーブルの上に身を横たえた。太一の重みが、身体の上に重なってくる。
「冷たかったり痛かったりしない? 大丈夫?」
「うん、平気」
「そう言えば、前にもテーブルでしたね」
「うん…」
答えている間にも、克哉の衣服は剥ぎ取られてゆく。
太一の唇が舌が、克哉を味わうように身体の上を這いまわり、その度に克哉は苦しいほどの熱を覚える。
「たい…ち…」
「克哉さん、好きだよ。大好きだ」
言葉だけでも、感じてしまう。心の底から愛しいと、想ってしまう。どうしてこんなにも誰かを大切に思えてしまうのか、自分でも不思議なくらい、愛している。
「俺も…好きだよ。愛してる」
克哉がそう呟いた途端、太一は克哉の下着をすべて剥ぎ取っていた。すでに克哉は、その身に何も着けてはいない。太一も上半身裸で、前をはだけたジーンズから、硬くそそり立った自身を露にしている。
「えっ…たい…ち?」
急に行為を急ぎ始めた太一に、何か自分は気に触るようなことでも言ったかと、克哉は不安げな眼差しで太一を見上げた。けれど、
「ごめん。克哉さんがあんまり可愛いこと言うから、俺、もう待てないや」
言いながら、克哉の足を自分の肩に掛けた。
「痛かったら、言って」
「えっ…たい……あ…あぁっ…」
何かを太一に伝えようとしたが、強引に押し入ってくる熱い圧迫に、それ以上は言葉にならなかった。自分に覆いかぶさる太一の背中に、無意識のうちに爪を立てる。
「だい…じょうぶ? 克哉さん…」
何かを堪えるみたいに、苦しげに太一は呟く。
「へい…き…だよ…」
答えながら、自分でも感じている感覚が、痛みなのか熱なのかわからなくなっている。ただ、それが太一なのだと思うだけで、身体の奥から別の感覚が生まれてくる。

もっと深く、入ってきて。
もっと深く、太一を感じさせて。

少しずつ深くなってゆく交わりに耐え切れないように、克哉は叫んでいた。




気がつくと、力の入らない身体をぐったりとテーブルの上に投げ出していた。
少しの間意識を失っていたのか、自身で吐き出した欲望で汚れていたはずの身体は、いつの間にか綺麗に拭われている。
「気がついた? 克哉さん」
耳元で囁かれた言葉に顔を上げると、太一がすぐ傍で寄り添っていた。
「…太一…」
克哉が呼ぶと、嬉しそうに眼を細めて、頬を染める。そして、そっと克哉の耳元に唇を寄せて。
「もう、克哉さんってば、すげえエッチ。あんなこと言われたら、死ぬほど頑張っちゃうじゃん」
「えっ、あんなこと…って?」
「覚えてないの?『もっと深く…』って、叫んだじゃん。俺、これ以上ないくらい煽られちゃったよ?」
言われてみれば、言ったような気もする。そう思った途端、顔だけじゃなく、体全部が熱を持ったみたいに熱くなるのがわかった。
「あは、克哉さん真っ赤。可愛いな」
「…だって、太一が…」
言いかけた言葉は、太一の唇の中に吸い込まれていた。互いを味わうように、ゆっくりと舌を絡ませあった後、名残惜しげに唇を離した太一は言った。
「うん、ほんとは駄目なんだよね、ここでこういうことしちゃ。でも、何も言わずに克哉さんが受け入れてくれて、俺、すごく嬉しかった」
「太一…」
太一は克哉の額にチュッと音を立てて軽いキスを落とすと、でも今度はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「今度からさ、この部屋でひとりで仕事してて寂しくなっても、ここでやっちゃったこと思い出したら寂しくないかもね。あ、でも、逆に興奮して仕事にならないか」
「太一!」
あははと声を立てて笑われて、克哉ももう、笑うしかない。
本当に、このテーブルを使うたび、今夜のことを思い出して仕事にならないかもしれない。
口には出さなかったが、内心そんなことを考えて、大きなため息を吐きたい心境だった。



そうして、ふたりで事務所を出たのが少し前。事務所から自宅は、車で10分程度の距離だ。だからまだ、今日は終わっていない。

「謝ったり笑ったり、変な克哉さん。俺、今日はすごいご機嫌だよ?」
「うん…でも、やっぱりごめん。俺もみんなと一緒に、太一の誕生日を祝うはずだったのに… それに俺のせいで、太一、途中で抜けてきちゃったんだろ?」
笑うことを止めて、少し俯く克哉を、太一はぎゅっと抱きしめた。
「何言ってんの。今夜は俺、克哉さんにいっぱいお祝いしてもらったよ? すげえ幸せなんだから」
自分よりも少し小さな身体を、克哉もそっと抱き返す。
「ありがと、太一」
「それは俺のセリフだって」
重なり合った身体から、太一が笑ったのが伝わる。
本当は、いつもこうしていたいのに、今はなかなか傍にもいられない。だからこそ…
克哉は太一の腕から離れると、いつも持ち歩いている書類カバンの中に手を入れた。
「あの…さ、太一。俺、プレゼントを用意してたんだ」
「プレゼント?」
「太一の欲しがってた、フェンダーってわけじゃないんだけど…」
克哉が取り出したのは、小さな長方形の箱。綺麗に包装され、金色のリボンが掛けられている。
「誕生日おめでとう、太一」
差し出された箱を、太一はどこかためらうように受け取ると、なんだか泣きそうな表情を浮かべて克哉を見た。
「ね、開けても…いい?」
克哉が頷くのを見ると、何を待てないのか、太一はまるで欲しがってたおもちゃを与えられた子供のように慌てた様子で、包装紙をはがした。
中から現れたのは、灰色の箱。その蓋を開くと、重厚なビロードで包まれたケースが納まっている。
太一が克哉を見ると、また克哉は小さく頷く。太一は自分も頷き返すと、そのケースを今度はゆっくりと開いた。
「これって、チョーカー…?」
それは、しっかりとしたつくりの皮の男性用のネックレス。首の正面に来る辺りに金属のプレートが繋がれていて、皮と金属を繋ぐ鎖の中心に小さな宝石が埋め込まれている。
「それ、太一の誕生石なんだ。11月はトパーズなんだって。なんでも誕生石はお守りにもなるって言うから…」
全部言わないうちに、また太一に抱きしめられていた。
「た、太一?」
「ありがと…俺、すげえ嬉しい」
苦しいくらいに抱きしめられて、フッと克哉は笑みを零した。
「…ライブのときとか、つけていてくれる? それを俺の代わりに」
太一の身体を抱き返しながら、片手でそっと、赤み掛かった太一の髪を撫でた。
「駄目っ、俺ずっと着けてるから! ライブのときだけじゃなくって、ずっと!」
「太一…」
「すっげえ好きだ。誰よりも一番、克哉さんが好きだよ」
「うん、俺も太一が一番好きだよ。生まれてきてくれて、ありがとう、太一」
「克哉さん」

どちらからともなく、唇が重なっていた。
まだ、日付は変わっていない。
もう一度… いや、一度といわず何度でも、愛しい人の存在を確かめたい。
この世に生まれてきてくれた奇跡を、心から感謝しながら。



その後、太一の首には常に皮製のチョーカーが着けられるようになった。
どこへ行くにもずっと外されることなく彼の首元を飾り続けたそれは、やがて彼のトレードマークのようになり、そしてそれは、彼が世界的に有名なミュージシャンとして成功を収めた後も、決して変わることはなかった。




07/11/23
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ぎりぎり、太一の誕生日に間に合いました(汗)。
っていうか、当日に書き出すのがそもそも間違っている気がする。
しかも、微妙に不完全燃焼なHシーンで申し訳ないです。
でも、意外に書きやすかったな、太克///

ちなみに作中に出てくる「フェンダー」なるものは、有名ギターメーカーの名前です。

07/11/23UP
14/12/16再UP
-竹流-


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