sin




ふと気がつくと、腕の中の存在からはすべての力が抜けていた。
ただぐったりと、私にもたれかかるようにして。この腕の中で。
これ以上は曲がらぬほどに傾げられ、露になっている真っ白な首筋には、明らかな噛み傷とそこから溢れ出した鮮血。
それは、腕の中のこの物言わぬ身体が、すでに息をしていないことを示している。
だれの仕業なのかなど、十分すぎるほどに、理解できていた。

ああ…神様。
私はまた、奪ってしまったのだ。
また、罪を重ねたのだ。

力の抜けた私の腕から、命を失った肉体は、まるで壊れた人形のように無造作に地面の上に転がり落ちる。と、その拍子に、ぐらりと死体の首が揺れ、私を見た。
空には満月に近い大きな月が浮かび、照らす青白い光は、昼間とは違う暗い陰影を地面に落としている。
薄青い月明かりに照らされたそれが。息をしない、ただの肉塊と化したそれが。まだ歳若い少女だと気付いて、私はさらなる息苦しさを覚える。
もう、動かないはずの心臓が、痛みに軋む。

なぜ、この心は、怪物と成り果てたときに、壊れてしまわなかったのだろう。
神の御手から、遠く離れたところに堕ちてしまったときに失くしてさえいれば、こんなにも苦しい思いなど、しなくとも済んだだろうに。

襲ったときの記憶など、ありはしないのだ。
この身の内に潜む凶暴な怪物は、私の意思とは関係なく、渇けば血を求めて暴れ出す。
自分の欲望を満たすためだけに、平気で命を奪う。
だが、いつからだろうか。まるで獣のようだった頃ほどには、残虐なことはしないようになり始めていた。無残に引き裂かれた死体ではなく、首以外に傷のないそれは、まるで眠るように綺麗なままで。
だが、その安らかに眠っているかのような死体が、なおさらに自分の罪を目の前に突きつけてくるのを、私は感じ始めていた。
たとえ、眠っているように見えたとしても、奪った命は、もう二度と元には戻らないのだと。
どんなに後悔をしても。
どれほどに罪を悔いても。
誰も許してはくれない。許されない。
それだけが、すべてなのだと。

無意識に胸で十字を切ろうとして、手を止める。
血で穢れた自分が祈っても、決して神には届かないだろう。
きっと、この手の中のロザリオも、血に染まってしまったのだ。
皮肉なものだと、思う。
神を信じ、神にすべてを捧げて生きようとしていたこの自分が、今は世界中の誰よりも神からは遠い。
闇の中にあって、更に深い闇と成り果てながら彷徨い続けることが、この身に課せられた罰ならば、どれほどの業を負って私は生まれてきたというのだろう。
果てることのない、孤独と罪の意識とに苛まれながら、それでも、望まぬ生を生きねばならない苦痛を、噛み締めて。
贖うことの出来ない罪を、重ねながら、生かされ続けてゆく。

闇に浮かぶ青白い月の光を見上げると、その冷たさに自嘲めいた笑みが浮かぶ。
決して温めることのない光は、ただ残酷に、夜毎私の罪を見つめ続けている。
まるで、その罪業を暴くかのように責めるように、私を照らす。
この罪深い、魂を。
死にすら疎まれ、贖う術さえ奪われた、この身を。

なぜ存在するのかと。
いつまで、何のために生きなくてはならないのかと、夜を照らす孤独な光の中に浮かび上がる答えのない問いは、ずっと胸の内で繰り返される。

「主よ… なぜ、わたしのようなものを作られたのですか…」
ただ、奪うだけの、あってはならない存在を。

きっとこの先もずっと、私は問い続けるのだろう。
答えてくれる者のない問いを、何度も何度も。
血の涙を流し続けながら。
この命が果てる瞬間まで。
誰かが、この命を終わらせてくれる、その日まで…

「誰か…わたしを殺してくれ…」
誰か… と。

それは祈り。
残酷な運命を嘆き、救いを求める、弱き羊の祈り。
永劫の闇の時間を終わらせてくれる、メサイアを求めて。
彷徨い続けてゆくのだ、今夜も。

『求めよ、さらば与えられん』
神のその言葉を。
ただ、信じて。



08/10/18   了
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激しくネタバレ…なのですが。
もの凄く書きたかったのです。
煌の過去ネタ…

08/10/20UP
14/12/16再UP
-竹流-


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