きみという光
そっと、髪に触れてくる温もりに、ふと、意識が浮上した。
静かな闇の気配が、まだ部屋の中には漂っている。
ぼくが眠っていると思ったんだろう。
そのままきみは、ぼくの頭を優しく抱き寄せた。
目を開けようかとも思ったけれど、このまま、また眠りに落ちるのもいいかなと、ぼくは寝たふりを決め込む。
ああ、そう言えば、きみの心臓の鼓動が心地良くて、きみの身体を抱きしめて、その胸に顔を寄せたまま眠ってしまったんだった。
女性のものではないその身体は、柔らかな膨らみなどは持たないけれど、きみの温もりは何よりも、ぼくに安息をもたらしてくれる。
離れたくない、と思う。
離せない、と想う。
ずっと、側にいたいと、願う。
こんなにも狂おしくきみを求める気持ちを、なんと呼べばいいのか、ぼくは知らない。
本当は、ひと時も離れてはいられないんだ。
きみと離れている時間は、ただ、それだけで苦痛。
過ぎた感情だと、自分でも自覚はある。
きみのすべてを手に入れて、なのにまだ、もっと欲しいと望んでしまう。
自分でも、怖くなるほど、この感情に底は見えない。
奪いたいわけじゃない。
それは真実。
なのに、きみを渇望する心は、満たされることを求めて、貪欲に奪う。
きみを啼かせて、喘がせて、耐えられなくなってきみが許しを請うても、止められなくて。
意識を手放すまで攻められたきみは、その瞬間、何を想うのだろう。
涙に濡れたきみの瞳は、それでも何も責めることなく、とても綺麗で。
ぼくはその度に、後悔する。
意識を失った身体を抱きしめて、許して欲しいと、ただ、震える。
これ以上無く、きみとひとつになりたい。
そんなことは、無理なのだと、頭ではわかっているんだ。
けれど、求める気持ちが大きすぎて、どうにかなってしまいそうで…
昔、フランスで、日本人の青年が恋人を殺して、その肉体を食べていたというニュースが
世界中に流れたことがあった。
別れ話を言い出した恋人を、放したくなくて、その青年は行動したらしい。
食べた理由は、恋人とひとつになりたかったからだと、彼は言った。
うらやましい…と想うのは、ぼくが狂っているからなのかな。
きみを殺して、切り刻んで、食べてしまう。
きみはぼくの血肉になって、ぼくの中で、生き続ける。
完全に、ぼくたちは、ひとつになれる。
時折、そんなことを考えては、自分の中のおぞましい妄想に慄く。
けれど、それはなんて、甘美な誘惑なのだろう。
きみが何処かへ行ってしまうのではないかと、怯えることも無く、きみが誰かに奪われてしまうのではないかと、不安に苛まれることも無く、永遠に自分だけのものにできる。
ぼくが、こんなことを考えていると知ったら、きみはなんて言うんだろう。
狂ってる。
そう言って、ぼくのもとから、逃げようとするだろうか。
でもきっと、ぼくは逃がさない。
暗い欲望の命ずるままに、きみを捕らえてしまうだろう。
そして、きっと、そうしてしまうだろう。
けれど、そんなことになってしまえば、もうきみを抱きしめることも、抱きしめられることもできなくなってしまう。
この温もりに触れて、この柔らかな鼓動に耳を寄せて、眠ることもできなくなってしまう。
それは、やはり、ぼくの望むことでは、ないのではないか。
きみを求める気持ちはひとつなのに、ぼくの心はバラバラで、散らばったジグソーパズルのように、その形は決まらない。
人として、かなり破綻しているぼくの心は、足りないパーツも、きっと、ひとつやふたつでは無いだろう…
気が付くと、きみの身体が微かに震えて、押し殺した嗚咽が、そのくちびるから、漏れ聞こえる。
泣いて…いる?
その事実に、愕然と身体が強張る。
不安が、胸の中に広がって、暗い影を落とす。
家が恋しくなったのだろうか?
隠れながらの逃亡生活に、疲れてしまったのだろうか?
それとも、ぼくを捨てて、自由になりたいのだろうか?
そんなこと、いくら考えてもキリが無いのに、愚かなぼくは、悲しい想像ばかりしてしまう。
「…どうしたんですか…」
震えそうになる身体を、押し止めて、静かに、問いかける。
きみの大きな黒曜石の瞳が、ぼくを捉えて、一瞬、揺れた気がした。
ああ、どうして、きみの瞳はこんなにも、穢れを知らないんだろうね。
深い闇の中にあっても、煌めく光を湛えるように。
なんて、ぼくとは、違うのだろう…
きみの頬に、手を伸ばして、流れる涙に触れてみる。
濡れたその感触は、それでもとても温かくて、わけも無く、切ない。
「なぜ、泣いているんですか…?」
すると君は、驚いたように、二、三度瞬きを繰り返して…
それから、穏やかに微笑むと、ぼくの首に腕を回してきた。
「…あんたが…好きで…好きで好きで…どうしようもなくて…涙が出ちゃうんだよ…」
まさか、こう来るとは。
いつもなら、恥ずかしがって、言ってもくれないようなセリフをさらりと言われて、胸の鼓動が、十割り増しくらいに跳ね上がる。
一瞬にして、ぼくの不安は吹き飛ばされて、きみの体温と同じくらい、温かな気持ちにさせられてしまう。
本当に、きみには、かなわない。
どんなに醜く、暗い感情をぼくが抱いていたとしても、きみはいつも、その温かい光で消し去ってくれる。
時には笑って。時には怒って。
感情豊かに、ぼくを包み込んでくれる。
ああ、そうか。
きみという存在は、それだけでもう、ぼくのすべて、なんだ。
「ぼくも、大好きですよ」
きみの好きな、やさしいキスをあげるよ。
何度も、何度も。
きみが眠りに落ちるまで。
ぼくには、なにかが足りないけれど、それでもいいと、きみは笑ってくれる。
足りないパーツは、ふたりで探せばいいと、示してくれる。
そうしてぼくに、与えてくれる。
きみとなら、本当に、見つけられるかもしれないね。
ぼくが失くしてしまった、なにかを。
そのとき、ぼくは、どう変わってゆくのだろう…
この狂った心が抱える闇に、飲まれてしまわないように。
たくさんの血で穢れた身体が、ふたたび、闇に染まらないように。
いつか来る、最後の瞬間まで。
どうか、このぼくを照らしていて。
きみの、その光で…
05/05/16 了
05/05/20 改訂
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05/05/21UP
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