約束





それは、突然のことだった。

泣いてしがみつく、おれに向かって、この人は言った。
「…そうですね、ずっと、一緒に、いましょう…」

力強く、抱きしめて。
確かに、そう、言ったのに…


その瞬間、衝撃がおれの身体にまで伝わって、そして、高遠は弾かれるように、床の上に倒れた。
叫び声も、何も無く。
ただ、倒れた。

「た…かとお…」

赤黒い血溜まりが、高遠の頭を中心に、見る見るうちに大きく、円を描きながら広がってゆく。
それはまるで、黒い鏡のように、おれの姿を、周りの景色を、映しているのが、見えた。
ぺちゃり、ぺちゃりと、液体なのに、どこか粘着質な音を立てるそれを踏み締めながら、おれは、高遠の傍に歩み寄った。
横を向いたまま、血溜まりの中心で倒れている高遠の顔は、まるで眠っているように穏やかで、微かに微笑むように、口角を上げていて、そして、涙のあとを引いている。
けれど、いつもと変わらない、綺麗な高遠の顔。
なのに、弾の入ったところから流れ出した血が、その綺麗な顔を汚していて、おれは震える手で、それを拭った。けれど、水とは違う粘り気のあるそれは、なかなか綺麗に取れてはくれなくて、ごしごしと擦ると、高遠の頭が、まるで糸の切れたマリオネットのように、揺れた。

高遠のサラサラの黒髪が、ぐっしょりと濡れて、血溜まりの中に溶けている。

おれは、高遠の直ぐ横に座り込むと、そっと、頭を抱きかかえようとして、気が付いた。
高遠の、下になっている左半分の頭部は、砕けて無くなっていた。
周りを見回すと、血溜まり以外にも紅い印が飛び散っていて、部屋の中は、まるで安物のホラー映画の様相を呈している。

よほど、威力のあるライフルを使ったのだろう。
腕の良いスナイパーが、狙ったのだろう。
銃声を聞かなかったから、サイレンサーも付けてあったのだろう。

この人は、凶悪な、犯罪者だから。

いつかこうなることは、わかっていた。
今日は特に静かで、何かを感じていた。
でも、信じたくなかった。
今も、信じられなかった。
高遠が、おれの傍から、いなくなってしまうなんて。

「たかとお、目を開けろよ。早く、起きろって」

おれは、残っている中身が零れ落ちてしまわないように気をつけながら、高遠の頭を膝の上に抱え上げた。
穿いているジーンズが、あっという間に血を吸って、重くなる。

人間の身体って、70パーセントが水分だって言うけれど、本当なんだなあ。こんなにもいっぱい、血が入ってるんだもんなぁ。

奇妙に現実的なことを考えながら、そのくせおれは、高遠が目を開けて、起き上がってくることを、疑ってなどいなかった。
だって、ずっと一緒にいると、約束したから。
この男は嘘つきだけれど、人を騙すことに、快感を覚えちゃうようなヘンなヤツだけど、でも、おれとの約束だけは、一度も破ったことが無いんだ。
だから、おれだけを置いていってしまうなんて、あるわけ…無いんだ。

「早く、起きろって、なあ、たかとお…」

透明な雫が、高遠の顔の上に、零れ落ちて行く。
視界がぼやけて、高遠の顔が、よく見えなくなる。
なんでだろう?
涙が、止まらないんだ。

キスをすれば、目を覚ますかな?
前に高遠が、なかなか目覚めないおれを、そうやって起こしたことがあったっけ。
今度は、高遠が眠り姫だな。

ゆっくりと顔を近づけて、そっと、くちびるに触れてみる。
柔らかくて、まだ温かいその感触に、けれど逆に、現実を思い知らされて。

血の味の、くちづけ。
動かない、高遠。

ああ、そうか。100年の眠りに、就いたのか。
じゃあ、おれも眠らなきゃ。
高遠が目覚めるときに、おれが傍に、居てやらなくちゃ。
この人は、意外とさびしがりやだから。

どうしても、現実を、認めたくなくて。

たくさんの足音が、ばたばたとこちらに向かってくるのが、聞こえていた。
ぼんやりと、正気を失いかけた頭で、それを感じていた。
バンッ! と、無駄に大きな音を立てながらドアが開いて。そちらに顔を向けると、大勢のスワットらしき黒っぽい服を着た男たちが、銃を構えたまま踏み込んで来て。
そして、なぜかおれを見て、息を飲んだのが、わかった。

その中に、おれは、見知った顔を、見たような、気がしていた。
色素の薄い髪に、メガネをかけた、深い知性を感じさせるその人は、おれと目が合った瞬間、痛ましげに顔を歪めた。

おれは、言った。

「ねえ、おれも、撃ってよ」

笑い声が、聞こえていた。
泣き笑いのような、哀しい声が。

いつまでも。
いつまでも。





「…じめ、はじめ! 起きてください! はじめ!」

はっと、目を覚ました。
何度も何度も、瞬きを繰り返した。
全身にびっしょりと汗をかいて、なのに身体が、小刻みに震えている。

おれの顔を、心配そうに覗き込んでいる高遠の顔を、サイドテーブルの上の灯りが、暖かな光りで照らしているのが見えた。
まだ夜は、明けていないようだった。

「…たかとお…」

おれが声を掛けると、高遠はようやく、ホッとしたような笑みを浮かべた。
「酷くうなされていて、驚きましたよ。…怖い夢でも見たんですか?」
言いながら、おれの頬に伝う涙を、そっとしなやかな指先で拭ってくれる。
おれが震えながら、高遠のパジャマを掴んで引き寄せると、高遠はその温かい腕で、おれの身体をやさしく包んでくれた。

「…大丈夫ですよ。落ち着いて」

小さな子供をあやすみたいに、おれの背中をさすりながら、おれの好きな声で囁いて。
安らぎを、与えてくれる。
温もりを、与えてくれる。
時には、狂おしい時間と情熱も、与えてくれる。
おれの幸せは、確かに、今、ここにある。

新しい涙が、おれの目から零れ落ちると、高遠はそれを拭いながら、おれに口づけた。
何も、考えられなくなるくらい、深く、長く、官能的に。
高遠の想いが伝わってくるようで、おれは充たされた気持ちになって。
ようやく離れたときには、お互い息が上がってしまっていたけれど、おれの身体の震えは収まっていた。
高遠が、おれの髪を指で梳くように、頭を撫でる。
「落ち着きました?」
にっこりと、やさしく微笑んで。
「うん…」
おれも、微笑んで。



いつも、不安は消えない。
失ってしまうのではないかと、いつ、その日が来るのかと。
覚悟してる、はずなのに、心のどこかで怯えている。

だから…
こんな夢を、時折、見てしまう。

高遠は何も言わないし、何も聞かない。
けれど、おれがうなされる度、抱きしめて慰めてくれる。
きっと、おれがうなされる理由を、わかっているのだろう。
同じ不安は、きっと、高遠の中にもあるんだ。

でも、ずっと、一緒にいたいんだよ…
夢の中でも呟いたセリフを、もう一度、胸の中で繰り返す。
迷いは無かった。

「なあ、たかとお」

おれは、高遠の背中に腕を回しながら、言う。
「もしも、さ…」
高遠は、「ん?」とでも言いたげに、少し首をかしげた。
黒くてサラサラの髪は、高遠の些細な動きにも揺れた。
それを見ながら、おれは、とても穏やかな気持ちだった。
「もしも、おれたちが追い詰められて、逃げられなくなったら、そのときは…」
「そのときは?」
高遠が、鸚鵡返しにおれに聞いてくる。微かな、不安を滲ませながら。
おれは、真っ直ぐに高遠の瞳を見つめると、躊躇いなく、言葉を続けた。
「あんたの手で、おれを殺して」
高遠の眼が、大きく見開かれる。不思議な、月色の虹彩が灯りのオレンジを溶かして、深い色合いを増していた。
「約束して欲しいんだ。最後は、あんたの手で、終わらせてくれると」
「はじめ…」
高遠の手が、おれの頬に、触れてくる。その指先は、少し震えている。
そして、今にも泣きそうな表情を浮かべると、柔らかく、口元に笑みを形作った。
「たかとお…?」
それを、どう受け取っていいのかわからなくて、おれが不安げに声を洩らすと、いきなり抱きしめられた。
強く、息もできないほどに。

「…たか…」
「うれしい…」
おれの言葉を遮るように、高遠のくちびるから、言葉が紡ぎ出される。

「どんな愛の言葉を贈られるよりも、うれしい」

その声は、歓喜に震えているかのようだった。
おれも、答えるように、高遠の身体を抱き返す。
確かな温もりが、泣きたいくらい、幸せだと思えた。

「約束しましょう。ぼくが逝くときは、必ず、きみも連れてゆくと」
「うん」
「ぼくが、
きみを殺してあげる」
「うん」
「じゃあ、誓いのくちづけを…」
「うん」

まるで、神様にでも誓うように、神聖な気持ちでくちづけを交し合う。
指を絡めて、そして、もっと深く、愛を確かめ合う。

おれたちは、こんな形でしか、愛を誓うことはできないけど。
でも、だれよりも、愛してる。
これだけは、真実。
あんたが居なくなったら、きっとおれは、生きる意味を失うんだ。

だから、一緒に連れて行って。
あんたの手で。
それがきっと、おれにとって、一番の幸せ。

あんたを選んだ、その瞬間から、わかってたこと。

犯罪者を愛した結末として。
それはきっと、これ以上無い、上出来の幕引きに違いないだろう。




05/09/10    了

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暗い!!!
自分で書いといてなんですが…暗いって!
いや、『蜩』の続き的に考えてて、んで、夢落ちにしようと企んで、
その上に、以前から少し考えていたお話を混ぜたら、こんなことに…
恐ろしく、暗くなったって〜〜〜!
うう、すいません、すいません(汗)。
初めの書き出し部分を読んで気分悪くなられた方、すいません(滝汗)。
恋人部屋らしく、ラブラブなのも、増やさねば、ですね…

−新月−
05/09/10UP

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