DOKIDOKI


居間のお気に入りの窓辺から、夏よりもずっと高く深くなった空を見上げると、おれはいつものように、窓を開けた。
今日のおれは、高遠よりも早起きだ。
昨夜、遅く帰ってきた高遠は、まだ、眠ってる
たまには、おれが朝食作ってやっても、いいよな? なんて、考えたわけよ。
ああ、おれってば、なんて、けなげv

軽く身震いするくらい冷たい朝の清浄な空気が、光と共に、部屋の中に流れ込んでくると、おれは大きく息を吸い込んだ。すぐ裏の公園の、緑の香りのする空気で、胸がいっぱいに充たされると、頭の芯から目覚めてゆく、心地良い感覚を全身に感じる。
と、突然、あの小さな星屑の甘い香りが、鼻先を掠めた気がした。
そう言えば、日本では、金木犀が咲いている頃、だろうか。
こちらでは、あの甘い香りのする木を見た覚えが無いから、それは、きっと、錯覚なのだろうけど、少し、懐かしいような、切ないような気分になってしまった
金木犀には甘く、幸せな、思い出がある。

おれは、そっと笑みを浮かべると、瞼を閉じた。
赤い闇が降りると、記憶の糸を手繰り寄せる。

金木犀の香りが、強くなった気がした。



「こんばんは、はじめ」


よく響くテノールの声が、少し控えめにおれの名を呼ぶのを耳にした途端、おれは、跳ね起きていた。
真夜中をとっくに過ぎている時間、窓辺に、細身の見慣れた黒い影が、立っている。
いつもいつも、会いたくて、でも、連絡も取れなくて、ただ、待っているしかない相手。

「たかとお…」

おれは、枕元の灯りを点けるとふとんから抜け出して、傍に寄った。
会いたくて、仕方の無かった相手が、すぐ目の前にいて、おれは、胸の鼓動が耳に煩いほど、高鳴ってしまうのを止められなかった。
薄暗い灯りの中で、高遠は、おれを見つめながら、穏やかに微笑んでいる。

「…? 何か、甘い香りがする?」

「きみに、プレゼントです」
おれの目の前で、高遠のしなやかな指が、すっと上がって、何も無い空中でくるりと回ると、その手に、一枝の金木犀が現れた。
「きんもくせい…?」
「ええ、来る途中で、あまりにも見事に咲いている木があったので、一枝失敬してきました。きみに差し上げます」
おれに向かって、差し出されたその枝を受け取りながら、おれは、なんだか緊張して硬くなってしまってて。
「あ…ありがと…」
受け取ったその枝には、小さな星屑みたいなオレンジ色の可憐な花が、幾つも咲いている。
とても、甘い香りがして、野郎の部屋に置くには、酷く不似合いな気がして、口元に苦笑が漏れた。
「気に入りませんでしたか?」
首を少し傾げて、微かに残念そうな色を含んだ声が、高遠の赤い唇から零れる。
「ううん、そんなこと無い。嬉しいよ…」
おれは、自分より少し高い位置にある高遠の顔を見上げて、そのあと、言葉を続けようとして、…黙ってしまった。
「どうしたんですか? どうして、そんな寂しそうな顔をするんです?」
高遠の手が伸ばされて、そっと、壊れ物にでも触るように、おれの頬に触れてくる。
「…なんか、ずるいや…」
おれの口から出た言葉は、かなり高遠を驚かせたらしい。
高遠は、今度は両手でおれの頬を包み込むと、自分の方に向けて、固定した。

「ぼくが…ですか?」
「うん」
「どうして?」
「だって…」

顔を、反らせたいのに、高遠の手で固定されていて動かせない。ヘンなトコ、丁寧なくせに、ヘンなトコで強引だよな、ほんと。

「だって…なに?」
高遠の眼は真剣で、適当に誤魔化せそうに無い。
「だって…」
おれはオウムのように、もう一度その言葉を口にして、続きを言おうとして、顔が、全身が、熱をもって紅く染まってゆくのがわかった。
もう、心臓が壊れそうなくらい、激しく脈打っていて、眩暈がしそう。
なのに、
「はじめ?」
すぐ目の前で、不思議そうに、高遠は声を上げる。
もう、こんなことも言わねえとわかんないのかと、おれは、恥ずかしさと、それ以上に腹も立ってきて、気が付くと一気に喋っていた。

「おれは、すっごく緊張して、ドキドキしてんのに! あんたってば全然普通だろ? 久しぶりに会えたって言うのに… なんか、おれ、ひとりだけ、馬鹿みたいじゃん!」

うわ〜、涙まで出てきた。はっずかし〜。
目の前の、高遠はというと、おれの言葉を聞きながら、穏やかに、嬉しそうに笑んでいる。
あっ、なんか、よけい悔しいぞ?
とか考えていると、高遠がおれの眼から零れた涙を指で拭って、その、赤い唇を動かした。
「…そんなことを、考えていたんですか? ほんとに、馬鹿ですねえ」

むかっ!

「い、言われなくても、わかってらい!」
枝を持ってない方の手で、高遠の手を振り払おうとしたら、逆に、その手を取られてしまった。
「な、なんだよ」
「はじめ、静かに、感じて…」
高遠は、掴んだおれの手を、自分の胸に当てた。

「えっ?」
思わず、声を上げていた。
「わかりました?」
目の前の高遠は、相変わらず、涼しげな顔で微笑んでいる。
けれどその胸は、…おれよりもずっと激しい鼓動を刻んでいた。

「た…かと…」
「ぼくだって同じです。いつも会えるわけじゃない恋人に会えれば、こうして胸の鼓動は高鳴ります。でも、マジシャンがそんなこと、いちいち顔に出すわけないでしょ?」

そのまま、抱きしめられて。
自分の身体に高遠の鼓動を直接感じながら、おれの鼓動も、高遠にわかっちゃうんだろうな、なんて。恥ずかしいような、嬉しいような気持ちで抱き返して。
そして、唇を重ねて。

互いのドキドキを感じながら、金木犀の甘い香りに包まれて過ごした、幸せな夜…




「おはようございます」

気が付くと、すぐ横に高遠が立っていた。
いつものように、おれを見つめながら、やさしく微笑んでくれる。
そんな高遠を見ていると、おれは、未だに胸のドキドキを止められなくなる。悔しいけど。
「おはよ」
わざと素っ気無く答えるおれに、高遠は、気を悪くする風でもなく、おれを見つめたまま。
「今日は、早いんですね」
言いながら、しなやかな指先でおれの頬に触れてきた。
「何を考えていたんですか? 頬が紅いですよ?」

うわ〜〜〜! おれってば、バレバレだっ!

「う〜〜〜〜〜!」
「そんなに、唸らないで。さあ、話してしまいなさいv」
クスクスと、楽しそうに笑みを零しながら、高遠は、おれの顔を覗き込む。

ちょっと待てっ! 高遠!! その顔は、殺人的だっ!!!

益々、高鳴ってしまう胸の鼓動を感じながら、紅潮してしまう頬を意識しながら、なのにおれは、高遠から眼が離せなくなってしまう。
「…たかとお…」
おれが名前を呼んだら、なぜだろう、高遠のほうが急に困ったような笑みを浮かべて。
「…きみには、敵いませんねえ」
そう言って、ため息交じりに、窓の外に顔を向けた。

風が、高遠の漆黒の髪を揺らして、いたずらに乱している。
綺麗なその横顔を、おれはじっと見ていた。
まるで、時間が止まってしまったみたいに、想えるひととき。
何も変わっていない、高遠を想う気持ちも、この、胸の高鳴りも、ずっと。
いや、違うのかな? 変わったモノもあるかな?
だって、あの頃よりも、おれは、高遠のことが…

少しの沈黙の後、高遠が、何かに気付いたように、唇を開いた。
あの頃と変わらない、朱を引いたのかと思わせるほどに赤い、その唇。

「…そう言えば、金木犀の季節ですね」
「えっ? う、うん」

高遠ってば、ほんとに心臓に悪い。
最近なんか、おれの考えてることがわかるのか? と思ってしまうようなことばかり言うもんな。もしかして、以心伝心、ってやつ? 
なんて、冗談みたいなことを考えていたら、高遠が涼しげに、笑みの形に口元を歪めて、また、おれを見つめる。

「はじめ、もう一度あの時みたいに、ぼくの鼓動を…確かめてみます?」
「えっ?」

驚きに眼を丸くしている、おれの手を、掴んで。
そして、そのままゆっくりと、自分の胸元に持って行く。
おれは、ドキドキが、止まらない。

あの頃から、ずっと。

たかとおは?

今も、ドキドキ、してる?


05/10/06   了

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ラブラブですv はじめちゃんが、ちょっと、乙女でしょうか?
本当は、日記に書こうかと思ってた作文なのですが、考えてるうちに結構長くなってしまったので、こちらにアップすることにしました。
熱あって、あんまり頭が回ってないので、ちゃんと書けてないかもですが、ご勘弁を。
秋になって、人恋しい季節なもので、ついつい、ラブラブばっかり考えてるのでした。

−新月−
05/10/06UP

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