誓い




「なにこれ?」

突然、パサリと頭から掛けられた薄い布を不思議そうに眺めながら、当然のようにはじめは疑問を口にした。

「ヴェール…ですが?」
「は?」
「女性が、祈りのときなどに被ったりするものですよ。流石にレースやフリル付きは嫌かなと思って、シンプルなのを探したんですよね。でも、これが意外なほど見つからなくて苦労しました」
なぜだか、妙に満足げに高遠は話しているのだが、はじめの聞きたいのはそんなことではない。
「あ〜…いや…そりゃ、ご苦労さん……で、あんたの苦労話はわかったけど、なんでそれがおれの頭の上に被せられてんの?」
けれど、はじめの質問に、逆に高遠の方が『何を言い出すんですか』とでも言いたげな表情を浮かべているのを見て、はじめは、自分の方がなにか大切なことを忘れているのかと不安になってきた。
が、どう考えてもおかしい、思い出せない。
「え…っと、…おれ、なんか、忘れてんの…かな…?」
再度、今度はかなり控えめに訊いてみる。何せ、自分にはこんなものを被る道理も必要もないわけで、どうにも解せないのだが、高遠の自信満々な様子を見ていると、やっぱり自分が間違っているような気がして来るのだ。
しかし、今度は、高遠が不安げな声を出した。

「あれっ? はじめが言い出したんじゃありませんでしたっけ?」
「なにを?」
「…形だけでいいから……結婚しようって///」
「はああああああああぁ?」

青天の霹靂とは、まさにこういうことを言うのだと、はじめは身を持って知った気がしていた。
目の前の男は、普段から素行と言うか、考えているポイントが、微妙に一般とは少しずれているようには思っていたが、まさか、ここまで思い込みの激しいヤツだったとはっ。
一瞬、頭の中が真っ白になって、ポカンと口を開けたまま、はじめは高遠の顔を見ていた。
けれど、当の高遠はいたって涼しげな顔で、
「はじめ、口が開けっ放しですよ」
などと、微笑んでいる。

「た、たかとお、おれ、絶対にそんなこと言ってねえぞっ!!」
「う〜ん、もしかしたら夢の中の話だったかもしれませんねえ」
「なんだそりゃっ!」

否定の言葉に対し、かえって来た言葉はあまりにものんびりとしたもので、はじめは戸惑うしかない。
「まあ、いいじゃありませんか。じつはもう、準備しちゃってるんですよね v 」
「はああああああああああぁ?!」
はじめの頭の中は、ほぼパニック状態である。
目の前の男は、自分の勘違いもそっちのけで、すでにその気満々らしい。
自分の置かれている状況が、非常にやばいものだということにはじめは気がつき始めていた。なんせ高遠は、思い込むと直情的に突っ走ってゆく所があるのだ。
この性質がゆえに、あんな面倒な犯罪計画なんぞも、準備段階から長い月日をかけて、こつこつと実行してゆくことが出来たのだろう。
それも、嬉々として。
だから一度計画したことは、絶対に最後までやり遂げるに違いないと思うのだ。
この場合は、はじめとの結婚式ということになる。
嫌なわけではないが、どう考えてもこれは、はじめが女性のように扱われるのが目に見えている。…神父の前で。
そう考えて、はじめは全身の血の気が、音を立てて引いて行くのを感じた。

「た、たかとお… ほ、本気じゃ…ないよな? 冗談だよな…?」
「はじめ、ぼくが冗談でこんなことをする男だと、思うんですか?」
にこやかに返された言葉は、はじめを固まらせるに充分だった。
けれど、そんなはじめを宥めるように、高遠は話を続けた。
「心配しないで下さい。別に、教会まで一緒に押しかけようと言っているわけじゃないんですから。基本的に、教会は同性婚を認めてはいませんしね」
そのひと言で、魂が半抜けしかかっていたはじめは、気を持ち直したらしい。
「えっ? 教会に連れて行かれるんじゃないんだ?」
はじめの言葉に、クスリと微笑を浮かべると、高遠ははじめを手招いた。
「こちらへ来ていただけますか?」
頭からヴェールを被ったまま、はじめは高遠に招かれるままについて行った。

高遠がはじめを手招いた先は、いつも二人で使っている寝室。別に変わったところもなさそうなその部屋へはじめが足を踏み入れると、高遠は部屋のドアを締め、それからクローゼットへと歩み寄ると、その奥から布で包まれた細長い物体を取り出してきた。一見して、どうやらそれは置物らしい。
20センチほどの高さのそれを、高遠は酷く丁寧な手つきで、巻きつけられている古びた布を外し始めた。

いつの間に用意していたものなのか、気がつくと窓辺には小さな祭壇に見立ててあるのだろうテーブルが置かれていた。その小さな祭壇には、白い布が掛けられ、何本かの蝋燭が立てられている。
高遠は、その置物らしきものから布を取り去ると、静かにその祭壇の中心へと置いた。

「それって…」
「はじめて見るでしょう? 驚きました?」

はじめはこくりと素直に頷きながら、そこに置かれたものを凝視していた。

それは、高さ20センチあるかどうかというくらいの大きさの、聖母マリア像だった。
全体的に乳白色の、小さな陶器製のマリア像。アンティークなのか、その色には独特の深みがある。
高遠はそれを懐かしそうに見つめながら、
「これは、父の形見なんですよ」
と言った。
「親父さんの…形見?」
「ええ… なぜか父は、この聖母マリア像をとても大切にしていましてね」
信仰しているわけでも、なかったんですが…ね。もしかしたら、母に貰ったものなのかもしれません…
言いながら、どこか哀しげな空気を纏わせて俯くと、目を伏せた。
「たかとお…?」
「…きみは…行かないですよね?」
「えっ?」
「ぼくを置いて、先に死んでしまったり、しませんよね?」
顔を上げた高遠の眼差しは真剣で、息が詰まりそうなほどの切実さを含んでいる。
「ぼくの大切な人はみんな、ぼくをひとり置いていってしまった。きみは、きみだけは、どこにも行かないですよね?」

だから、誓ってほしい。
ずっと、傍にいると、離れないと、このマリア像の前で…

高遠の、胸の内の言葉が聞こえた気がした。
その孤独に、その痛みに、胸が詰まるような感覚を覚える。
この男は、ずっとこんな孤独を抱えて、一人で生きて来たのだろうか。

はじめは、高遠に手を伸ばすと、身体を押し当て、ぎゅっとその細い身体を抱きしめた。
母親が、小さな子供を抱きしめてあやすみたいに、ぽんぽんと背中を軽く叩きながら。
「はじめ?」
高遠が、不思議そうに声を上げる。はじめは、高遠の身体を抱きしめたまま、答えた。
「大丈夫、おれは死んだりしないよ。あんたに殺されかけた時だって、しぶとく生きていただろ? きっと、死なないようになってんだよ。だから大丈夫。大丈夫だ」

高遠の腕が、はじめの身体に回されて、まるでそれが返事であるかのように、強く抱き返される。
力強く抱きしめるその腕は、ほんの微かな震えを、はじめに伝えていた。



小さな祭壇の上の蝋燭に火が灯され、部屋の灯りが落とされると、室内は酷く厳かな雰囲気に包まれた。
はじめは、顔が隠れるくらいに深くヴェールを被り、祭壇の前で、高遠と向き合っている。
神父も誰もいない。二人きりの空間。
祭壇に飾られた聖母マリアだけが見守る中、向かい合い、手を握り合っている。

「いいですか? はじめ」
高遠が声を掛けると、はじめは小さく頷いた。

「汝、金田一はじめは、高遠遥一を生涯の伴侶とし、病めるときも健やかなる時も、共にあることを誓いますか?」
静かな高遠の声が響くと、はじめはまた、こくりと頷いて。深く、息を吸い込んで。そして、自らも口を開いた。
「…誓います。…汝、高遠遥一は、金田一はじめを生涯の伴侶とし、病めるときも健やかなる時も、共にあることを誓いますか?」
「はい、誓います」
きっぱりと、断言するような口ぶりで、高遠は答える。

決して、死が二人を別つまで、とは言わない。
共にあること、それが一番大切なことだから。

高遠の手が、はじめのヴェールに掛かって、ゆっくりとした動きでそれを持ち上げてゆく。
はじめは、高遠の顔をじっと見つめていた。
蝋燭の灯りに照らされて、深い陰影を刻んでいる目の前の男は、ため息が出そうなほどに綺麗だ。炎を映した月色の瞳が、優しげな光を湛えて揺れている。
はじめは、なぜだか、泣きたい気持ちになっていた。
誰かのことが、好きで好きで、幸せで、そんなときにも人は泣きたくなるのだろう。

「永久の誓いを」
「うん」

目を閉じると、暖かい手に頬を包まれ、柔らかく湿った感触がくちびるに触れて。
魂が、震えた。
涙がひとすじ、はじめの頬に零れていた。

どうか、いつまでも、この人の傍に、いられますように…と。



聖母マリア像は、滑らかな光沢を纏いながら、蝋燭の光に照らされて、柔らかな笑みを刻んでいる。

すべてを受け入れるように。
すべてを許しているように。

慈悲深き御手を静かに広げながら、ただ穏やかに。
二人の、ままごととしか言いようのない、けれど切実な想いを、誓いを。
慈しみを込めた母の面差しで。
やさしく、見守っていた。



06/09/10    了

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今まで、絶対に結婚モノは自分では書けないよなあと、思っていたのですが。
いやだって、同棲で充分な気がするし、そんなのにこだわるのは女性だけだろと。
男の人って、そんな形式にはこだわんないんじゃないかな?というのが持論で。
なのに、何をトチ狂ってこんなのを書き出したかというと、きっかけは日記絵なのですよね。
いつになく可愛くはじめちゃんが描けたので、久しぶりに日記絵で作文書こうと思っただけだったのに。
お笑いにするつもりだったのが、気がつくとこんな話になっちゃってましたv
いろいろと修行が足りませんでした。はい。
元ネタになった日記絵は、LOGのどこかにあります。

06/09/10UP
−新月−

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