Minority love
いつものように闇に紛れ、軽やかに身を翻して目的の窓へ辿り着くと、用心深く、辺りの気配を探る。
誰にもつけられてはいない。誰にも気付かれてはいない。
それでも細心の注意を払いながら、アルミ製の、どこにでもある何の変哲もないガラス窓の枠に手を掛けると、手早く、音も無くそれを開いて、体を中へと滑り込ませた。
もう、この窓は、以前のように鍵を開ける手間など必要ない。ぼくが来るときには、必ず開かれているから。
灯りの消された部屋の中に入って、一番最初にするのは窓とカーテンを閉めること。
ぼくは慣れた手つきでそれをすると、ようやく彼に声を掛ける。
「こんばんは、はじめ」
普段なら、絶対に寝起きのよくない筈の彼が、この時ばかりは、ぼくの声に勢いよく飛び起きて、慌てて枕元にある灯りをつけて、そして、ぼくを見るんだ。
「たかとお…?」
確かめるように、ぼくの名を呼んで。
けれど、いつもなら、主人の帰りを待ちわびていた子犬のように、ぼくの元へとすぐに寄って来るのに、今夜の彼は、少し違った。
ベッドの上に身体を起こしたまま、何かを迷うように、動かない。
ぼくを見つめる眼差しが、心なしか虚ろで、今にも泣きそうに思えた。
「どうしたんですか? なんだか、元気がありませんね?」
「そんなことは…ないよ…」
そんなことはないと言う癖に、彼は気まずそうにぼくから視線を逸らすと、軽く頬を掻いて、小さくため息を吐いた。
どうやら何かあったらしい。
わかりすぎるくらいのはじめの態度に、ぼくは傍に寄ると、そのまま、彼のベッドの傍らに跪いた。
「どうしたんですか? きみがそんな風だと、ぼくまで不安になる。何かあったんでしょう?」
言いながら、彼の手を取ってその手の甲に口吻けを落とす。
「た、たかとおっ!」
真っ赤になって、慌ててぼくの手から自分の手を取り戻そうとするけど、離しませんよ。
こう見えても、きみよりはずっと、体力も握力もあるつもりですから。
「話してくれないと、このまま、お姫様扱いしますよ」
ぼくの言葉にさらに赤くなって、すごく変な顔をして暫く唸っていたけれど、どうやっても掴まれた手が離れないことに観念したのか、仕方無さそうにこくりと頷いた。
「話すから、そんなトコで跪いてないで、高遠もここに座れよ」
ぼくが立ち上がると、掴まれていた手でぼくの手を握り返して、自分の方へと引っ張った。
頬を染めたままで、困ったように微笑んで、ぼくを見上げて。
はじめがそんなことをするから、だから…
「〜〜〜〜〜あんたは盛りのついた猫かっ!!!」
暗闇の中で、あくまで抑えた声音で、はじめが声を荒げた。
「だって、きみが誘ったんでしょ?」
「あんたが跪いてたから、ベッドに一緒に座って話をしようと思っただけだろがっ!」
「はじめ、声が大きいですよ。フミちゃん…でしたっけ? 起きちゃいますよ?」
「あんたが声を荒げさせてんだろ〜〜〜」
不意に、枕元の灯りが点けられた。
光量を抑えた明かりに浮かぶのは、小さなベッドの寝乱れたシーツの中で、素肌を重ねている男ふたり。
何のことはない、話をする前にいたしてしまって、はじめを怒らせているのは、確かにぼくだ。
「そんなに怒らなくても… あんなに感じてたのに、良くありませんでした?」
大抵こう言うと、はじめは真っ赤になって、何も言わなくなってしまう。
まだまだウブだからなのか、覚えたての快楽に弱いだけなのか。
まあ、ぼくとしては、好都合なんですがね。
はじめが黙ってしまったのをいいことに、もう一度いたそうかと思ったら、はじめがストップをかけてきた。
「高遠、話を聞きたかったんじゃないのかよ」
声が、少し怒っている。
「やっぱり、あんた、おれの体だけが目的なんだろ。おれ、結構落ち込んでたのに…」
ふいっと顔を逸らせて、うっすらと目元に涙を滲ませる。
まさか、泣き出すとは思ってもいなかったから、正直、驚いた。
「どうしたんですか? 本当に何かあったんですか?」
慌てて身体を起こして、彼の顔を覗き込む。
「いいよ、どうせあんたなんか、おれの体が目当てなんだから」
涙目のまま、じろりと横目で睨みつけて。目の周りを赤く染めて。
でも、そんなきみの顔が、酷く扇情的だなんて言ったら… 本気で嫌われそうですよね。
「すみません、ぼくが悪かったんです。きみがそんなに落ち込む人だとは、まったく思ってなかったもので」
「…あんた、それって、おれに喧嘩売ってんの?」
「いえ? 何のことでしょう?」
突然はじめが、はあ〜〜〜と、妙に長いため息を零したのは、なんだったんでしょうね?
「…じつは、今日さ、学校の帰りに本屋に寄ったんだよね」
「漫画の本を立ち読みに、ですか?」
「そうそう…って、うるせえ! 話はそこじゃないんだよっ! 黙って聞けって!!」
「すみません、つい」
「もう、黙ってるように」
「はい…」
「でさ、おれが雑誌を立ち読みしてたら、丁度後ろの棚が女の子用の漫画雑誌の棚でさ」
「…全然話が見えないんですけど…」
「だから! 黙って聞けってっ!」
「すみません…」
「あ〜、どこまで話したっけ?」
「後ろが女性用の漫画雑誌の棚だという所までです」
「あっ、そうそう。でさ、3,4人の女の子がそこで話をしててさ。それが、同性愛モノの雑誌の話だったんだよね。なんでもそういう漫画雑誌とか、小説の雑誌とかがあるらしいんだ」
「盗み聞きはいけませんねえ」
「…そんなこと言うんなら、もう話してやんねえ…」
「うそです。話してください。ええと、そういった本を女性が読んでいるんですね?」
「……まあ、なんかそうらしい。でさ、後ろで、美少年がどうのとか、メガネ君がどうのとか言ってたんだけど、そのうちの一人の子が、『でも、実際にこんなのがいたら、やっぱり気持ち悪いわよ』って…」
その一言で、ようやくぼくは、なぜはじめの元気が無かったのかを理解した。
「ああ、それで落ち込んでたんですか」
「…うん… なあ、おれたちの関係ってさ、やっぱり人から見たら、気持ちの悪いもんなのかな?」
はじめの顔を覗き込むと、不安そうな瞳でぼくを見上げてくる。
黒目がちの大きな瞳に、どこか潤んだような光を湛えながら。
思わず、咽喉を鳴らしてしまっていた。それほどに、はじめの誘惑は抗いがたい。
まったく、どこが気持ち悪いものか、こんなに我慢しなくちゃいけないくらい蠱惑的だというのに。
「…そんなことを言う人なんか、放って置けばいいんですよ。それとも、はじめは、ぼくよりも、人目の方が大事なんですか?」
そっと、彼の頬に手を這わせながら、ぼくは訊ねる。
「そりゃあ、高遠のほうが大事に決まってる。でも、この関係が普通じゃないのも…わかってるつもりだよ…」
「確かに、ぼくたちはマイノリティーなんでしょうけど、他人に迷惑をかけているわけじゃないでしょう? 堂々としていればいいと思うんですけどねえ。まあ、ぼくが指名手配犯だから、そうはいきませんけど」
「うん…それは、そうなんだけど…」
何かを迷うように、はじめの視線が逸らされる。まだ、学生の彼にはショックが大きかったのだろうか。けれど、だからと言って、ぼくが彼を手放すことなんて、もう、できない。
そんなことになるなら、いっそ…
頬に触れていた手を、そっと首筋へと這わしてゆく。はじめの体がそれに反応して、ピクリと小さく震えた。
「…それともきみは、ぼくとの関係を、終わりにしたいの?」
我ながら、いつになく低い声だと感じた。手放すくらいなら、殺してしまおうか。そう、心の中で考えていたから。
なのに。
「はあ? なんでそんな話になるんだよ?」
思い切り怪訝な顔をして、ぼくをその瞳の中心に捉えた。
「いや、だって… きみが振ってきた話題だったんじゃ…」
「だ〜か〜ら、なんでそんな極論になっちゃうんだよ。おれが高遠から離れるわけ無いじゃん。そんなつもりだったら、こんな状態で引っ付いていねえって」
また、赤くなりながら、ぼくの頬にそっと手を伸ばしてくる。
ぼくたちは、まだベッドの中で、生まれたままの姿で肌を寄せ合っている。
触れ合っている温もりは、優しく互いを温めあう。
その、かけがえの無い、幸福感。
「もう、離れることなんて考えられない。そんなことは、こうなる前に考え尽くしたよ」
はじめの眼差しが、ふわりと柔らかく微笑む。
ああ、そうだったね。
追う者と追われる者でありながら、互いを求め合うまでになるには、深い葛藤があった。
こんなことぐらいで揺らぐような関係では、無かったね。
そう、ぼくが考えていると、
「あの時、気持ち悪いって聞いてさ、思わず『高遠は綺麗だから、気持ち悪くなんか無いぞ!』って言いそうになった自分が、逆に怖かったんだ。そこまでおれは、一般と感覚がずれてきてんのかなって…」
そう言いながら、目の前で、はじめが恥らう素振りなんか見せるから、だから…
「〜〜〜〜〜〜〜だからっ! あんたは盛りのついた猫なのかってっ!!!!!」
「いや、あんまりはじめが、可愛い素振りを見せるからじゃないですか」
「おれのせいなのかよっ! おれのっ!!」
「そうですよ? 全部きみのせいv 」
そう。
ぼくがこんなに、きみを求めて止まないのも。
いくら求めても、足りないのも。
きっと全部、きみのせい。
ぼくを惹き付けて止まない、きみのせい。
だから、マイノリティーだなんて言わないで。
誰かの言葉に、傷つかないで。
性別なんて、無意味なこと。
悪戯なキューピットが放った矢に、ハートを射抜かれた瞬間に。
人は恋に落ちるのだから。
06/12/01 了
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突発です。
ラブラブなのが、久しぶりに書いてみたくって、で、書きましたv
何の意味もありませんが、うちのはじめちゃんたちってやっぱり「マイノリティー」って呼ばれる人たちなんだよなあ、と思って。
いや、そんだけだったんです///
06/12/01UP
−新月−
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