スローダンスをあなたと
「うわっ」
突然の風にあおられて、おれは足を滑らせかけた。
背後には何も無い、みごとなばかりの崖っぷちだ。そのまま仰向けに倒れたら、まっ逆さまに落ちて、海の藻屑になっちまうだろう。
遥か眼下では、打ち寄せる波が岩に砕けて、白い飛沫を上げている。
さすがのおれも、慌てた。いくら運動神経が鈍いからって、これで死んだら、あまりにも自分が情けない。
「高遠を驚かしてやろうと思って崖の上に立ったはいいけど、うっかり足を滑らせて落ちましたv」
なんて、シャレにもなんねえってっ!
じつは今、おれたちは、ちょっとしたバカンスで海に来ている。
おれが「海に行きたい」って、言ったからなんだけどさ。こっちに来てから、ふたりで遠出とか、そんなにしたこと無かったし。それに最近、どうにも高遠が忙しそうで、あんまりかまってもらえなかったんだよね。
もしかしたら、おれが寂しそうにしてたからなのかなあ。急に高遠が、
「少し休みが取れそうですから、どこかへ行きましょうか?」
なんて言い出したんだ。
それで、海が見たいって言ったら、連れて来てくれたのがここだったってわけ。
穴場なのか、おれたち以外、誰もいないし、この近くには建物らしきものも見当たらない。海に向かって突き出ている岩場には草木もまばらで、断崖絶壁と言って差し支えないだろう。
まあ、観光客でごった返してる名所なんかも嫌だし、静かでいいんだけどさ。でも、ここに着くまで、ずっと寂しい道が続いてたから、どこに連れて行かれるのかと、ちょっと不安だったりもしてたんだけどね。
って、一応それは、内緒の方向で。
「うわあ」
車から降りて、崖の傍まで歩いていったおれは、思わず感嘆の声を上げていた。車を止めた位置からじゃ、海が見えなかったんだ。
この季節の空は鮮明で、どこまでも蒼く、深く、果てしなく明るい。
広がる海原は、空の色を映しながら、降り注ぐ光を受け止めながら、煌くように輝いている。そして、おれの視線の遥か先の水平線で、淡く空と交わり溶け合っている。
海から吹き付けてくる、まだ少し冷たい潮風は、おれの髪を心地よく揺らしていて。打ち寄せ、岩に砕ける波音は、下手な音楽なんかよりもよっぽどクールだ。
すげえ、気持ちいい。
ドキドキするような高揚感を全身で感じながら、おれは高遠を振り返った。高遠は、少し後ろの方でおれを見ていて、やっぱり微笑んでいた。そして、『気に入りました?』とでも言いたげに、少しだけ首を傾げてみせる。
おれは、最高にご機嫌だった。
きっと高遠は、おれを喜ばせるために、こんなところを探してくれたんだろうなって。
それに、何よりも、ふたりきりでこうしていられるのが、すごく嬉しかった。
素直じゃないおれは、絶対にそんなこと、口では言ってやらないけどさ。
それで、照れ隠しみたいにふざけて崖の際まで行って、高遠を振り返ったときだったんだ。身体の周りを流れる風に巻き込まれて、バランスを崩してしまったのは。
おれを吸い込もうとしている波音が、急に大きく聞こえ出した気がした。
あわあわと両手を振り回して、必死でバランスを取り戻そうとしたけれど、倒れようとする勢いは止まってくれない。
うわあ、金田一少年、一巻の終わり? とか、観念するような想いが頭を掠めたとき。
「あぶない!」鋭い声がしたと思った次の瞬間には、おれの身体は力強い腕に抱き止められていた。
驚きに目を見開いたままのおれのすぐ前に、見慣れたはずの高遠の月の色を映した虹彩を持つ眼が、でも、いつもとは違う、怖いくらいの真剣な眼差しでおれを見つめていて。
高遠の、漆黒に近い黒髪が、光を弾きながら海風に煽られて乱れて、彼の白い肌にまとわりついていて。
滑らかな絹の肌も、まっすぐに通った鼻梁も、驚いたせいなのか、少しだけ開きぎみになっている形の整った薄くて紅い唇も、まるで作り物のようによく出来ているのに、でも今、確かに命の躍動を感じさせる生の表情をしていて。
ああ、なんて綺麗な男なんだろう。
自分が置かれている状況も忘れて、おれは見惚れてしまっていたらしい。
いつも見てるはずなのに、何やってんだか。
「はじめ、大丈夫ですか?」
高遠の言葉に我に返ったおれは、けれど、顔を真っ赤に染める羽目になっていた。
仰向けに倒れかけたおれを抱き止めるために、高遠の右腕はおれの背後に回されている。
そして、左手は。いや、単におれが高遠に向かって、無意識に腕を伸ばしたからなのかもしんないけどさ。なんでか、おれの右手首あたりを掴んでいて。
そんな状態なんだから、当然、高遠の右足はおれの身体に合わせるように踏み出されていて、おれはというと、少し身体をのけぞらせる形に止まっているんだ。
そう、まるで、タンゴでも踊っているみたいに。
考えるまでもなく、恥ずかしすぎる!
なんで、男同士でタンゴ状態にならにゃいかんのだ!!
しかも、外でっ!!!
「た、たたたたた、たかとおっ!」
「今日は、なんだか『た』が増量中のようですけど、一応、大丈夫みたいですね」
涼しげな顔をして、にっこりと高遠は笑ってくれる。でも、まだ放してはくれない。
おまけに、その笑顔がまた妙に色っぽい気がして、おれはさらに紅く染まってしまうんだ。
「た、たかとお」
「はい?」
「も、放してくれよ…」
「今、放したら、落ちちゃいますよ?」
…そりゃそうだろう。だって、落ちかけたときの形そのままで、おれは抱き止められているんだから。
そんなことを考えていたら、おれを支えている腕がさらにおれを引き寄せて、高遠の身体に密着させる。目の前の高遠は、口元に笑みを刻んだまま、感情を見せない眼差しで、おれを見つめている。
なんなんだよお、この男はっ。
礼か? 礼を言やあいいのか?
「あ、ありがと… 助かったから、もう、放してくんない? なんか、さっきより身体が…引っ付いてる気がするんだけど…」
なんだか、目を合わせるのも、気恥ずかしくて。
紅い顔をしたまま、視線を外しながら告げた言葉を、高遠はどう受け取ったのか。おれを腕に抱いたまま、器用にくるりと身体を反転させると。
「こんな体勢になってますし、せっかくだから、きみにダンスを教えて差し上げますよ」
なんて、のたまった。
はあ? 何言ってんの? この人??
みたいな感じで。一瞬、高遠が何を言っているのか、おれにはわからなかった。
だって、そうだろ? 昼真から、おおっぴらに外でダンスなんて、純日本人なおれは考えたことも無いっつーの。
けど、おれがぽかんとしている間にも、高遠はマイペースにダンス指南を始めようとしていた。
「まず、左足から出して」
「ちょ、ちょっと待てっ! なに勝手なこと言ってんだよ?」
「いいじゃないですか。他に誰もいないですし」
「で、でも、これじゃあ、おれが女役じゃん!」
「ぼくが女性の役で踊ってもいいですよ?」
もうすでに、踊る気満々ですから。
そう、にこやかに返されては、はあ、そうですか、としか、おれには言いようが無い。
ちくしょう、この男ってば意外と『思い立ったらすぐ行動派』なんだよなあ。しかも、こういうとこ、変に強引だし。基本的に、恥ずかしいって神経、持ち合わせてなさそうだし…
結局、いつもおれが妥協する羽目になっちまう。
…もしかして、こういうのが、惚れた弱みってやつなのかなあ。なんか悔しいけど。
「…まあ、今日は海に連れて来てくれたし… ちょっとだけだかんな!」
「ふふっ、そう言ってくれると思ってました。じゃあ簡単に。難しく考えないで、ぼくに合わせてくれればいいですから」
言うなり、高遠はおれの知らない横文字のバラードらしき歌を口ずさみ始めた。
心地よいテノールが、どこか懐かしい感じのするメロディラインをなぞってゆく。
高遠の右腕は、おれの背中に。おれの左腕は、高遠の背中に。それから、そっとおれの右手を、高遠の左手が受け取るように掬い上げて。
そして、スローなそのメロディーに合わせて身体を揺らしながら、ゆっくりと小さな歩幅で、おれたちは踊り始めた。
スロースロークイッククイックなんて、おれには全然わからないから、ずっと、スロースロースローで高遠にリードされながら、適当に踊る。
打ち寄せる波の音が、リズムを刻んでる。
規則正しく、悠久の時間を、繰り返し繰り返し。
輝く海と眩く蒼い空だけが、おれたちを見ている。
海鳥が、どこかで啼いている。
潮風に髪をなぶられながら。
互いを見つめあいながら。
手を取り合いながら。
まるで、ふたりの人生そのままのように。
断崖の上で、おれたちは踊る。
自分でも、笑ってしまいそうになるくらい、ぎこちない足取りで。
それでも、おれたちは、踊り続けるんだろう。
あなたのリードで、あなたの歌声に合わせて。
そして、あなたの腕に包まれて。
永遠という名の一瞬を、足元に刻みつけるように。
スローにダンスを踊ろう。大丈夫、何も急がなくていいよ。
まだ、時間はあるはず。
さあ、お手をどうぞ。
07/04/27 了
07/05/02 改定
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久しぶりに、『LOVERS』更新ですv
え〜、『Simple sentens』と何が違うかというと、長さです。
大体、あっちの話は5分以内に読めるものばかりという感じで。
だから、大差は無いんですけどね。
で、今回は、なんでか「ダンス」ですよ!
おかしい。「海に行く」がテーマで話を書くはずだったのに。
書いてるうちに、こんな話に…謎。
ちなみに、社交ダンスなんて、全然、わたしは知りません(汗
でも、高遠くんはすんなり踊れそうな気がするんですよ〜。
少しでも、楽しんでいただけたなら、嬉しいですv
07/04/27UP
−新月−
07/05/02改定
−新月−
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