ハロウィーンの夜





「なあ、ハロウィンってさ、どういう日なんだ?」

いつも彼の話は唐突だけれど、今日も朝の食卓の席で、食後のコーヒーを飲んでいるときに、何の脈絡もなく彼が切り出してきたのは、そんな話だった。

「いわゆる、万聖節の前日…ですが。なにか?」
「なにかって、もうすぐハロウィンだろ? で、なに? その『万聖節』って?」
「まあ、カトリックの諸聖人を祝う日なんですよ。でも、そうですね、日本ではハロウィーンの方が、お祭りとして知られているんですよねえ」

答えながら、日本にいた頃のこの季節の街のディスプレイを思い出してみる。そういえば、黒やオレンジを基調とした、カボチャや蝙蝠の飾りや絵が溢れかえっていただろうか。
しかし、本来の意味などどうでもよくて、形だけを真似して騒ぎ立てるその民族性は、どこかしら滑稽だ。
ぼくがそんなことを考えているとも知らずに、はじめは言葉を続けた。

「うん。よくハロウィンって言うと、アメリカの映画なんかで、子供がお化けの仮装をしてお菓子をもらって回るじゃん?『トリック・オア・トリート』ってさ」
「…まさか、はじめもそれがしたいって言うんじゃ…」
半分冗談で、そして残りの半分は、まさかやる気なのでは?という疑問を抱きつつはじめを見やると、急にむっとした顔をしてぼくを睨んだ。どうやら、お菓子が欲しいわけでは無いらしい。

「違わい! 話を最後まで聞けって!」
「はいはい」
「ハイは、一回でよろしい!」
「変なトコ、意固地ですねえ」
わざとため息混じりに呟いてみせると、
「うるせいやい」
なんて、口を尖らせる。まったく、彼はいつまで経っても、小さな子供みたいだ。ついつい、からかっていじめたくなってしまう。そんな自分も、十分大人気ないのだろうけれど。
でも、このまま彼が拗ねてしまっては話が進まないし、何より、朝から彼が笑ってくれないのでは、一日がつまらない。
「冗談ですよ。話の続きを聞かせてください」
はじめのご機嫌をとるべく、テーブルに肘を着くと、正面に座る彼へと身を乗り出して、横を向いてしまった彼の顔を窺うように覗き込んでみる。すると彼は、ちらりとぼくを横目で見るなり、わずかに頬を染めて、人差し指で頬を掻いた。
まったく、単純で、素直で。
そんな彼を見ていると、自然と笑みが零れてしまう。
朝の光に満たされた食卓で、柔らかで幸せな時間を、ぼくはいつも胸の奥で噛み締めるんだ。
そして同時に、胸のどこかで、鈍い痛みも感じている。

今が幸せであればあるほど、想いが深くなればなるほど、ぼくたちの恋は、苦しいね。
でも、それはきっと、きみも同じなのだろう。

「たかとおってば、ずるい」
気が付くと、目の前のはじめがこちらを睨みながら、紅い顔をしている。けれど、何がずるいのか、ぼくにはわからない。
「はい?」
と小首を傾げると、はじめはなぜか眉間にしわを寄せて、さらに険しい表情を浮かべた。

「だからっ! そんな寂しそうな笑顔見せられたら、拗ねてられねえじゃんっ!」
そう言って、目の前のマグカップを掴むと、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。



「おれが言いたかったのはさ」
落ち着きを取り戻したはじめは、再び話を始めた。

「ハロウィンの夜には、死んだ身内が戻ってくるって聞いたんだ」
「ああ、そんなことも言いますねえ」
「そんで、おばけが帰ってきても紛れ込みやすいように、おばけの仮装をするんだって」
「…そんな話でしたかねえ? なんだか、違う気がしますけど、誰に聞いたんです?」
「誰だっけ? 忘れた」
「また、店の誰かがきみにそんなことを吹き込んだんでしょう」
「いや、でもさ」
そこで言葉を切ると、はじめはふいに虚空へと視線をやった。まるで、心をどこか遠いところへと飛ばすみたいに。
「大好きだった人が、戻って来てくれるかもって考えたら、素敵じゃねえ? 知らないうちに、こっそりどこかに紛れてるかもって思ったら、なんとなく、嬉しいじゃん」
そう言って、微笑んだ。とても、懐かしそうな表情を浮かべて。
「はじめは、会いたい人がいるんですね?」
「うん、すごく会いたい人がいる」
「きみにそんな顔をさせるなんて、その人に、少し嫉妬してしまいそうですよ」
ぼくが言うと、彼はこちらに顔を向けて、嬉しそうに、顔をほころばせた。

「元々ハローウィンは、秋の収穫を祝い、悪霊を払うための祭りだったそうですよ。次の日の『万聖節』に続く前夜祭なんですね」
「ふうん。日本じゃ、ハロウィンしかやってないよなあ」
「まあ、クリスチャンの方々は、『万聖節』を祝ってると思いますよ。祝いと言っても、祈りをささげる日なんですがね。その次の日は死者の日で、亡くなった身内のために祈る日だったりするんです」
「なんか、祈る日がいっぱいあるな」
「日本のお盆みたいなものですよ。特に、ハロウィーンなどはね、死者が戻ってくると言いますし」
「そっか、お盆って、そう言やそうだもんな」
納得の声を上げながら、はじめはわずかに眼を伏せて、ため息をついた。
どうしたんですか、と、ぼくが声をかける前に、はじめの唇が動いた。

「…おれさ、じっちゃんに、会いたいんだ」
はじめの口から零れ落ちたのは、思っても見なかった言葉。
「金田一耕助氏に、ですか?」
「うん。じつはおれのじっちゃんは、外国へ行ったきり、行方不明になっちゃっててさ」
「それは、初耳です」
「うん、そうかも」
彼らしくない寂しげな笑みが、その柔らかな口元に浮かぶ。

「じっちゃんはさ、放浪癖ってのだったのかな。仕事が忙しいのもあったんだろうけど、本当にあっちこっちに行っては、時々思い出したみたいな感じで家に帰ってくる人だったんだ。でもおれは、じっちゃんが行った色んな国や場所の話を聞くのが大好きでさ、おれがせがむと、いつも膝の上に乗せて、たくさんの話を聞かせてくれた」

はじめの瞳が、見ていてそれと分かるほどに、潤み始めていた。なのに、はじめの顔は、穏やかな懐かしさに占められている。どれほどに彼が、氏のことを大切に思っていたのかが、それだけでわかる気がした。

「あるとき、海外に出かけて、それっきり帰ってこなかった。何年も経って、じっちゃんは、死んだことになったんだ」
「…はじめ」
「わかってる。じっちゃんは、本当に死んでしまってるんだろうってことぐらいはさ。仕事が仕事だったから、おれ以上にいろんなことに首を突っ込んでたらしいし、何かあったんだろうって。でも、おれ、最後のお別れも出来なくて、ずっと、ずっと…」

はじめの眼から、こらえきれなくなった涙の雫が一粒だけ、零れ落ちた。
くすんだ窓ガラスから入ってくる、朝の光を反射しながら、それは、丸みを帯びたはじめの頬を伝い落ちてゆく。

「…日本にはいないから、だからこっちでなら、会いに来てくれるような気がしてさ。ハロウィンがこっちのお盆だってんなら、会いたいって祈るのは、駄目かなあ…」
零れた涙を拭いながら、しんみりしてしまった空気をどうにかしたいのか、おどけた顔を作ろうとするのだけれど、彼のその表情は、今にも泣きそうに歪んでいる。
「いいえ。駄目なんかじゃありませんよ」
ぼくは立ち上がるとテーブルを回って、座ったままのはじめの頭を抱きしめた。はじめもぼくの腰に腕を回してくる。
本当に、なんてこの子は、いとおしいのだろう。

「会いたいのなら、会いたいと願えばいいんです」
ぼくの胸に頭をこすり付けながら、彼は何度も頷く。
うんうんと、何度も何度も。

「…なあ、たかとおは?」
そして、ぼくに抱きしめられたまま、はじめはくぐもった声を上げた。
「たかとおも、会いたいんじゃないのか?」

そう言われて、誰のことを指しているのか、すぐにわかってしまった。ということは、ぼくは、逢いたいと思っているのだろうか。
その人に。
けれど…

「いいえ」
即答していた。

「…会いたくないの?」
「逢いたいのか、逢いたくないのか、自分でもよくはわからないんですけど、今のままでは逢えませんね。マジシャンとしてのぼくを、認めて欲しいですから」
「そっか。相変わらずなんだな」
「ええ」
「でも、近…」

顔を上げて、その名を口にしようとした唇を、ぼくは唇で塞いだ。
今は、何も思い出さなくていいんだ。その名は、ぼくの中の混沌に存在しているから。前に向かって歩いてゆくために、今は封印しておこう。

はじめの唇は、朝食に食べたマーマレードの味がした。

「…ばか…」
唇を離すと、頬を染めたはじめが、濡れた声で呟く。
その声が酷く艶っぽい気がして、思わず体の芯が疼きそうになる。
やっぱりぼくは、きみさえいれば、それでいい。
「朝からするキスじゃ、ありませんでしたかね?」
乱れた前髪を掻き揚げながら、ぼくが笑うと。
「ばか!」
さらに顔を真っ赤に染めて、怒られる。
やれやれ、素直じゃありませんね、とばかりに軽く肩をすくめていると、
「…でも、そっか。『まだ』駄目なんだな」
はじめの唇から、静かに言葉が零れた。

ぼくは、微笑んでいただろう。
きっと、嬉しそうに。
はじめは、理解してくれる。
すべてではなくても、互いに持っているものが、全く違っていても。
打てば響く鐘のように。
それは、美しい音色を伴って。

「ええ」
今は『まだ』…


そんなぼくに、はじめは飛び切りの笑みを見せながら。
「んじゃ、カボチャでも買いに行くか!」

本当に、彼の頭の切り替えの早さには、いつも感心させられる。
「カボチャ…ですか?」
嫌な予感をひしひしと感じながら、恐る恐る聞き返すと。
「そ、おれのために、あのカボチャのちょうちん作ってくれよv」

…そう来ると思っていましたよ。

「いいだろ〜、おれ不器用だからさ、うまく作れないと思うんだよ〜」
全く、こういうところだけは抜け目が無いというのか、上目使いにぼくを見つめて、甘えた空気を作り出す。
いつからきみは、こんなに甘え上手になったのだろう。
「…スプーンで中身を取り出すくらいなら、小さな子供でも出来ますよ…」
「じゃあ、ちょっとくらいなら、手伝ってやるからv」

なんなんですか、きみはっ。

と、反論めいたことを頭では思っていても、ぼくの口からその言葉が出ることはない。結局、甘える彼に操られて、彼の思い通りになってしまうんだ。
はじめのことだから、大きなカボチャを選ぶに違いない。そうなると、手で持って帰るには重すぎるかもしれないから、車を出した方がいいだろうか。
大きなカボチャなら、作るのも大変そうだ。
などと考えながら、苦笑する。
甘やかしすぎですかね?
とも思うけれど、可愛い恋人のお願いを、断れるわけもない。
とびきり大きなおばけカボチャのランタンを、作りましょうか。
きみが喜んでくれるのならば。

明るい朝の食卓で、死者が戻るという日に思いを馳せる。
本気で、死んだ人が会いに戻ってきてくれるなんて、信じてるわけじゃない。そんなのは、ただの伝説なのだと、はじめ自身もわかっているんだ。
でも、それでも。
今はいない人に会いたいと、願う。
一年に一度くらい、そんな日があってもいいかもしれない。

さあ、会いたい旅人が、道に迷わずに会いに来られるよう、明るく闇を照らすランタンをふたりで作ろう。
心からの願いを、込めながら。

ハロウィーンの夜に。
闇に浮かぶ、暖かなオレンジ色の光に。

今もあなたが大好きだと。
伝えるために。


07/10/29  了

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ハロウィン向けのを書いてみましたv
はしょってて申し訳ないのですが、彼らが住んでいる設定のフランスでは、
ハロウィンはあまりしないそうです。英語圏のお祭りなので、色々あるのでしょう。
そして本場イギリスでは、提灯はカボチャではなく、カブで作るんだそうです。
余分なことまで書き込むと、うるさくなりそうだったので、これらの事情を省略しました。
すいません。力不足なんです(汗)。

−新月−
07/10/29UP


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