花火




その日は大きな花火大会のある日で、辺りが暗くなり始める頃に落ち合って、ふたりで出掛ける約束になっていた。

「お友達とは行かなくていいんですか?」
尋ねるぼくに彼は、
「いいんだ。今年は、高遠と一緒に見たいんだ」
そう言って、笑った。


「ここってさ、意外と穴場なんだぜ」
はじめが案内してくれたのは、花火大会のある会場からはかなり離れた場所にある川辺で、近所に住んでいるのだろう家族連れなどがちらほらと見受けられるような、マイナーな場所だった。
彼らは皆、楽しそうに談笑しながら、花火が上がるのを待っている。そんな家族連れを尻目に、内心ぼくは小さくため息をついていた。

はじめが案内してくれるというのだから、まあ、デートにふさわしい場所などは、最初から期待していませんでしたけどね…

不意に、幼い笑い声に引かれてそちらへと顔を向けると、浴衣を着せてもらったのが嬉しかったのだろう、親と手をつなぎながらはしゃいでいる幼い子供の姿が目に入る。
白地に紅い金魚が泳ぐ浴衣と、それに合わせたらしい紅いやわらかそうな布の帯が、子供が跳ねるたびに、ふわふわと尻尾のように揺れている。
微笑ましくて、思わず笑みを浮かべると、はじめがここぞとばかりに指摘してくる。
「たかとおってさ、意外と子供好きだよな。よく公園で人形劇見せたりしてるし」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、ぼくの顔を下から覗き込む彼の姿は、それこそ小さな子供みたいなんですけどね。
だからぼくも、ついからかいたくなってしまうのだろう。
「そうかもしれませんね。きみのことも大好きですから」
彼の耳元に唇を寄せて、わざとそう答えると、
「おれはお子様じゃねえぞ!」
なんて、そっぽを向いて唇を尖らせながら不機嫌そうな声を上げて、予想に違わない反応を返してくる。
まったく、彼の行動は単純でわかりやすい。その頬が紅く染まっているのを、ぼくが気付かないとでも思っているんでしょうかね?

単純で素直じゃなくて、そのくせ時折、怖いくらい切れ者の顔を見せる恋人。
うっかりしていると、自分も知らない自分の本心を曝け出されてしまいそうで、怖くなる時もある。けれど、そんな彼だからこそ、惹かれているのかも知れないとも思うんだ。
それは、決して開けてはいけないパンドラの箱だと、気付いているのに。

身の破滅だと知っていて、彼を巻き込むこともわかっていて。なのに手に入れてしまったぼくは、無様なピエロでしかないのだろう。
血に染めたこの手を後悔することも無く、笑いながら人を殺せる自分が、彼を失うことだけを恐れている。
なんて滑稽な、恋心。
地獄の傀儡師と呼ばれた自分が、まるで嘘のように害のない顔をして、宿敵とも認識していた少年と恋人という関係に陥ってしまうなどと、あの頃には考えもしなかったのに。

ぼくの隣で、まだ拗ねた素振りを見せている彼に、笑みが零れる。
可愛くて、思わず抱きしめてキスしてしまいたい気分になるけれど、この衆人環視の中でそんなことをしたら、殴られるどころでは済まなさそうなので、とりあえず我慢することにする。
まったく、『傀儡師』ともあろうものが。
こんなところで、一体何をしているのだろう。
恋人を持つことが。誰かを好きになるということが、こんなにも様々な感情を抱かせるものなのだと、彼と付き合い出してから、ぼくは何度も思い知っている。
それは、誰かに対して心を開いたことなど、今まで一度もなかったということの裏返しに他ならないのだろうけれど。
今までの自分が、どれほど空虚だったのか、と。


素直じゃない彼の機嫌を取りながら時間をつぶしていると、突然、辺りが騒がしくなって。次の瞬間、闇の中に明るい光がはじけ、少し遅れて、ドーンという胸に響くような音が聴こえてきた。
わっと歓声が上がる。どうやら打ち上げが始まったらしい。
続けざまに、赤や黄色やさまざまな色の花火が、暗い中空に打ち上げられる。
なるほど、“花火”とはよくつけたものだ。それはまさしく、夜空に咲く大輪の花のよう。
目の前の揺れる川面にも炎の光は映りこみ、さらに艶やかさを演出していた。

「な、きれいだろ?」
はじめの声に顔を向けると、打ち上がる花火の色に染まりながら、彼がぼくを見つめていた。
「ええ、とてもきれいですね」
その言葉に満足したのか、嬉しそうに笑みを浮かべると、何も言わずにまた空を見上げる。ぼくも同じように、炎の饗宴が繰り広げられる空を見上げた。
ほんのひと時の非日常に、酔いしれるように。

はじめとふたりで、夜空に花開く火花の美しさに見とれていると、ぼくたちの横から、不意に無邪気な声が上がった。
「きれいねー」
ぱちぱちと手を叩きながら。

見ると、車椅子に乗ったかなりの高齢と思しき女性が、まるで童女のように、細いしわだらけの手を叩きながら、嬉しそうに歓声を上げている。
何度も何度も、花火が上がるたびに「きれいねー」と声を上げて。
その傍らには、彼女の息子なのだろう壮年の男性が佇んで、そんな彼女を優しく見守っている。

「ホントに花火、きれいだよな。ばあちゃん」
はじめが声を掛けると、彼女は屈託の無い笑顔を、ぼくたちに向けた。
「うん、きれいねー」
人は歳をとると子供に戻るというのは、本当のことらしい。浴衣を着て跳ねていた子供と同じくらい邪気の無い様子で、彼女は楽しそうに手を叩く。

天に昇ってゆく魂のように、尾を引きながら空へ駆け上がり弾ける炎の花びらは、眩く輝きながら、一瞬の命を散らしてゆく。その一瞬のためだけの、儚い存在。
けれど、その煌めきは、なんて美しいのだろう。

「ありがとう、ありがとう」
何に対して、彼女は感謝しているのか。
車椅子の老女は「きれいねー」と同じくらい、何度もその言葉を口にする。
息子の「また、来年も来ような」という言葉に、うんうんと嬉しそうに頷きながら。
来年という未来を、夢見るように。

人の命は儚い。
夜空に瞬く星の光に比べれば、ほんの一瞬の、花火の瞬きに過ぎない。
それでも残された最後の時間を、「ありがとう」と感謝して過ごせる彼女の人生に、ぼくは思いを馳せてみる。
人の人生は、決して“楽しさ”だけでは作られない。同じだけの比率で、“苦しさ”や“悲しさ”もあったはず。けれど、その全てを乗り越えた先に、感謝という想いを抱ける人間が、どれだけいるというのだろう。
年老いた彼女の、童女のような微笑は本当に美しいと、ぼくは思った。


花火の打ち上げは、休憩を二度挟みながら一時間ほど続いた。
フィナーレは、最後と呼ぶにふさわしいくらい、一度に大量の赤い色の花火が打ち上げられ、夜空を鮮やかな紅に染め上げた。
周りからは、歓声や拍手が上がり、艶やかな饗宴の終焉を盛り上げている。
確かに、星の光さえ遮るほどの眩さで、連続で打ち上げられる花火は見事としか言いようがなく、あまりの美しさに見惚れていると、隣に立つはじめが、急にぼくの手に指を絡めてきた。
驚いて彼を見ると、何を考えているのか彼はまっすぐに花火を見つめたまま、空と同じ人工の紅に染まっている。そのままじっと彼を見つめていると、ドンドンバチバチバチと遅れて響き渡る激しい音と、人々の歓声に紛れながら、彼の唇が小さく動くのがわかった。
周りの人たちは、まだ続いている花火の饗宴に夢中で、ぼくたちに注意を払う人間なんていない。
はじめの言葉を聞き逃すまいと、ぼくは彼に顔を寄せた。

「また、来年のこの日も、一緒にいような」
囁くように、小さな声で呟きながら、ぎゅっとぼくの手を握り締めて。
ぼくはただ、はじめを見つめていた。
彼の肩が、小さく震えている気がした。

わかってる。来年など、約束できるわけもないのだと。
ぼくは犯罪者で、追われている身で。
いつどうなってしまうのか、わからないことぐらい。

でも、それでも、ぼくたちは…

「ええ、約束しましょう」
はじめの手を、力強く握り返しながら、迷いなく、ぼくは答える。
すると、どこかしら少しだけ寂しそうな笑みを浮かべて、彼はぼくを見上げた。
人工の火花に紅く染め上げられた空間で、ぼくたちは視線を交し合った。

打ち上げられる花火は美しい。
一瞬にして燃え上がり、煌めきながら燃え尽きて散ってゆく。
儚い人の命のように。
けれどその煌めきは、決して時間の長さなどではないと、ぼくは考える。
人生を最後まで全うして、無邪気に笑う老女と、短くとも艶やかに燃え尽きる人生とを、どちらがより美しいのかなどと、比べることは出来ない。
自らが満足できるのなら、それは素晴らしい人生であったと、誇れるものに違いないはず。

いつの間にか、辺りは元の暗さに戻っていて、花火の観客たちは、ぼくたちを残して、めいめいに引き上げ始めていた。
隣にいた老女も、息子に車椅子を押されながら、家へと帰ってゆく。
「ありがとう、ありがとう」
まるで祈るように両手を合わせながら、相変わらず、童女みたいに明るい声で繰り返しながら、彼女が遠くなってゆく。
ひと時の祭りは終わり、またすべては日常へと戻ってゆくのだ。
川面には、金色の月明かりが黒い波間に揺れている。その水面に映る月を眺めながら、来年の今日、また彼女が花火を見に来られることを、ぼくは祈った。

「そろそろ、ぼくたちも帰りましょうか?」
手を繋いだままはじめに聞くと、彼はゆっくりと首を横に振った。
「もう少しだけ… ここにいたい」
濡れた眼差しで、ぼくを見る。
「今度、いつ会えるのか、わからないだろ?」
そんなはじめの瞳の中に、星の輝きを見つけた気がした。
一瞬の花火などではない、消えることのないその星の瞬きは、迷いなく、ぼくに向けられている。
「はじめ…」
「火遊びなんかじゃないんだ。おれは…」
はじめの言葉は、ぼくが遮ってしまった。
でも、最後まで言わなくても、わかってる。

人気の無くなった川辺で、ぼくたちは何度も、口吻けた。
月明かりだけが照らす、闇の中で。
儚い命を輝かせながら、尽きてしまわない想いを、ぼくたちは重ね合う。
約束できない未来を、誓い合う。

そう、きっと、来年の花火も。
綺麗ですよ…



07/08/07  了
08/07/25  改定
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一応、今日は大阪の天神祭りなので、それに合わせてUPしてみました。
これを書いたのは、じつは去年で、時期を逃したので置いていたら、
存在すらすっかり忘れてしまっていたという、可哀想なブツです(汗)。
先日、ファイル内を整理していたときに、見つけたんですね〜。
日の目を見ることが出来てよかったんですが、なんとなく、
これでいいのかと、未だに悩んでいるのでしたxx
少しでも、楽しんでいただけていれば良いのですが…

08/07/25UP
−新月−

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