PANDORA
「いつまでおれを、こんなトコに閉じ込めとくつもりだよ!」
勝気な瞳で、私を睨みつける君は、本当に怖いもの知らず。目の前にいる男が何者なのかわかっているのに、強気な態度を崩さない。
「さあ?」
そんな君が微笑ましくて、つい、からかい混じりに答えてしまう。
目の前の君の表情が、さらに険しいものになって行くのを見ながら、私は笑みを深める。
別に君を閉じ込めているつもりは無いんだ。ホントはね。
君を攫ってきたのは、確かに私だし、こんな人気の無い海辺の別荘に連れ込んだのも私。
でも、それ以上どうしようという考えは何も無かった。
実際、君をここへ連れてきてから、どうしたいのか自分でも困惑していたなんて君が知ったら、一体どんな顔をするんだろう?
そんなことを考えていると、また君は、不機嫌そうに口を開いた。
「…逃げ出したら、どうする気なんだ…?」
少しばかりためらいを含んだ声で、紡ぎ出されたその言葉に、軽い衝撃を覚える。
逃げる? …君は、私から逃げ出したい?
自分で攫ってきておきながら、バカなことを考えている自分に苦笑が漏れる。
「逃げ出したら…ですか? …そうですね…」
目を閉じて、自分がどうしたいのかを想う。
自分なら、どうしてしまうのか。
答えは、簡単に出た。
「…捕まえて…足でも折ってしまいましょうか?」
目の前の、少年の顔が青ざめる。
本当はそんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「…それでも、逃げようとしたら?」
再び、挑むような強さを込めて、君は問いかける。
君は、私に何を求めているの?
冷酷な殺人者だと、確認したい?
ならば、求める答えを、私は提示するしかないね。
「次は、腕を折ります。ああ、それとも、四肢を全部、切り落としてしまいましょうか?」
言いながら、思い出す。昔、そんな映画があったのを。
愛する女を手に入れるため、その手足を切り取ってまで自分のものにしようとした男の話。
女は自分をそんな姿にした男を憎み、けれど男に依存しなければ生きて行けない。その結果訪れる、奇妙に歪んだ愛情。夢か現実かわからない妄想の果てに映画は終幕を迎えた。
嫌いな映画ではなかったけれど、そうまでして執着する、狂気をはらんだ男の心が、理解できなかったし、したいとも想わなかった。
ただ一人の人間に執着し、やがて従属してゆく男の姿は愚かで、とても哀しい気がした。
…そう、あの頃は…
気が付くと、目の前の少年が、悲しそうな顔をして、私を見ている。
怖がらせてしまったのだろうか。何も言わずに、ただじっと私を見つめている。
思わず、その頬に触れていた。
ふいに触れてしまった、柔らかで暖かいその感触に、胸の奥が、なぜか痛みを訴える。
「…どうしてそんな顔をするんです? 私が…怖いですか…?」
怯えないで、どうか、君だけは…
少年の柔らかそうな唇が動くのを、祈るような気持ちで見つめた。
「………あんたが…泣きそうな顔、してるから…」
想ってもみなかった言葉に、一瞬、身体が強張る。
「…わ、たしが…?」
大きな黒目がちの瞳が、戸惑いをその奥に揺らめかせながら、その黒い水面に私の姿を映していた。
静寂が部屋に落ちて、遠くから波の音が聞こえてくる。
繰り返し繰り返し、まるで何かを求めるように、波は浜辺に打ち寄せ続けている。
報われないと、知っていてもなお、求めてしまうように。
ぽつりと、胸の中に言葉が浮かぶ。
どうして…と。
それはあっという間に広がって、穏やかでない波紋を投げかける。
どうして、こんなにも遠くに来てしまったんだろう。
どうして、こんな生き方しか出来なかったんだろう。
どうして、こんな出会い方しか、出来なかったんだろう。
君と…
身体が、微かに震えた。
突然、暖かい腕が頭に触れて、そのまま抱き寄せられた。
少年のまだ未発達な細い身体が、慰めるようにその温もりを分け与えてくれる。
君を攫ってきて、勝手なことばかり言っている人殺しに、君はその優しさを与えてくれるというの?
血に染まったこの身体を、抱きしめてくれるというの?
…今だけ、今だけ、甘えてもいいだろうか。
小さな肩に顔を埋めて。
今、君だけに許しを請う。
君といると、何も知らなかったころの自分を思い出すんだ。
忘れてしまっていたはずの、純粋なもの。
それは酷く胸を軋ませて、痛みを伴う儚いもの。
ずっと遠い昔に、失ってしまったはずのもの。
なんだか懐かしさを覚える、身体に触れる温もりに、目から雫が…零れそうだ。
ずっと、そばに、いてほしい…
胸の奥で、誰かが、そう言いながら、震えている。
でも、それは無理なこと。
きっと私は、すべてを奪って、この優しい少年を壊してしまう。
この真っ直ぐな光に満ちた瞳を、いつか閉ざしてしまう。
そんなことは、したくない。
もう、後戻りは、できないんだ…
「…すみません…」
絞り出した声は、酷く掠れていて、自分でも情けなくなる。
でも、いつまでも、こうしてるわけにはいかない。
弱くなる心に鞭打つように、彼から離れた。
彼の顔を見ることができない。きっと、今の自分は情けない顔をしているだろう。
…こんなに弱い自分は、知らない。いや、知らなかった…
軽く唇をかみ締めて、身体に力を込める。
さあ、最後の幕を引くときが来たのだ。顔を上げろ。私はマジシャンだろう?
観客を前に、無様なラストを飾るな。
そう自分に暗示を掛けるように、右手を顔の前にかざし、すっと髪を掻き揚げる。
大丈夫、いつもと変わりない自分を保てている。
ほっとすると同時に、そんな自分が情けなくなる。口元に浮かぶ、自嘲。
「帰りなさい」
思ったより、はっきりと声が出た。
「えっ?」
突然のことで、戸惑ったのだろう。目の前の少年の顔は困惑を宿して、その表情は私に錯覚を覚えさせる。
見誤るな、彼は決して帰りたくないと想っているわけではない。
自分に都合のいい夢を、見てはいけない。
私は彼の宿敵であって、それ以上でも以下でもない存在。
「明日の朝、帰りなさい」
後ろ手にドアを開けて、恭しくお辞儀をして、少年の顔を見ないように、静かに閉じる。
…これでいい。これで、おしまいだ。
深く、溜息を吐く。
自ら開けてしまったパンドラの箱は、鍵を掛けてもう一度閉ざさなければ。
これ以上、中を覗き込んではいけない。
引き返せなくなってしまう。
…彼を、帰せなくなってしまう。
それは、自分の望むことでは、無い。はずだ…
本当は、
抱きしめて、自分のものにしてしまいたかった。
嫌われても、憎まれても、何処にも逃げられないよう、閉じ込めて、自由を奪って、ずっと自分の側に縛り付けておきたいと思った。
誰の目にも触れない場所で、二人だけで、生きたいと、願って…しまった。
あの映画の、愚かな男のように。
ただ、自分の彼に対する執着の意味を知りたくて、彼を攫った。
ただ、胸を焦がすこの焦燥のわけを知りたくて、彼を見つめた。
ただ、知りたかった。
でも、知らなければよかった。
知ってはいけなかった。
こんな、想いは。
愚かなパンドラ、開けてはいけない箱とわかってて、開けてしまったその報いは、きっとこの身で受けなければ、いけないね。
灯りの無い、暗い廊下を重い足を引きずるように歩き出す。
夜の海を、行こうか。
陸と波の境目もわからない暗い海ならば、波は砂浜とひとつに溶け合う夢を見られるのだろうか。
たとえ、それが錯覚でしかなくとも…
苦い笑みを、薄い唇に浮かべる。
こんな私は、私では無い。
闇の中こそが、私に一番相応しい場所。
光の中を歩む彼とは、背中合わせの世界。
共に歩むことなど、決して出来はしないだろう。
ならば、
君の宿敵として、君の前に。
05/04/23 了
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高遠ものが続いておりますが、ビミョウに「DEVIL」とリンクしてるっぽいのかしら?
しかも、妖しい世界になりつつあります。
最初に「はじめバージョン(SECRET…です)」が浮かんで、それをざっとノートに書いて、
パソコンに話を起こそうと思ったら、なぜか出来上がったのは、これでした(笑
あれ? みたいな…
後から、全然わからないシチュエーションを補うべく「SECRET…」を書いて…
全く補えてないところが泣かせます。
この作中に出てくる映画ですが、「ボクシング・ヘレナ」という映画で、
私は結構好きでした。
05/04/26 UP
−新月−
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