VERSUS




月の無い、暗い夜だった。
切れ掛かった街灯が、命のカウントダウンを繰り返し、青白い光はまるでフラッシュのように、時折、刹那を照らす。
誰もいない街並みは、閉ざされた空間を想わせる、静寂に、支配されている。
誰もいない街並みに、時折、冷たい風が吹き過ぎてゆく。
誰しもが、深い眠りについている筈の深夜。

人気の無い夜道に、その男は、忽然、という言葉意外に、表現の仕様のない現れ方をした。
闇の中から、たった今生まれ出でた、それは闇の化身なのか。
それは、決して気配を感じさせず、けれどもゆったりとした動作で、辺りを窺う。
それが身を翻して、ふたたび闇の中に紛れてゆくかと思った瞬間、突然、弾かれるように、影は素早い動きを示した。

それは、一瞬の、静から動への変貌。

しなやかな猫科の肉食動物を思わせる、素早く滑らかな動きは、けれど唐突に、再び静に移行した。

ジジジ…と、嫌な音を立てながら、切れ掛かった街灯が灯る。

刹那の煌めきの中に、二人の男が、対峙していた。
ひとりは相手の額に、ぴたりと銃口を突きつけ、もうひとりは、切れ味良さそうな銀色に輝くナイフを、相手の頚動脈に、寸分違わず突きつけている。
まったく動じた表情を浮かべることも無く、二人は互いを睨み合う。

また、闇が降りた。

闇の化身が呟く。
「少しばかり、驚かせてもらいましたよ。何故、こんな所にあなたがいるんです?」
落ち着いた中に、少しばかりの嘲笑を混ぜながら、辺りの闇を震わせる。
「不審な人物が、最近この辺りに出没するという情報があっただけです」
相手の声も、負けず劣らず落ち着き払い、やたら高圧的な物言いで、闇を蹴散らす。
「それで? わざわざお忙しい警視庁捜査一課の警視殿が、ひとりで見回りですか?」
ククク…と、ひときわ深い闇は、喉の奥で低い笑いを洩らした。
「ずいぶんと余裕ですね。とても、頭に銃を突きつけられている人間だとは思えませんよ。
いや、人間では無いのかもしれませんね?『地獄の傀儡師』は」
これまた、冷ややかな笑いを含んだ声が、対する。

チカチカと弱く瞬きながら、再び、街灯が灯った。
二人の男は、互いの口元に薄く笑みを張り付けているものの、その眼は決して笑ってはいない。
殺気だった気配が、周りの空気さえ、凍らせてゆくかのようだ。

ひとりは色素の薄い髪に、色素の薄い瞳を持ち、闇の中でさえも、煌めくような美貌を持つ長身の青年。
そしてもうひとりは、漆黒の闇を映した黒髪に、月の色を宿した瞳、神秘的な魅力を持つすらりとした青年。
男にしては秀麗な、そして対照的な美貌を持つ二人が、凍てつく空気を纏いながら並び立つ姿は、美しいがひどく凄絶だ。

どこからか聞こえてくる犬の遠吠えが、不安げに、長く尾を引く。

明るい色のスーツを身に着けた青年は、勝ち誇ったように告げた。
「もう、逃げられませんよ。高遠遥一」
闇色の衣服を纏った青年は、その言葉を聴きながら、まるで人を小ばかにしたような挑戦的な笑みで答える。
「この程度のことで、わたしを捕まえられるとでも? 明智警視?」

見えない火花が、虚空に、散った。

「…随分と自信があるようですが、ここでわたしが、絶対に銃を撃たないとでも考えているのなら、大きな間違いですよ」
明智の眼鏡の奥の瞳が、冷たい輝きを秘めながら視線を強くした。
「わたしが何もせず、ここで大人しくお縄に就くとでも思っているんですか?」
同じく高遠の金茶色の瞳が、まるで肉食獣のそれのように、獰猛な色を帯びる。
互いに、引く気など、一歩も無い。

一触即発の緊張感が、きりきりとふたりの間で引き絞られてゆく。
張り詰めた一瞬の空気が、永遠のように、流れる。

と、突然、高遠がふっと、笑みを洩らした。
瞬間、糸が緩む気配。
明智は怪訝な顔をして、高遠を睨んだ。狡猾なこの犯罪者には、僅かな気の緩みも許されない。
経験上、明智はそのことを、イヤというほど良く知っていた。
「笑みを洩らすとは…余裕ですね」
「いや、あなたも案外、かわいいものだなと、思いましてね」
「何がですか?」
明智の眼が眇められ、表情が、さらに険しくなる。
「お忙しい捜査一課の警視殿が、ひとりでこんなところで張り込んでいた理由が、ですよ」
奇妙な余裕を感じさせる高遠の白い顔が、目まぐるしく明滅を繰り返し始めた青白い灯りの下で、暗く綺麗な笑みを作った。
「ここは、金田一くんの部屋の下だ。一体何時間、ここでこうしていたんでしょうね?」
「なにが…言いたいんですか」
明智からは、逆に余裕が感じられなくなってきている。苦すぎるコーヒーを、一気に飲み干したかのようなその表情。
ああ、そう言えば、と、高遠が、何かを思い出したとでもいうように、口を開いた。
「知ってました? 金田一くんのくちびるは、とても柔らかくて、甘いんですよ?」

挑発だと、頭ではわかっていたのに、明智は、その言葉を聴き終わるか終わらないかの内に、迷うことなく引き金を引いていた。
怒り、だろうか、目の前が赤く染まる感覚があった。
引き攣れた心臓が、どくどくと冷たい音を立てている。
けれど、弾は発射されることはなかった。
何かが引っかかって、引き金が動かないのだ。
そして、その僅かな一瞬を、逃す相手では、無かった。
明智は、にい…と、高遠の唇の両端が、奇妙に吊り上がるのを、見た気がした。

ぼんっ! という派手な音と共に、明智の視界は瞬時に、闇と煙とによって完全に遮られてしまっていた。微かな火薬の匂いが、鼻腔を刺す。
明滅を繰り返す街灯の灯りは、混乱の象徴のように刹那の眩さだけを映し、明智に、ただ苛立ちだけをつのらせた。
「た、高遠!」
肺に煙を吸い込んでしまったらしく、ひどく咽ながらも、懸命に明智は高遠の姿を探したが、すでに何処にも気配は無い。

「殺してもよかったんですけど…、あなたを殺すと彼が悲しむでしょうから、今回は見逃して差し上げますよ…」
彼の涙は、わたしだけのものですからね…

何処からともなく高遠の声が聞こえるが、何処から話しているのか、辺りに響き渡って、さっぱりその位置は掴めない。

「何処だ!」

夜更けに大声を出すのは、どうかと思いますよ?  

風に乗って、高遠の囁くような声が聞こえる。
目の前の煙も、気が付けば跡形もなく、霧散していた。

GOOD LUCK! 明智警視…また、逢いましょう?

嘲りを含んだその声を聞きながら、明智は固く拳を握り締めていた。
「…絶対に、あなたのような人に、金田一くんは、渡しませんから!」
それは決意にも似た、呟きだった。
高遠に届いたのかどうかなど、問題ではなかった。自分自身への、意思の表明にも似たその呟きを、明智は心に刻み込んで、はじめの部屋の窓を見上げる。

「…わたしは、犯罪者なんかに、負けるつもりはありませんよ…」

弱弱しい明滅を、ずっと繰り返していた街灯が、たった今、ひと際大きく明るい光を放ったかと思うと、その後ぷっつりと灯らなくなってしまった。ついに寿命が尽きたのだろう。
完全な闇に支配されてしまった空間に立ち、それでも明智は、その場を、いつまでも離れようとはしなかった。


彼が手を下げた瞬間、銃の引き金の間から、小さな小石が、静かに、転がり落ちた。

いつの間に、そんなものが、挟まっていたのか…いや、挟まれていたのか。
それは、アスファルトの上で硬い音を立てながら、闇の中に、消えていった。



05/05/24    了
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明智さん登場の巻v
でも、明智さんって、もっともっと、強いキャラのはずなのに、ワタシが書くと、なんか、へたれてしまっています。
こういうシチュエーションのも、久しぶりに書いたためか、全然緊迫感が表現できていません!
しかも、書きながら、突っ込みどころ満載でした。
夜中でも、新聞屋さんのバイク走り回ってるって!…とか。
24時間営業の、コンビ二もいっぱいあるで!…とか。
情景描写の苦手さが、こんなところにもでちゃってます。
語彙、語彙が足りない〜〜〜〜!!!
でも、まあ、ビミョウな関係を、各自ほのめかしつつ…

ちなみに高遠くんは、「Dream Trap」の帰りですv

05/05/25UP
−新月−

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