Repetition
強く吹雪いていた雪が、少し小降りになり始めたらしい。激しく窓を揺さぶっていた風が、いつの間にか静かになっていた。
窓に寄って外を覗くと、白く曇ったガラスの向こうには真っ白な雪景色だけが続いている。すべての葉を落として、寒そうな姿を晒した黒い木々の梢には一様に雪が積もり、まるで白い花が咲いているかのようだ。
さっきまでの吹雪は峠を越したのか、はらはらと羽が舞い降りるみたいに、今、雪は穏やかな姿を見せていた。
もうすぐ、あの人が帰ってくる。
そう考えただけで、おれはもうじっとしていられなくて、小さくなりかけていた暖炉の火に、新たな薪をくべ始めた。できるだけ、部屋の中は暖かい方がいいに決まっている。
冷えた身体を、まず温めてもらおう。本当はスープでも用意できればいいのだけど、もう、この家には食べるものなど残ってはいないから…
そこまで考えて、おれは、はたと気がつく。
そうだ、そのために彼は狩りに出たのだ。その時はまだ、雪は降ってはいなかった。けれど空には雲が掛かり始め、吹雪になる気配はすでにたち込めていたのに、おれのために彼は無理を押して出かけていった。
たとえ吹雪が来ても、避難する方法ぐらい知っているから大丈夫だと。雪が小降りになったら必ず戻るからと、約束して。
「大丈夫ですよ。ぼくが今まで約束を破ったことがありましたか?」
そう言って、笑った。
おれを抱きしめて、キスをして。
そして、彼は出て行った。
遠くなってゆく影を、おれはひとり、窓からいつまでも見送っていた。
でも、それはいつのことだったろう?
ひどく曖昧になりがちな記憶を必死で呼び起こしながら、おれは暖炉の炎を見つめている。以前にもこんなことをしていたような、奇妙なデジャヴュを感じながら。
ふと、暖炉の前に転がっている丸太に気が向いた。いずれ乾ききれば暖炉にくべてしまおうと考えながら、未だに放って置きっぱなしになっている丸太に一瞥をくれると、おれはため息をひとつ落とす。
早く彼が、帰ってきてくれはしないだろうかと。
その時、室内に響いたトントンと扉を叩く音に、おれは弾かれたように身を翻すと、普段の動きからは想像もできないほどの機敏さで、重い木の扉を押し開けた。するとそこには、毛皮の付いた黒い防寒着に身を包んだ背の高い男が立っている。
見覚えのあるシルエット。確認する必要も無かった。
「たかとおっ、お帰り!」
部屋に入ってくるのも待ちきれずに、おれがその首に腕を回して抱きつくと、苦笑めいた息遣いが耳を掠めて、そして、細いくせに力強い腕が、おれの身体を抱き返してくれる。
「たかとお、遅いじゃないか。寂しかっただろ…」
「すみません、なかなか吹雪が止まなくて」
言いながら彼は、おれの唇に軽いキスを落とす。
その唇は、まるで氷のように冷たくて、どれだけ高遠の身体が冷え切っているのかが、おれに直接伝わる。
「たかとお、すごく冷たい。早く暖炉で暖まってくれよ」
「じゃあ、その前に部屋の中に入れて欲しいんですけど…」
その言葉に、おれはそこがまだ外だということに、気が付いた。
防寒着を脱ぐと、おれが暖炉の前に用意した椅子に座って、高遠は炎に手をかざしている。そんな見慣れたはずの後姿に、なぜだか泣きたいほどの懐かしさを覚えて、おれの胸は震えてしまうんだ。
愛おしさに、張り裂けてしまいそうな痛みさえ感じて、どれほどの想いでおれは彼を待っていたのか、自分でも驚くほどの感情が身の内に溢れてくる。
誰かをこんなにも、好きでいられること。
こんなにも綺麗な心で、誰かを愛していられること。
苦しいことも多かったけれど、それは奇跡のように幸せな出来事だったと、おれは思うんだ。
たくさんの想いを込めて、そっと広い肩に寄り添うけれど、すべてが氷でできているみたいに彼の身体は冷たくて。おれは余計、泣きたい気持ちになる。
「ごめんな。おれのせいで、こんなに冷たくなって…」
おれの言葉に、けれど高遠の方が申し訳無さそうな顔をして、おれを見た。
「いいえ、ぼくの方こそ、何も持って帰れなくてすみません」
狩りに出ていた高遠は、確かに手ぶらだった。持っていったはずの銃さえ、携えてはいなかった。でも、そんなこと構いはしないんだ。高遠が約束どおり、おれの元に帰って来てくれただけで、十分なんだから。
そのことを伝えようと、おれからキスを仕掛けると、いきなり強く抱きしめられて、深く唇を探られて、そのまま暖炉の前の毛皮でできた敷物の上に押し倒された。
おれの着ているものを、一枚一枚丁寧に脱がしてゆく高遠の手の冷たさを感じながら、おれは自分の上に重なっている男の顔を見上げていた。
白い肌も、頬に掛かる漆黒の髪も、赤く薄い唇も、見慣れた高遠のものだ。日本人にしては珍しい月の光を宿したような瞳が、暖炉の炎を映して深い琥珀色に染まっている。
静かにおれを見つめるその眼が、どこか寂しげに見える気がして。
どうしようもなく、おれは切なくなる。
「好きですよ、はじめ。誰よりも…永遠に」
高遠が、そっと耳元で呟く。
微かに息の上がった掠れ声に、おれの中の何もかもが熱く煽られて。焼き切れてしまいそうな感覚の中で、喘ぐようにおれも言葉を紡ぎ出す。
「あぁ… たかと…おれも、おれもあんたが、一番好きっ…」
それは、間違えようも無い真実。
好きだと思うだけで、涙が零れてしまうほど。
何を失っても構わないと、考えてしまうほど。
この人さえいれば、それだけでいいと思ってしまうほどの想いで、愛している。
けれど…
そのために、おれたちはこんなところで暮らす羽目になってしまった。
そのことをおれは、後悔したことも無いけれど。
でもそれを「狂っている」と、人は言うんだ。
同性同士で愛し合うことが罪だなどと、一体誰が決めたのだろう。
何よりも純粋な想いで好きになった人が、自分と同じ性を持っていただけだというのに。
自分と同じ想いを、相手が自分に返してくれることの喜びを、誰に自慢することもなく、誰に迷惑を掛けることもなく、ただ、互いの想いを重ね合っていただけなのに。
そのことを人に知られた途端、汚らわしいと罵られ、住んでいた場所を追われ、命の危険さえ感じて、逃げて辿り着いた場所が、人里離れた山奥に建っていたこの小屋だった。
誰がこんなところに建てたのか、狩人が冬に立ち寄る小屋とも思えないほどに中は荒れ果てていて、人が住まなくなって随分と時間が経っているのがわかる代物だった。それでも、雨露さえしのげればと、おれたちはここで暮らすことに決めたんだ。
力仕事にはまるで縁の無さそうな高遠と、不器用この上ないおれと、ふたりで。
手を入れれば何とかなるだろうと、顔を見合わせて、明るく笑った。
もう、行くところなんて、どこにもなかった。
だから、生きていられる限り、共にいようと誓い合った。
たとえそれが、そんなに長い時間でなくとも。
そう、初めからわかってた。
冬が来たら、きっともう、そこまでなんだろうってことぐらい。
里で生まれ育った人間が、雪の積もる山で冬を越せるはずも無い。
でも、それでもよかった。
誰の目も気にすることなく、ふたりでいられることが。
とても、幸せだったんだ。
だから、ずっと傍にいて。
どこにも行かないで、ずっと、おれの傍に。
たかとお…
暗闇に伸ばしたおれの手には、何も触れない。
「たかとお?」
いつの間に意識を失っていたのか、気が付くと小屋の中にはおれだけが取り残されていて、赤い暖炉の炎が室内を暗いオレンジ色に染めている。
轟々と唸る吹雪の音が、まるで嵐のように激しく窓を叩いていた。
「…ああ、そうだった。この吹雪が止まないと、たかとおは帰って来ないんだったっけ…」
寝そべっていた毛皮の敷物から、ゆるゆると身体を起こしながら、おれはため息をひとつ吐く。
冬になって、蓄えていた食べ物が底をつき始めて。その上に身体を壊して寝込んだおれのために、高遠は手元にあるわずかな弾と猟銃とを携えて狩りに出た。
必ず帰ってくると、約束だけを残して。
確かに、彼の狩りの腕は意外なほどだった。正確で、急所を外さない。
けれどそれは、雪が積もる前のこと。危険な雪山で何が起こるかなんて、素人のおれたちには予測もつかない。
だからおれは必死で止めたのに、なのに、高遠は行ってしまったんだ。
でも本当は、彼は怖かっただけだったのかもしれない。
日に日に衰弱してゆくおれが、自分よりも先に死んでしまうことが。
自分ひとりだけが、残されてしまうことが。
だから、わずかな可能性に賭けたのかもしれない。
おれを助けることに、自らの命を。
おれはひとり暖炉の前で膝を抱えながら、目の前に転がる丸太に目をやった。
朽ちて乾燥して、黒くなった丸太。
それは、高遠を待ち続けて、死んでしまったおれ自身だ。
最後の瞬間まで、高遠だけを想い続けて。
そして、ひとりのまま、その鼓動は止まってしまった。
こんなことになるのなら、残った弾で、ふたりで死ねばよかった。
そうすれば、こんな寂しい想いなど、しなくても済んだだろう。
でもきっと、高遠はおれに生きていて欲しかったんだと思う。
いつも、おれには元気に笑っていて欲しいと。
そんな人だった。
それがわかっているから、おれはひとりでも、耐えていられる。
高遠は、必ず、おれの元に帰ってきてくれる。
そう、信じていられる。
「…ずっと、待ってるから。いつまでも、おれは待っているから…」
閉ざされた吹雪の中で、いつかこの雪が止むのを、おれは待っている。
彼が帰ってくるのを、待っている。
何度も、何度も。
それが刹那の逢瀬だとも、気付かないまま。
永遠に。
08/01/10 了
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新年一発目のお話が、これですか…(汗)
じつはこれ、19代目TOP絵から湧いてきてしまったお話なのです。
何の救いも無いのですが、こういう純愛もありかなあと。
でも、最初からネタバレしていながら、なんだかわかりにくい話でしたね(滝汗)。
タイトルは、このお話そのままの「繰り返し」という意味です。
同じ時間を、ずっと繰り返しているという。
う~ん、いつかこのふたりも、救われて欲しいものですね。
と、思っていたら、なんと魚里様がこの続きを書いてハッピーエンドにしてくださいました!
「いただきもの」の中にこの続編がございます。
魚里様、どうもありがとうございましたv
08/01/10UP
再UP 14/08/30
-竹流-
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