感情の行方 Ⅱ




ふと、頬に触れた温もりに、我に返った。
それは、酷くやさしく、壊れ物にでも触わるみたいに、そっと、おれの頬から眦にかけて移動する。

誰の指先なのかは、わかっている。
深く暗い闇に、おれを突き落とした張本人の指。
どうやら、いつの間にかおれは泣いていて、その涙を拭ってくれているらしい。
やさしい恋人気取りで。

なんで、こんなことするんだろ? 
まさか、おれの持ちかけた『遊び』を未だ本気で実践中なのかな?

おれの中で、そんな疑問が浮かび上がる。
でも、たぶんそれが正解だという気がして、笑いたいような気分にもなる。

そう、どこかしら奇妙に生真面目な部分を持つこの男は、おれが悔し紛れに持ちかけた『ゲーム』を、ずっと楽しんでいるのだろう。本当に、おれを落とすつもりなのかどうかはわからないけど、そのフリをしてみせているんだ。
恋人みたいに、やさしくおれに触れながら、おれの感情なんか無視して、犯し続ける男。
その、相反する行動を、あたかも当然のごとくにやってのけることが出来る男。
おれが、やめてほしいと言っても、聞き入れてなんかくれない。
当たり前だよな、おれはこいつに、ただ、犯されているだけなんだから。
弱みを握られたおれは、こいつの玩具同然。歯向かうことの出来ない、ダッチワイフみたいなもんなんだろう。

そんなこと、知ってるから。
わかってるから。
だから、感じたくなんかないのに。
なのに、おれの身体は、おれを裏切り続ける。

イヤだったのに、今も、イヤで仕方がないはずなのに、だらしのないおれの身体は、この男に犯されるたび、感じやすくなってゆくんだ。
こいつの指が、くちびるが身体に触れるだけで、全身が震えて、もっと奥まで触れてほしいと、戦慄く。
おれの心を裏切って、この汚れた身体は、この男を欲しがってよがる。

そんなおれを、どんな気持ちで、この男は見ているんだろう?

自分の作り上げた犯罪を、いくつも暴き続けてきたおれを、この男は憎んでいる。だからこそ、こんな仕打ちを仕掛けてきたに決まってるんだ。
そんなおれが、自分に組み敷かれて、思うがままに喘がされているのを見るのは、さぞかしいい気分に違いない。
絶対的な優位が、今のこの男にはあって、おれはまるで、操られるままのマリオネットで。
この男の良い様に、玩ばれるだけの存在でしかないのだから。

だからおれはいつも、きつく瞼を閉じたまま、終わるまで開けない。
そして、どんなに泣きたくなっても、絶対に、涙は見せない。
辛そうな顔なんか、見せてやらない。
そう心に決めて、今までずっと、そうしてきた。
情けないけど、その程度の抵抗しか、今のおれにはできないから。

でも、もう、限界だ。
おれはこいつのせいで、まともな恋愛なんか出来ない身体になってしまったらしい。
男に抱かれて、それだけで、イッテしまうなんて。
感じやすいんだということは、自分でも、気がついていたけど。
この男と身体を合わせるたびに、快感が与えられて、回を重ねるごとに、それが深くなってゆくのが、わかっていたけど。
でも、こんなの、普通じゃない。
好きでもない男と。
ましてや、おれを犯して、その堕ちてゆく様を楽しんでいる男に抱かれてるっていうのに、おれの身体はおれの感情を裏切って、馬鹿みたいに気持ち良いと訴える。

知ってるよ、こういうの、淫乱っていうんだよな。
こんなおれを見るのは、楽しいだろう。
恋人みたいにやさしいフリをして、心の中では、おれを蔑んでいるんだろう。

わかってるから…
…それがわかっているから、余計…哀しい。
泣かないって、決めていたけど、もう、無理だ。
涙が、止まらない…

涙を零し続けながら、そんなことをぼんやりと考えていたおれは、次の瞬間、力強く引き寄せられて、気がつけば、大人の男の広い胸に、顔を埋める形に収まっていた。
ぴったりと、隙間なく合わせられた身体に、この男の温もりが伝わる。
滑らかな素肌の感触も、規則正しく繰り返される鼓動も、おれを安心させようとするかのように感じられて。
戸惑うしかなかった。

どうして、こんなことをするのか。
今まで、一度だって、こんな風におれを抱きしめたことなんてなかったのに。
こんな風に、力強く抱きしめられたことなんて…一度もなかったのに。

「…汚れるから… おれ、身体拭いて無いから …汚い…ままだし…」

涙とともに漏れそうになる嗚咽を、懸命に堪えながら、それだけを告げる。
もう、離して欲しい。
そうじゃないと、何かが、おかしくなってしまう気がする。
何かを、勘違いしてしまいそうな、そんな気が。

「そんなことは、いいんですよ。きみが泣くから、だから… 泣かないで…金田一くん」

高遠の言葉に、思わず顔を上げていた。
高遠の顔が視界に入って、おれを見つめている眼差しにぶつかる。

いつも絶対に、この男の顔を見ないようにしていた。
それは本当は、どんな眼で自分を見ているのかを知るのが、怖くて、仕方なくて。
だから、見ないようにしていた。

でも、今、自分の目の前にある、高遠の月の光を宿した眼差しは、蔑みでも、嘲りを含むわけでもなく、ただ、やさしくて。
どこかしら、哀しみを混ぜた色をしている、気がして。

「…たかと…」

思わず、その名を口にしていた。
すると突然、抱いていた腕の力が少し緩んで、見上げたままのおれの顔にこの男の綺麗な顔が、ゆっくりと近づき始めた。
何をされるのかと思っていると、すぐ目の前で高遠の瞼が閉じられて、綺麗な月の色を映した眼が見えなくなって。
次の瞬間、くちびるが、おれのそれに重なっていた。

初めてだった。

何度もセックスはしたけど、キスだけは、今まで一度もしたことが無かったんだ。
されそうになったことはあったけど、その度におれが、顔を背けていたから。
だって、キスだけは好きな人とじゃないと、イヤな気がして。
こんなに穢された身体で、おかしなことをおれは考えていたのかもしれない。でも、本気でそう思っていた。高遠も、無理強いはしてこなかったし。
だから、くちびるだけは、穢されないままだったのに…

なんで、キス、させちゃったんだろう。
なんでこんなに、切ない気持ちになっちゃうんだろう。

高遠のキスが。
ただ、くちびるを合わせただけの、軽い口吻けが。
まるで、初心な恋人に捧げるように与えられたそれが、なぜか微かな震えをおれに伝えてきて。

胸の奥が、軋むような感覚を伴いながら、酷く痛んだ。

さっきまで落ち込んでいた感情とはまた違う、全く別の感情がそこには存在して、おれを苦しめている。
そんな気がして。

怖くなった。



06/07/13   了
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いきなり裏からはじまりますが。 一応、「Preasant despair」の続きです。

06/07/13UP
14/12/19再UP

-竹流-


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