歌声のあとに ~LOVE SONG Ⅲ より~
ドアを、ノックする音がした。
ベッドの中で、穏やかなまどろみに身体を包まれ、夢と現実の狭間を漂いかけていた、まさに、その時。
冷や水を浴びせられたように、身体を震わせて、覚醒していた。
咄嗟に起き上がって、条件反射のように、ベッドの隅に身体を寄せる。
逃げることなど、出来ないことぐらい、わかっているのに。
はじめの視線の先で、こちら側からは鍵の掛けられないドアのノブが、ゆっくりと回され、音も無く、静かに開かれた。
「こんばんは、はじめ」
黒い影と化した男が、クスクスと忍び笑いを洩らしながら、すでに灯りを落とされた、はじめの部屋の中へと入ってくる。
いつものように。
はじめは、自分の身体が、硬く強張ってゆくのを止められなかった。
そんなはじめを、知ってか知らずか、影は窓に寄ると、閉めてあったカーテンを勢いよく開いた。
真円に近い月の明かりは、まるで天から降り注がれるスポットライトのように男を照らし、部屋の中を青白い光で充たす。
「今夜の月は、とても、綺麗ですね」
月の色を宿した眼差しをはじめに向けながら、月明かりに浮かび上がる美貌は、月光よりも冷たい笑みを浮かべている。
「…たかとお…」
はじめは、震え出しそうになる身体を必死で押し止めて、何かを諦めた瞳に、目の前の綺麗な男を映していた。
「ぼくが、怖い?」
言いながら、高遠ははじめの傍に寄ると、その白い指先を、はじめの頬に滑らせる。
冷たい、その感触。
肯定もせず、否定もせず、はじめはただ真っ直ぐに、高遠を見つめ返していた。
「きみは、いつも強気ですね」
クスクスと、笑いながらベッドの上に乗ってくると、高遠は顔を近づけてくる。
はじめが顔を反らせると、首筋に口付けを落とされる。
本意では無いのに、もう、何度となく馴染んでしまった感触に、身体の奥に疼くような感覚が芽生え、微かな熱が点されてしまう。
堪えるように、目を閉じて、唇を、噛み締めていた。
ベッドの中央へと引きずり戻されて、そのまま、剥ぎ取られるように、着ているものを脱がされる。
いつも、はじめは抵抗なんてしない。高遠に、されるがままに、身を任せている。
何をしても、無駄なことなのだ。抵抗すれば、もっと酷い目に合わされるだろう。
この男に、心など無いことぐらい、わかっている。
目を閉じて、ただ、堪えていればいい。
そうして、時間が過ぎるのを、待てばいい。
もう、少々の無茶をされても、傷つかない程度には、身体は慣れてしまっている。
そんなことを考えていると、迂闊にも、涙が零れてしまった。
慌てて拭おうとすると、その手を高遠に掴まれた。
「…泣いてるの?」
はじめは、何も答えない。頑なに。いつものように。
「きみは、本当に、心を見せませんね」
ため息混じりに零された高遠の言葉に、一瞬、怒りにも似た想いが、はじめの中で頭を擡げた。そのせいだろうか、思わず言葉が、口をついて出たのは。
「…玩具に、心なんて、いらねーだろ!」
突然、睨みつけるような視線と共に、返されたはじめの言葉に、高遠は、少し驚いたように、目を見開いた。ベッドの上で、甘さを伴わない視線が交わされ、それは無言のまま、はじめがまた目を逸らすまで、続けられた。
「…そうですね…」
高遠ははじめの眦に流れた涙を指先で拭うと、何を思うのか、それを薄い唇に含んだ。
高遠は、横を向いたままのはじめの頬にキスを落とすと、首筋へと伝うように唇を滑らせていった。手は、はじめの胸の飾りの先を、そっと、掠めるように触れている。ただ、そうされているだけなのに、それは、尖って存在を主張し始め、はじめの身体の奥では、灯された熱が燻り始めてしまう。頭の中が、痺れるような感覚を訴えている。
「身体は、正直ですよね」
くすっと、高遠が笑みを洩らすと、はじめの全身が羞恥に震えた。
本意ではない行為にさえ、慣れて感じてしまう身体を、悔しいとさえ思う。
それでも、はじめは今まで、高遠とのこの行為で、最後までいったことは無いのだ。
いつも、最後には、痛みで萎えてしまうから。
けれど、それだけが、救いだった。
最後の、一線のように。
なのに、今夜の高遠は、少し変だった。
いつもよりも、ずっと執拗に、はじめの身体を愛撫してくる。その指先が、なぜか、慈しむように優しい気がして、はじめは困惑していた。
こんなことは、初めてだった。
高遠はいつも、おざなりに触れては、所有の印をあちらこちらに散らして、慣らしもせずにローションだけを使って、いきなりはじめを貫いてくる。そんな行為に、痛みを感じない訳が無い。ただ堪えることだけを、強要されているようなものだ。
そして、痛みに身体を震わせながら堪えているはじめを、いつも楽しそうに眺めながら、高遠は口にする。
「きみのその顔は、とても色っぽくて、好きですよ」
と。
冷たい、男。
人の身体を、まるで、欲望を充たすための道具としてしか見ない、残酷な男。
けれど、何度も受けたそんな乱暴な行為にも、もはやはじめは、涙を零さないまでに慣れてしまっていた。
どんなに酷くされても、平気な顔をしていてやりたい。
高遠が、悔しがるほど。
そんな思いで、はじめはいつも抱かれている。
けれど、高遠が、夜、ドアを叩くたび、身体は強張ってしまう。
痛みを、恐怖を、思い出して。
なのに、今夜の高遠は、そんなはじめの思いを全く覆してしまうかのように、優しい愛撫を繰り返す。それはまるで、はじめの総てを、手に入れようとでもしているかのよう。
身体のあちこちに、唇を落とされ、感じる場所を探るようにその指先ははじめの身体を這い回る。
煽られてゆくのが、自分でもわかった。もう、どうしようもないほどに、はじめ自身も張り詰めてしまっている。
こんなことは、考えてもいなくて、どうしていいのかわからない。けれど、ただ、溺れてしまうのは、酷く屈辱的な気がしていた。
唇を噛んで、懸命に快感を堪えようとしていたら、突然、含まれてしまった。
高遠の、口の中に。…はじめ自身が。
「あっ! た、たかとお…やめてっ!」
思わず、叫んでいた。
高遠はそんな言葉など、まるで無視するかのように、口を使って刺激してくる。
そこは、とても暖かくて。そして、きつく吸い上げられて、今まで知らなかった感覚をはじめに与える。
さらに高遠は、舌を使って、一番感じるところを責めながら、掴んでいる手を上下に動かして刺激してきた。
懸命に高遠から逃れようとするのに、しっかりと捕まえられていて、放してくれない。
「い…いやだっ!たかと…っ!は、はな…せ…っ!」
こんな風に与えられる快感は初めてで、はじめは、ひとたまりも無かった。
身体が、大きく震えた。
「あっ、ああああっ!い、いや…だ…っ!もう、やめ…っ!……ああ…っ!」
高遠の口の中に、欲望を吐き出してしまっていた。
抗いようの無い、快楽。
声すら、上げて。
落ちてゆくような虚脱感と共に、感じていたのは …敗北感。
達した満足感など、どこにも存在しなかった。
最後まで守っていたなにかさえ、奪われてしまったような。
もう、なにも、自分の中には残っていないような。
そんな、喪失感。
高遠は顔を上げると、まるで見せ付けるように喉を鳴らして、それを飲み込んだ。
でも、もう、どうでもよかった。
はじめは、ただ虚ろな人形のように、ぐったりと力を無くして、暗い瞳でそれを見ていた。
高遠が、はじめの頬に手を伸ばしてくる。それを、ぼんやりと見つめていた。
「良かったでしょう?」
なぜか、不安げに高遠が訊いた。けれど、はじめは、何も答えない。
「こうしてあげると、みんな、喜びましたけどねえ」
今までの、玩具は…
高遠が、そう、ポツリと呟くのを聞きながら、はじめの頬に、涙が零れていた。
幾つも、幾つも、それは零れ落ちてゆくのに、はじめは、ただ、ぼんやりと宙を見つめているだけ。作り物の、人形のように。
高遠はそれ以上、もう、何も言わなかった。
膝を立てさせると、高遠は、ローションをはじめの中に注ぎ込む。無造作に、何のためらいも無く。それは、はじめのためではなく、ただ自分が、欲望を吐き出すためだけの準備。
はじめは、ようやく、目を閉じた。
次に来る、痛みを堪えるために。
なのに。
はじめの中に差し込まれたのは、高遠の細い指。
そして、首筋に、再び唇が落とされていた。
唇で、はじめの身体を愛撫しながら、指で、狭いはじめの中を解してゆく。
再び、困惑がはじめを襲っていた。何故、高遠がこんなことをするのか、わからない。
ゆっくりと、時間を掛けて高遠ははじめの中を解してゆく。いつの間にか、指は、もう、三本にまで増やされていた。
いつものような痛みは、感じなかった。
気がつくとはじめは、高遠にしがみつくように腕を回して、震えていた。
今まで、感じたことの無い何かが、高遠の触れている場所から、全身に広がってゆく。
「…はっ…なん…で…?…こんな…」
はじめの口から零れた言葉に、高遠が穏やかな笑みを浮かべた。
「きみに、本当のセックスを教えてあげる」
高遠はそう言うと、はじめの中に入れていた指を引き抜いた。
「…あっ…」
突然訪れた喪失感に、はじめの唇から声が漏れる。
クスリと、高遠が笑う気配があった。
足の間に高遠は割り込んでくると、はじめの足を自分の肩に掛けさせ、そして、猛る灼熱をそこに、押し当てた。
「いいですね?」
初めて、高遠ははじめに同意を求めた。なんの気まぐれか、今夜は、対等に抱き合っていたいらしい。
訳もわからず、はじめは頷いていた。
「……………っ!」
抑えるので必死だった。喉から、迸ってしまいそうになる声を。
決してそれは、痛みから来ているわけではない。
シーツを掴んで、指を噛んで、堪えるので精一杯だった。
男同士のセックスが、こんなにも、快楽をもたらすものなのだと、いま、はじめは教えられていた。
他でもない、高遠に。
それは、屈辱感も、敗北感も、持てる感情のすべてを凌駕する勢いで、はじめを取り込んでしまう。
「………はじめ……すごく…感じる…」
高遠が、はじめの身体を揺さぶりながら、耐え切れないように声を洩らす。
はじめは、自分がおかしくなったんじゃないかと、思った。
高遠の言葉が、嬉しいと、感じるなんて。
思わず、声を上げてしまいそうになる。
たかとお… と。
でも、それは絶対に、できない。
あの日、自分に、誓ったから。
まるで言葉の代わりのように、涙が流れていた。
それは、止めどなく零れ落ちて、嗚咽さえ伴って。
高遠が、動きを止めていた。
「はじめ…」
その細い指先で、はじめの涙を拭いながら、一瞬だけ、つらそうに眉を顰めた。
「…ぼくに抱かれるのは…そんなに…イヤ…ですか」
はじめは、やっぱり、何も答えない。
いつものように。
「…でも…」
高遠は、横を向いたままのはじめの顎を掴むと、自分の方へと向けさせた。
真っ直ぐに、はじめを見下ろしてくる月色の瞳には、暗い感情が、揺れている。
「ぼくは、きみを手放す気はありませんから。きみがどんなに嫌がったとしても、絶対に」
歪んだ笑みが、薄い口元に浮かぶ。
「きみは、ぼくのものです。たとえ、きみが、他の誰かを想っていても…ね」
そして、所有の印を、はじめの胸に散らしてゆく。
再び、激しく揺さぶられながら、はじめは、闇の中に視線を泳がせていた。
青白い、月明かりに充たされた、深い闇。
それは、自分の中にも、確かに、存在する。
そう考える、はじめの口元にも、歪んだ笑みが浮かんでいた。
泣きながら。
馬鹿だなあ、たかとお。
玩具に、心なんて、あるわけないのに…
暗い虚ろを胸の中に抱えたまま、瞼を閉じる。
あの日、すべてを諦めてしまった自分に、心など、存在しない。
冷たい高遠と、同じように。
だから、この身体は、痛みも、悦びも、何も感じないはず。
何度も自分に言い聞かせながら、高遠の激情を、身の内に受け止める。
もう、何度繰り返したのかわからない、この後の始末にも、胸なんか痛まない。
愛の無い、この行為にも。
自分という、存在にも。
なにも、意味は無い。
ただ …
ただ …と、はじめは想う。
ただ、ひとつだけ、そんなはじめにも、願いはある。
そのためになら、何を犠牲にしても、かまわないと想うほど。
自分の、一番奥深くに隠した真実を抱きしめながら、はじめは涙を零す。
だれにも、知られない。
はじめの中の、真実。
それは、意地やプライドなどとは比べ物にならないほどの重さで、そこに存在している。
虚ろの中で、でも、確かにそこにあるもの。
この身が、どんなに穢されても傷つけられても、それだけは決して穢れない、もの。
「…大丈夫ですか…」
ぐったりと、力無く目を閉じているはじめに向かって、高遠が気遣うように声を掛けてきた。すべてが終わった、その後で。
その言葉に、心底驚いた、と言う顔をして、はじめは目を見開いていた。
高遠が、こんな優しい言葉を掛けてきたのは、初めてのこと。
「そんな顔をしないでください」
苦笑を洩らしながら、高遠は、頬や額に張り付いているはじめの乱れた髪を、そっと梳いている。
本当に、何があったというのだろう。明らかに、高遠はいつもと違った。
いつもの彼なら、用が済めば、さっさと自室へと戻ってしまうのに。
胡乱な眼差しを向けるはじめを、高遠はただ静かに、見つめている。
その瞳に、今までは無かった揺らぎが見える気がして、はじめは怖くなった。
ゆっくりと、震える唇を、開いた。
間違いでありますように、と。
「…たかとお…おれは…それだけは……やれないよ…」
けれど、はじめの言葉の意味が、わかったのだろう。
高遠は瞬間、息を詰めて固まった。
真っ直ぐにはじめを見つめる眼差しに、苦渋の色が混じる。
「…そんなこと、どうでもいいんですよ。…きみは、ぼくのものなんですから…」
はじめの胸に顔を埋めると、その身体を抱きしめて、高遠は、そう繰り返した。
呪文のように。
だから、高遠は気付かなかった。
はじめの目に、再び、涙が浮かんでいることに。
その涙の意味を。
知る者は…
05/10/15 了
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魚里奈美様のサイト「魔女のアトリエ」にて連載させていただいている『LOVE SONGⅢ』の、高遠くんの回想シーンに出てくる、はじめちゃんが歌ってた、その後のお話にあたります。
今回、オールはじめちゃん側からの語りになるので、ちょっと、困りました。
ええ、書き出してから。
これを読んでいただくと、いかに高遠くんが鬼畜だったかと言うことが、わかるようになっております。
完全に納得、と言うわけでは無いのですが…これ以上、手も入れられなくて。
不完全で、申し訳ない。
-竹流-
05/10/15UP
14/12/07再UP
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