胡蝶の夢
「…たかとおの意地悪っ」
非難めいた言葉が、はじめの唇から零れ落ちる。
けれど、そんな言葉とは裏腹に、悩ましげな表情で男の首に腕を絡ませながら、濡れた眼差しをすぐ目の前にある秀麗な顔に向けている。
ふっと、男の薄く朱を引いたように赤い唇が、笑みを形作った。
「早く舐めて。全部綺麗にしたら、あげますよ」
白くにごった粘り気のある液体に塗れた指先を、はじめの顔の前に差し出しながら、まるで逃がさないとでも言いたげに、男のもう片方の手ははじめの背中に回されている。
「でも…」
はじめの瞳が逡巡に揺れる。
男の手に絡んでいるものがなんなのかを知っているだけに、余計ためらわれるのだろう。
「きみが出したものでしょう? 平気ですよ」
「だって! …たかとおが、あんなに性急に責めてくるから、我慢できなかったんじゃん…」
「それにしても、たくさん出ましたよね」
男の言葉に、はじめの頬が恥じらいに染まった。
そんな様子に気を良くしたのか、見せ付けるように、男は手についた液体をぺろりと舐めた。
紅い舌が、まるで別の生き物のように濡れ光りながら指を這う様は、酷く扇情的で、気がつくとはじめは、引き込まれるように男の行動を見つめ続けていた。
「…全部舐めたら、くれるのか?」
「ええ、いくらでも、きみが欲しがるだけあげますよ」
意を決したように、はじめは恐る恐る舌を出して、男の指を舐めた。
「苦い…」
眉根を寄せるはじめに、男はクスリと笑う。
「そんなことはありませんよ、蜜のように甘いでしょう?」
「そんなの思うの、たかとおだけだって」
苦笑めいた笑みを零しながら、それでもはじめはまた、男の指を、その指についた自らの精を舐め始めた。そうして目を閉じて、懸命に舐め取ってゆく。
うっとりと、そんなはじめの姿を眺めながら、男はもう一度、自らの指についた液体に舌を這わせる。
やはり、甘いと思う。
彼の吐き出す精だけではない、その存在自体が、蜜のように甘いと感じるのだ。
きっと彼は、夏に咲く大輪の花なのだろう。
明るい太陽が似合う、眩い花。
その花を独り占めしたいと願う、自分は蝶なのかもしれない。
そう考えて、男は苦笑を漏らしそうになる。自分ならば、蝶のフリをした蜂か毒虫が、一番ふさわしいに違いない。
けれど、こうしてふたりで睦んでいるのが夢で、本当は大輪の花で蜜を無心に吸っている虫の姿こそが、本物だとしたらどうだろう。
犯罪者である自分が、小ざかしい探偵まがいの少年と恋仲になって、こんな事をしているというのは、やはり現実離れをしているとしか言いようがない。
目が覚めれば、大輪の花に恋をして離れられないでいる、愚かで儚い蝶なのだとしたら。
そんなバカなと思いながらも、いつもどこかしら夢心地で現実感のない少年との生活は、まるで幸福な幻のように感じられて。
覚めてしまえば、すべては淡い蝶の夢物語だったのだとしたら。
もしも、そうなのだとしたら。
ふいに、今まで閉じていたはじめの瞼が、ゆっくりと開いて、その悩ましげな眼差しが男を捉えた。
夢を見ているようでありながら、みだらな熱を秘めて潤む瞳が、自分を映している。
それを見た途端、男の惑いは消えていた。
そう。
ならば命果てる瞬間まで、この夢を見続ければいいだけのことだ、と。
男はもう一度、指に絡んだ少年の蜜を、舐めた。
08/08/08 了
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以前、「胡蝶の夢」のイラストをアップしたときに
拍手お礼SSとして書いていたものです。
時間が結構経ったので、こちらにアップしました。
前に書いたお話で申し訳ないのですが…
10/03/21UP
再UP 15/05/30
-竹流-
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