それを悲恋と呼ぶのなら






泡になった人魚姫は、命を懸けたその恋を、後悔したのかな?
朝一番の光を浴びて、海の泡になって消えてゆく自分を、バカだと思ったのかな?

突然、きみはそう言って、まっすぐな眼差しでぼくを見つめた。
泣き腫らしたみたいに、目の周りを紅く染めて。
潤んだ大きな眼を、さらに見開いて。

どうして今頃、アンデルセンなのかよくわからないけれど。
きみには、必要な答えなのだろう。

きみはどう思うんですか?
そう、ぼくが聞いたら、
すべてを捨てて、すぐ傍まで来たのに、その想いに気づいてさえもらえないなんて。
そんなの、悲しすぎる。
と、答える。

じゃあ、自分の想いに気づいてもくれなくて、他の女性と結婚してしまう王子を、憎んだんでしょうか?
そう尋ねたら、今度は小首をかしげて、少し考えてから、
ううん。
と首を振った。

ううん、憎んでない。
きっと、彼女はそうは思わなかったよ。

確信したように、ぼくを見つめながら、きみは言う。

どうして?
さらに問いかけるぼくに、
だって、殺せなかっただろ? 
憎んでいたなら、きっと殺して海に帰っていただろ?
でも、そんなことしなかったじゃん。
きっと、とっても、自分よりもずっと、好きだったんだよ。
その、気づいてもくれなかった王子のことが…

そう言ってから、
ああ、
と、きみは声を上げた。

だから、悲しいんだね。
あまりにも、その想いが純粋で綺麗なままだから、悲しいんだね。

そして、微笑みながら、誰よりも綺麗な涙を、一粒だけ零した。

ねえ、人魚姫。
きみは消えてしまったけれど、こうして綺麗な心で涙してくれる人がいて、幸せでしょう?
誰にも祝福されず、そして届くことのなかった恋でも、綺麗なままの想いをまっとうできて、幸せだったでしょう?

叶えてはいけなかった恋を、手に入れてしまったぼくと。
誰よりも大切な人を、自らの手で地獄の業火に突き落としているぼくと。

どちらがより悲劇なのでしょう。

きみの身体を抱き寄せて、腕の中に閉じ込めながら、ぼくはそんなことを考える。
決して後悔などしない、狂った頭で。

ぼくの腕の中で、ぽつりときみは呟く。
まるで、ぼくの想いを、知っているみたいに。

おれは、しあわせだよ。
こうして、たかとおが抱きしめていてくれるから。
おれの想いを、受け止めていてくれるから。
だから、しあわせだよ。

ああ、そうだね。
ぼくも、しあわせだよ。
きみが傍にいてくれるから。
未来も、希望もないと、知っていても。

悲劇かどうかなんて、だれかが勝手に決めることなのかもしれないね。

泡になって潰えても。
地獄の業火に焼かれても。
後悔なんてしない。

そんな恋を知っている者だけが、たどり着ける場所が、きっとあるのだろう。

それを悲恋だと。
誰もが指をさしたとしても。



07/03/12   了

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なぜだか、子供の頃からずっと好きだった
「人魚姫」で書いてみました。

07/03/13UP
−新月−

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