愛とは決して後悔しないこと 「高遠のことは、申し訳ないことをしました。きみが拉致されているという情報だったものですから…」 白い簡素な印象の病室の中で、明智ははじめにそう切り出していた。 はじめの目の前で、高遠が警官の発砲による銃弾に倒れ、そのショックで彼は意識を失い、そのまま長く昏睡状態に陥っていたのだ。 ようやく意識が戻ったと、医師から明智のもとに連絡が入ったのは、ほんの数時間前のこと。とるものもとりあえず、明智は駆けつけてきたのだった。 警察として聞かなければならないことは多かったが、そんなことは後でもいい。とにかく、一言謝りたかった。言い訳なんか聞きたくないと、なじられることも、責められることも覚悟してきたつもりだった。 なのに、はじめは何も言わず、ただ、明智を見つめているだけ。 あまりにも静かなその様子に、逆に明智は不安を感じた。 はじめの心は、ちゃんと、ここにあるのだろうかと。 あの日、血まみれで倒れている高遠の傍にいたはじめの姿を見たとき、明智は自分のしたことをどれだけ後悔したか知れない。 それは思い出すと、今でも胸の奥が痛むほど。 それほどに、はじめの姿は痛々しく、哀れだったのだ。 明智は思っていた。 はじめは、自分のことを憎んでいるだろうと。 自分のしたことを、決して許してはくれないだろうと。 それは当然のこととして、明智の中でイメージされていた。 だから今、目の前にいるはじめの反応は、明智にとって戸惑い以外の何ものでもない。 「金田一くん…?」 不安を滲ませた声で、明智がもう一度呼びかけると、はじめはようやく口を開いた。 「そんなに心配しなくっても、大丈夫だよ。おれ、壊れてなんか無いから」 自分の考えていたことを、まるで見透かしたように答えてくるはじめに、明智は少しばかりの居心地の悪さを覚えながら、けれど同時に、安心を感じたのも確かだったろうか。 そう、彼の鋭さは、以前と全く変わってはいない。 「それは良かった。心配していたものですから…きみの目の前で、あんなことになってしまって…」 明智の言葉に、何を思い出してしまったのか、微かに身体を震わせると、はじめは様子を変えて、急に俯いた。 「…責めてくれてかまいません。すべて、わたしの責任です」 硬い声で言う明智に、はじめは俯いたまま、掠れた声を出した。 「…いいんだ。おれたちは、覚悟してた。いつかこうなるだろうって、わかってた。あの人は、あの人の犯した罪の責任を取ったんだ。ただ、それだけ。だから、誰のせいでもないよ。明智さんのせいなんかじゃない。だから、責任なんて、感じなくっていいよ…」 言いながら、顔を上げたはじめの目には、溢れんばかりの涙が溜まっている。 それを零すまいと堪えているのか、きゅっと下唇を噛んで、それでも笑みを浮かべようとしている。 けれど、その姿はやはり痛々しくて、見ていられない気持ちになる。 「でも、わたしは…」 なおも、何かを言おうとした明智の言葉を、はじめの言葉が遮った。 「ねえ、明智さん。知ってる? 愛ってね、決して後悔しないことなんだよ…」 そう呟くと、はじめは窓の方へと顔を向けた。 夏の日差しが、眩いほどに照りつけている。 ベッドに凭れかかったままの彼の肩が、小刻みに震えているのを、明智は黙って見つめているしかなかった。 それは、古い映画の中のセリフ。 今聞くと、それはとてもチープなセリフだと言えるかもしれない。 けれど、と、明智は思った。 その言葉の意味を、真に知ることが出来る人間は、この世に一体何人いるだろう。 いつか来るだろう、別れを知っていても。 それがきっと、残酷な結末になるだろうことを知っていても。 それでも、彼らは愛し合ったのだろう。 後悔しないと言い切れるほどに。 たとえ失っても、自分の中の愛まで失うわけではないと。 それほどまでに激しく、ただひとりを愛したのだろう。 ぎゅっと、明智は手のひらを握り締めていた。 目の前にいるはじめは、確かに彼には違いないのに、自分の知らない若者なのだ。 「強いですね、きみは」 明智の言葉に、はじめは窓に顔を向けたまま、ゆっくりと首を横に振った。 「また、近いうちに来ますよ」 明智に顔を見せたくないのか、やはり窓を向いたまま、それでも小さく頷いたはじめの姿を見届けると、明智はそのまま静かに病室を出た。 扉が閉まりきる直前、押し殺した嗚咽が。 ただ一人の名前を、繰り返し呼ぶ声が。 扉の隙間から、聞こえた。 一瞬手が止まったが、けれどすぐに、何も聞かなかったような素振りで扉を閉め切ると、光沢のある病院の長い廊下を歩き始める。 色素の薄い髪を軽く揺らしながら、颯爽と歩くその姿に、迷いなどは感じられない。 けれど、その表情は、どこか苦しげだ。 「羨ましい…ですか」 口元に苦い笑みを浮かべながら、首に手をやると、明智はきっちりと締めていたネクタイを、少しだけ乱暴に、緩めた。 06/08/02 了 ___________________ 8月に日記にアップしていた短編です。 『LOVERS』に置いてある「約束」の夢の部分の続き的に書いたパラレルですが、こんなのもありかなと… 07/03/19UP −新月− +もどる+ |