もう、怖い夢なんて見ないよ






「ごめんね」
「なんで、あんたが謝んだよ」
「だって…」

高遠の白い綺麗な指先が、おれの頬をなでてゆく。
まるで、壊れ物に触れるときのような慎重さでおれの肌の表面を滑らせたその指先を、次は自分の口へと持って行くと、紅い舌でぺろりと舐めた。

「きみの涙は、おいしい」
「はあ?」
「泣いているでしょう?」
「おれが?」
「また、気がついてなかったんですねえ」

薄暗いオレンジ色の照明に照らされながら、高遠は穏やかに微笑んでいる。上から覗き込むようにして。
そう、ここは寝室で、いつもと同じようにおれたちは一緒に眠っていて。そして、怖い夢を見て、おれは目が覚めた。
どんな夢だったのかなんて、もう、覚えてないんだけどさ。
それで目を開けたら、いきなりさっきのセリフで迎えられたというわけだ。

「…だから、おれが怖い夢見て…べつに泣いたからって、どうしてあんたが『ごめんね』なんだよ?」

おれがもう一度、その言葉の不可解さを問いかけたら、口元に浮かべた笑みを少しだけ深めて、今度は直接、おれの眦に流れているらしい涙に唇を寄せてきた。黙って、高遠の唇の感触を受け入れていると、おれの耳元で、微かに声を潜めて、高遠は言った。

「きみが泣くのは、全部ぼくのせいだから」
「…なんだよ、それ?」
「だって、そうでしょう?」
「なんか…すげえ自信。どっから沸いて来るんだよ、その自信は」
「きみは、ぼくのものだから。きみの涙も、心もすべて」

答えにもならない答えを返して、高遠はそのまま、おれの首筋へと唇を滑らせる。
ただ、それだけなのに、体中に甘い電流が走るみたいな痺れを与えられて。それと同時に、目覚めてもまだ、おれの胸の奥にわだかまっていた悲しい感情も、痺れたようにわからなくなってゆく。

高遠に、軽く触れられるだけで。
おれは…

本当は、覚えてなくても、どんな夢だったのかぐらい、わかってる。
なんでこんなに悲しいのか、なんで知らないうちに泣いているのかも、本当はわかってるんだ。

悔しいなあ。
悔しいけど、あんたの言うとおりかもしんない。
おれが傷つくのも、おれが悲しむのも、本当に、全部あんたのことが絡んでる。
後悔なんかしてるわけじゃないのに、苦しいのも。
そして、そんなおれの気持ちをどうにかできるのも、あんたしかいないんだ。
他の誰にも、この不安な感情を、慰めることなんて出来ない。

それはやっぱり、そういうことなんだろう。
そんなことを考えていると、また高遠が、ぽつりと呟く。

「ごめんね。でもぼくは、どうしても、きみを手放すことだけは、できないんですよ」

おれの胸に顔をうずめながら、どこかしら心細そうな声の高遠の頭を。
答えの代わりに、おれは。
ぎゅっと、抱きしめてやった。




2007/2/27 (Tue.) 日記

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ちょっとだけ手を入れて、アップ。
日記に書いたときは、タイトルが無かったんですよね。
一応、こんな風につけてみましたが、いかがでしょう?

07/05/21UP
−新月−


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