晴れた気持ちのいい空に





「おはよう、はじめv」

冷やりとした朝の風とともに、心地よく聞きなれた声が、おれの耳を撫でる。
でも、おれはまだ枕に懐いていたいんだ。
だって秋の朝ってさ、シーツの感触がすごく気持ちいいんだもん。
もう少し、このままゴロゴロさせてくれよ。

半分眠ったまま、おれの頭はのん気にそんなことを考えていた。
「もう起きないといけませんよ。こんなに陽も高くなってきてますから」

え? 陽も高くなってきた?

何気なくこぼされた高遠のその一言に、なぜかおれの意識は反応を示した。
いつもなら、意地でも眠りをむさぼろうとするのに。
どうやらおれの中で何かが引っかかっていて、でも、それがなんなのか、まだ半分眠っているおれの頭は答えを導き出せない。

「釣りは、残念でしたね。せっかくいい天気になったのに」
ちっとも残念そうじゃない声音で呟かれた高遠のその言葉に、けれどおれの全神経は、さらに急速な覚醒を促される。

釣り? 釣り…だって??

おかしい、やっぱり何か忘れてる。
絶対に忘れちゃ駄目だって、思ってたはずなのに。
おれは、何を忘れて…?

眠っていた頭が、最初はゆっくりと。けれど、だんだんと回転を早めて、答えを探そうと動き始める。
何もかもが暗闇で覆われていた空間に、明かりを点すように。

そして、突然おれは思い出した。まるで雷に打たれたみたいに。
まさしく、一気に目が覚めたってやつだ。
って言っても、目は開けてないんだけどさ。
なんだか、妙に心臓がどくどくして、体温が急に上がってくる感覚がおれを支配する。

そう…そうだ。
確か今日は、まだ暗いうちから家を出て、釣りに行こうって言ってたんじゃなかったっけ?
しかも、その言いだしっぺは…おれだ。
高遠はそんなに乗り気じゃなかったのに、行きたいっておれが駄々…こねたんだよな?
なのに、そのおれが…寝坊…

そう思い出した途端、体中から嫌な汗が滲み出してくるのがわかった。
目も、開けられない。それは、眠いからじゃなくて、怖いから!
そう、高遠の恐ろしさは、イヤというほど知っている。
身をもって…という言葉をこれほどに噛み締めることは他にはない、と言い切れるほどに。

そうだ、きっと高遠のことだから、今日だって自分は約束していた時間には起きて準備していて、おれが自分から起きてくるのをずっと待っていたんだろう。
ちなみに、やつは先に起きていても、こういう時には決して自分から起そうとはしてくれない。そして、おれが約束などすっかり忘れて眠っていることを確信すると、今度はどう償ってもらおうかという算段を始めるんだ。
今日も、絶対そうに違いないっ!

おれは目を閉じて寝たふりを続けながら、恐怖のあまり、荒くなりそうな息を抑えるのに必死だった。
高遠が考えるお仕置き。
それはもう、身の毛がよだつほどに恐ろしい。
今までだって、あ〜んなことやこ〜んなことや、まさかあのようなことまでっ!ってか、そこまでやっちゃうのっ?!
というくらいエロくて、おれが死ぬほど恥ずかしくて、もう、どんだけ?ってくらい大変な想いをすることだったりするんだっ!
うん、確信を持って言い切れるぞっ。
ヤツは絶対に、すでに何かを企んでいる。というか、もうあとは生贄(おれ)が起きてさえ来ればいいだけって状態で、すべて準備万端に整えているに違いない!!
絶対にそうだっ!
やばい、このまま起きたら、何をされるかわかったもんじゃないぞ!!

恐ろしさのあまり、蛇に睨まれたカエル並みに固まりまくって布団に包まっていると、おれの頭に、不意にそっと何かが触れた。
しなやかな動きで髪を撫で上げるそれは、高遠の手だ。
白くて細くて繊細な指先を持つ、高遠の手。女のみたいに綺麗なんだけど、やっぱりそれなりに骨ばってて、大きくて。
おれの大好きな、手。

それは、別に怒っている風でもなく、おれに優しく触れてくる。
何も企んでなんかいませんよ、とでも言いたげに。

「そろそろ起きてください。今日は折角の休みなのに、一人でいてもつまらないんですよ」

とどめとばかりの高遠の寂しそうな声に、罠だとわかっていても、おれの胸はキュンっと音を立てる。
くそお、この男はおれの弱いツボを知りすぎてるな。
思わず、ごめんっと顔を上げて、高遠に抱きつきたい欲求が自分の中に生まれる。
けれど、ここで起きたら、きっと後でどえらい目に合わされるんだ。

騙されるな、おれ!
この誘惑を根性で乗り切れ、おれ!!

「折角はじめのために、はじめの好きな蜂蜜たっぷりのパンケーキを焼いたんですけど、このままじゃ冷めてしまいますね」
「マジでっ!」

食い物に弱いおれは、高遠のその一言にむっくりと起き上がってしまっていた。
ここまでくれば、条件反射のようなもんかもしれない。
パブロフの犬かよ、おれは…

「やっと、起きましたね?」
目の前の高遠の紅くて薄い唇が、美しく左右対称に、にいっとつり上がる。
それはそれは、嬉しそうに。

「うっ、た、たかとお…」
布団を掴んだまま竦み上がるおれを、妙にうっとりとした眼差しで見つめると、
「本当にはじめは、食べ物に弱いですよねぇ。ええ、まず先に食事にしましょう」
まだまだ、時間はたっぷりとありますからね。

まるで獲物を手に入れた肉食獣のように、高遠はぺろりと唇を舐めた。


神さま。
今度からちゃんと真面目に生きてゆくから、今回だけ、少し時間を戻してくれないかなあ。

カーテンを開け放した寝室の大きな窓の外に見える、晴れた気持ちのいい空に向かって。
本気でおれは、そんなことを願っていた。


07/09/29  了
07/12/01  改定

__________________

日記短編でした。
だいぶ書き直したのですが、本筋はまったく変わっていません。
というか、元の話よりおバカな話になりました。はい。

07/12/02UP
−新月−



もどる