七夕 W
「今夜は晴れていてよかったな」
「そうですね」
七夕の夜、今年も二人並んで、夜空を見上げていた。
部屋の灯りも消して、公園に面した窓を大きく開け放して。
そんなおれたちの傍らには、去年、高遠が笹の代わりに買って来た観賞用の小さな竹が、幾分…というか、かなり背丈を伸ばして、相も変わらずさらさらと風に涼やかな葉擦れの音を立てている。
これって、どこをどう見たって竹にしか見えないよな? なんて思いながらも、今年もおれたちは、短冊や飾りを作って飾ったんだ。
いつまでおれたちは、こうして願い続けられるんだろう。
そんなことを、頭のどこかで考えながら、でも、決して口には出さないままで。
チシャ猫の口みたいな月は、すでに西の空の低い位置にあって、空には綺麗な星空が広がっている。
すぐ目の前にある公園の木々は、風に煽られるたびに波のような音を立てて、まるで暗い海が目の前に広がっているかのような錯覚を起こさせる。
いや、それともこれは、織姫と牽牛を隔てる大きな河の音なんだろうか。
一年に一度だけしか架からないカササギの橋を待つ一年は、さぞかし長いだろう。
そんなことを考えていると、なんだか不安になってきて、おれはそっと、隣に立つ高遠の手に指を絡めた。すぐ傍にいることを、確かめるみたいに。
「はじめ?」
普段から、そんなことは滅多にしないおれの行動に驚いたらしい高遠が、思わずといった風に声を上げた。でも、おれが何も答えずに、そのまま高遠の肩に自分の頭をもたせ掛けると、高遠も何も言わずに頬を寄せてきた。
絡め合わせた互いの指を、しっかりと握り合いながら。
空には、去年と同じように、ベガとアルタイルが輝いている。
一年に一度しか逢うことを許されない、織姫と牽牛の星。
切ない恋の、伝説。
恋人と離れている一年もの間、ふたりはどんな寂しい想いを抱えながら過ごしているのだろう。たった一日の逢瀬でそのすべてを埋めることなど、たぶん、おれなら無理だ。
罰とはいえ、神さまはいつも、残酷なことをする。
けれど。
いつも傍にいるのに、常に離れ離れになる不安を抱えているおれたちと比べたら、どちらがより苦しい恋なのだろう。
なんて、七夕の夜は少しだけ、感傷的になったりしてな…
でも、こうして夜空を見上げていると、おれは少しだけ、不思議な気持ちになってくる。
人の命に比べれば、永遠に近いようにも思える星の瞬き。千年前にも、二千年前にも、この光は輝いていたのだろう。
何百年もの時間をかけて、或いはもっとたくさんの時間を掛けて、今、ここにいるおれたちに届いている光。
実感として、感じることは出来ないけど、中には、すでに消えてなくなっている星もあるのだろう。けれどその瞬きは、まだ輝き続けている星のように、今おれたちは見ることが出来る。
確かにそれはあったのだと、輝いていたのだと、長い時間をかけて遠いおれたちに届けられる光。
それはまるで、時を越えて語り継がれている、七夕の伝説のように思えて。
もしも、一年に一度しか逢えなくても、人から見れば永遠に近いだけの時間を、ずっと互いを想い合っていられるのなら、それはそれで、うらやましいことかもしれない、と。
ふと、そう考えて、苦笑が洩れそうになった。
きっと、高遠はそんなこと、考えもしないだろうし、望みもしないだろう。
高遠の願いは、シンプルだ。
ただ、運命が許す限り、傍にいられればそれでいい。
今、傍にいることが、一番大切なのだと言うだろう。
そして終わるときには、何ひとつ残さず、綺麗に消えてしまうことを望むだろう。
まるで、一瞬だけ輝いて、燃え尽きてしまう流れ星のように。
高遠はたぶん、そんな人だ。
そうだと、わかってはいるんだけど。
でも、おれは…
「…おれって、本当に欲張りだな…」
高遠に寄り添いながら、そう呟いたら、クスリと高遠が笑った。
そして、
「いいんですよ。欲張るのは、人間の特権みたいなものじゃないですか?」
思ってもみなかった答えが、返って来る。
「ねだって、欲張って。手に入れるまで諦めないというのも、よくあることです」
「たかとお…」
もたせ掛けていた頭を上げて高遠を見ると、高遠もおれに顔を向けたのが、薄暗い月明かりの中でもわかった。
「欲張りなのは、ぼくも同じですよ。何の罪も無いきみを道連れにしているのに、後悔すらしていませんからね」
高遠は、笑ってる。とても綺麗に。
欠けることの無い、月の光を集めたような眼差しで、おれを見つめてる。
「だからぼくは、とても幸せです。願いは、叶いました…」
おれたちの横でさらさらと、笹のそれに似た音を立てながら、おれたちの願いを書いた短冊を吊るした竹が風に揺れている。
高遠はそこに、どんな願いを書いたのだろう。
「どうして、そこで過去形なんだよ」
「そうでしたか?」
とぼけるように、高遠は答えると、また空を見上げて。
「やっぱり、ぼくには堪えられないでしょうね。一年に一度しか、逢えないなんて…」
空に瞬く星を眺めながら、まるで独り言みたいに、高遠は呟く。
「じゃあ、やっぱり、毎日でも河を泳いで渡って逢いに行くのか?」
おれが言うと、空を見上げたまま、また笑って。
「そうですね。きみと暮らし始めた頃は、そう思っていましたね」
「じゃあ、今は?」
「攫って、ふたりで何処かへ逃げるか、それとも…」
「それとも…なに?」
「さあ、なんでしょうね?」
おれが何度訊いても、はぐらかすばかりで、答えてはくれない。
そしてまた、独り言みたいに、高遠は呟く。
「ぼくは、きみが傍にいてくれるだけで、とても幸せなんです…」
再び繰り返された、その言葉を聴きながら。
おれはもう一度、高遠の肩に、甘えるように頭を持たせ掛けると空を見上げた。
もう、何も訊かなかった。
おれたちは、いつから、覚悟をするようになったんだろうな。
ずっと傍にいたいと願いながら、いや、そう決めているのに、誓ったのに。
なのに、どこかで諦めている。わかっている。
これが、与えられた罰なのだと。
それでも。
この感情が、間違っているとは思わないんだ。
愛した人が、犯罪者だっただけ。
こうしていることが、許されないと、知っているだけなんだ…
なあ、たかとお。
おれが短冊に、なんて願いを書いたか、知ってる?
今年はまじめに書いたんだぜ?
『来年も、こうしてふたりで短冊に願いを書けますように』
来年も、そのまた来年も、おれはそう願うだろう。
ずっと、なんて贅沢は書かない。ただ、一年を願う。
何の事件も起こらない、平凡で穏やかな日々を。
おれは…
綺麗に澄んだ夜空に、今宵もベガとアルタイルは輝く。
遥か遠い過去から、切ない恋の伝説を、語るために。
了
08/07/07
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一応、七夕のうちにアップいたしました。
今回は、少し暗めの話になってしまいましたね(汗)。
すでに、何がなんだかこんがらがってきてますが、
とりあえず、今回はこんな感じで…や、すいません(滝汗)。
08/07/07UP
−新月−
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