ひこうき雲



「あっ」
突然、空を見ていた彼が小さく声を上げたのを、ぼくは聞き逃さなかった。
それは、驚いたようでもなく残念そうでも無く、思わずという風にこぼれた言葉だと、ぼくは思った。
「どうかしたんですか?」
それでもぼくは、訊かずにはいられないんだ。だって、きみの事はすべて知っていたい。
まさか聴かれていたとは思わなかったのだろう、きみは驚いた表情を一瞬だけ浮かべてぼくを見たけれど、すぐに微笑んで、なんでもないよと言った。
そして新緑が眩い光の中で、縛った髪を軽く揺らしながら、両手を頭上で組むと軽く伸びをした。いつもと変わらない自然な感じで、なんでもないことのように。
でもね、本当はぼくは気がついていたんだ。
きみが何を見ていたのか。何に気を取られていたのか。そしてきっと、意味も無くそれに何かを被せて見つめていたことすら。
たぶんきみも、ぼくがそのことに気づいているのを知っていながら、それでも何も言わないのだろう。
きみもまた、少し大人になったから。

きみが見ていたもの。それは、一本の飛行機雲。
透き通るほどに蒼い空の真ん中を、白くまっすぐに伸びて行くその雲を、きみは見つめていたんだ。どこまでも伸びてゆけばいいと、願うような眼差しで。
けれどその雲は、途中で気まぐれに途切れてしまった。今まで描かれていた美しい軌跡さえ、上空の早い風に流されて、すぐにぼやけて空に融けて見えなくなった。

そう、人が作り出すものなんて、もろいものだよ。
どんなに願っても、どんなに祈っても、届かないものはこの世にはたくさんある。
あの飛行機雲みたいに。
それでも。
ぼくは言うよ。
「叶わない願いなんて、きっとありませんよ」と。
優しい嘘をつきながら、指を絡ませあおう。
いつの日か、離れてしまうかもしれない未来に、おびえながら。
「うん…」
それでも、きみはそんなぼくの手を、ぎゅっと強く握り返してくれる。

大丈夫。
目を閉じれば、蒼い空に真っ白な飛行機雲がどこまでも続いている。
すべてを切り裂きながら、迷うことなくまっすぐに。
どんなに強い風が来ても負けないほどに、力強く。
それが、地に足の着かないものだと知っていても。
大丈夫。
きみが傍にいることが、ぼくに力をくれるんだ。
だから、力強く描き続けよう。
それが儚い、ひこうき雲だとしても。


09/05/25   了
____________________

久しぶりのお話なので、まとまり無いかもしれませんが、
その辺は勘弁してやってください(汗)。
今は気持ちのリハビリと言う感じです。

09/05/25UP
−新月−

もどる