七夕Ⅶ




今日は月の出が遅かったのか、メルロの店での仕事を終えたぼくたちを、半月よりも少し大きな姿で、東の空から白く冷たい光で照らしていた。振り返れば黒い影が二つ、ぼくたちの後を付いてくる。
空にはいくばくかの雲が見受けられたけれど、星空は綺麗で、てらてらと暗く光る石畳の道の所々では水溜りが月光を反射している。路面の状況から察するに、雨が上がってから、そんなに経ってはいなさそうだった。
夜道を歩くぼくたちの足音に、濡れた音が混じる。

ショーをやっている店内には窓がなく、雨が降っているとは気が付かなかった。客たちもそうだっただろう。ぼくの作り出すイリュージョンの世界の中で、ほかの事に気を散らす暇などなかったはず。
「うわ~、厭味なくらい自信満々だ」とはじめには言われそうだが、それくらいの自信がなくては、こんな仕事などやっていけるわけがない。
スポットライトを浴びて、まやかしのひと時を提供するのが、ぼくの仕事なのだから。

「今日は七夕だな~」
歩きながら君は軽く伸びをして、ぼくを見る。
「そうですね」
ぼくも君に微笑みを返す。

今年も昨日の内に二人で願い事を書いて、笹代わりの竹の葉に飾った。毎年、毎年、今年でいったい何年目になるのだろう。本当を言うと、こんなにも長く、二人で穏やかに幸福な時間を過ごせるとは思っていなかったんだ。いつ終わりが来るのだろうと、内心、ぼくはずっと恐れていた。
けれど、すべてが嘘だったかのように、ぼくたちは平和な時間を暮らせている。誰にも邪魔されることなく、何所にでもいる当たり前の普通の恋人のように。

それがこんなにも苦しいことだなんて、どうして思い始めたのか。

いつ頃からだろう、彼を共に連れて逝くことに疑問を持ち始めたのは。
ぼくには自分のしたことの責任をとる義務があって、はじめにはまだ、その先の人生があると…気づいてしまったのは。
道連れにするのは容易い。けれど、その先に何がある?
彼には何の罪もない。ぼくが終わっても、彼にはまだ長い人生があるんじゃないのか?
彼にはまだ、未知の世界が、その先に開けている。

ぼくの願いは叶ったのに、母の復讐も、彼と共にいたいと想った願いも、十分に叶ってしまったのに。
ぼくは、彼から奪うことしか出来ないのか、と。

ぼくはたぶん、ほんの少しだけ正気に戻ったんだ。
君のおかげで。
君といたから。

だからぼくは、今年も願いを書いたよ。去年と同じ願いを。
君には絶対に見せることのない願いを。
君はきっと怒るだろうね。ぼくの本音を知ったら。けれど、ぼくは幸せだから。君といられて、誰よりも幸せだから。
抱きしめて、キスをして、それだけで涙が出てしまいそうなほど。

少しだけ、感傷的な気分になって、何気なく空を見上げる。涙がこぼれてしまわないように。
上空は風の流れが速いのだろう、気が付くと雲はすでに空の片隅に追いやられ、頭上では綺麗な星空が瞬いて見える。雨で空気が洗われたせいなのか、ベガとアルタイルはとりわけ大きく輝いている。

空に瞬く星空の片隅で、都会からでは見えないほどに小さく僅かに光る六等星がいつか消えてしまっても、誰も気づきはしないだろう。
それでも君だけは、きっと覚えていてくれる。
織姫と牽牛のような伝説になどならなくても、君だけが覚えていてくれる。
ささやかな暮らしを、ささやかな温もりを、ささやかな幸福を。
それだけで、ぼくは…

ぼくの物思いを遮るように、不意に君は言った。
「今年もカササギの橋は掛かったのかな?」
ぼくは何気ないように、笑って答えた。
「そうでしょうね。きっと今頃は、一年ぶりの逢瀬を楽しんでいるんじゃないですか?」
そっか、と君も笑う。
おれたちはいつも一緒にいられるから、織姫たちよりも幸せだよね。
言いながら、君は空を見上げたまま、バシャリと水溜りを蹴り上げた。月明かりを弾いて、水滴がきらきらと輝く。暗闇の中で。
まるで、ぼくたちの生活みたいに、一瞬だけ鋭く白く輝いて、闇に消える。
「濡れてしまいますよ」
ぼくの言葉に君はいたずらっぽく笑って、側に寄って来たかと思うと、ぼくの手に指を絡ませてきた。
「七夕だから、いいよな」
なんて言い訳をしながら。
「どういう理屈ですか」
口ではそう言うくせに、ぼくは絡まった指をそっと握り返す。
愛しい温もりが、指先に伝わる。放したくないと、心から思う。

そうだね。
今、君はぼくの傍にいる。それが一番大切なことで、明日のことなんて誰にも分からない。
だから、願うのだろう。

切実な願いを、それでいて、ささやかな願いを。
小さな短冊に託して。




15/07/03    了
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一年ぶりの七夕です。
よく続いてるなあ、と思いますが、そろそろネタ切れのようで(汗
で、今回は高遠くんの語りになりました。

15/07/05UP
-竹流-

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