七夕 8
今夜の空は、いつに無く薄く曇っていて、時折、月の光が雲間から顔を覗かせたと思ったら、またすぐに雲に隠れて、ぼんやりとその陰影だけを浮かび上がらせている。そんな空模様だった。
「今夜はせっかくの七夕なのにな~」
部屋の窓から空を見上げながら、はじめはつまらなさそうに口を尖らせた。
いくつになっても、そんな少年じみた表情が似合っているきみに、自然とぼくの口元には笑みが浮かんでしまう。
「ふふ、そんなに心配しなくても、カササギの橋はちゃんと架かっているでしょう」
ぼくが笑いながら言葉を返すと、不満げな表情も新たにはじめは振り返った。
「え~、だって今年もちゃんと短冊飾ったのに~」
窓辺の傍らには、当然のように、それはまるで、子供のいる日本の家庭みたいに短冊の飾られた笹に似た竹が、風に葉を揺らしている。
ぼくたち二人分の願いを乗せて。
…たとえそれが、叶わなくても。
何がきっかけで、こんなことをはじめたのか。もう、良くは思い出せないけれど、はじめが妙にこだわるから毎年続けている行事の一つだ。わざわざ日本から紙を取り寄せてまで、ずっと続けている。
それは、彼の笑顔を見たいから始めたことだったようにも思うし、自分のためだった気もする。
口では決して言えない願いを短冊にだけ託す。ほんのささやかな、それでいて、切実な想いを。
「どうしたんだ? たかとお?」
はじめの声に、ふと我に返る。自分の考えに耽っていて、表情が無くなっていたようだ。ぼくがこんな状態になると、いつもはじめは不安げな声を出す。まるでぼくが、どこかへ行ってしまわないかと、怯えるように。
「何、考えてたんだ?」
いつの間にかぼくに向けられていた真剣な眼差し、普通に振舞っているように見えても、本当はそうじゃないって、ぼくにはわかってる。きみの眼が何よりも雄弁に語ってる。
『何処にも行ってしまわないで』
それは願いというにはあまりにも切実な想い。
だからぼくは、からかい混じりに、でも本音を隠してきみに訊いてみる。
「もし、ぼく達が本当に一年に一度しか会えなくなってしまったら、きみはどうします?」
笑みを浮かべながら、冗談めかしたつもりだった。けれど。
「おれは一年に一度なんて、絶対に無理なんだかんな」
「寂しくて、浮気しちゃう?」
首を傾げながら尋ねると、きみはいきなり涙ぐんだ。
「おれは…」
何かを言いかけて、ふいと誤魔化すみたいに窓の外の、薄曇に隠れた月を見上げる。
ぼんやりと薄青く光る雲の奥に金色が透けて見えている。
いつも本音をはぐらかしてばかりいる、ぼくのように。
「…おれはきっと、一年も待てない」
言うなり、きみは振り返った。
もう、涙は見えなかった。
「あんたを探しに行くよ。あんたが何処へ行っても」
言いながら、少し寂しそうに笑う。
「それがたとえ、あの世でも」
その言葉に、一瞬、ぼくは考えてしまった。
カササギの橋は架かるだろうか。
ぼくという罪びとを探す彼の元に。彼の願いに引き寄せられて。
その行く先が、たとえ地獄でも。
不意にいたずらな風がカーテンを揺らし、葉ずれのざわめきがひときわ大きく部屋に響く。
彼の眼には何の濁りも無く、ただ真っ直ぐにぼくを見つめている。
ぼくは、ぼくたちは…
何処へ行こうとしているんだろう。
いったい何を目指しているんだろう。
願いを書いた短冊が、頼りなげな小船のように揺れている。
言葉に詰まって真顔になったぼくに、きみはふと瞼を伏せて呟いた。
「うそだよ」
そして、また窓の外へと顔を向けた。
「あんたがいなくなっても、おれは待ってる。ずっと、会えなくなっても待ってるから…」
まるで自分に言い聞かせるみたいに、きみは言う。
「あんたが何処へ行っても。たとえば、あんたがいなくなって、おれが日本に帰らないといけなくなっても」
「…二度と会えない場所へ、ぼくが行ってしまっても?」
はじめはゆっくりと、けれどはっきりと頷いた。
好きになってはいけない人を、好きになってしまったのは、このぼくで。
きみは引きずられて、ここまで来てしまっただけなんだ。
なのに、きみはぼくを責めないんだね。
切ない願いだけを短冊に刻んで。純粋な祈りをささげている。
今宵、星は見えない。
遠い宇宙の果てまで、願いは届かない。
それでも、君は願い続けるのだろう。
きっと、ぼくがいなくなっても。
そんな気がした。
了
2016/07/07(木)
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ぎりぎり七夕に間に合ったという感じですね?
とりあえず、今年も七夕ですね。
すでに七夕はネタ切れで何書いていいんだか…
簡単で申し訳ないm(_ _;)m
16/07/07UP
-竹流-
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