君に伝えたい言葉 Ⅶ




はっと、目が覚めると、見慣れた天井が真っ先に視界に入ってきた。
けれどまだ身体は強張り、自分の荒い息遣いがやけに耳につく。全身冷たい汗でぐっしょりと濡れ、肌に纏わりつくパジャマが不快さを増していた。
部屋の中は障子越しの薄ぼんやりとした朝の光に満たされ、庭からは小鳥のさえずりが聞こえている。
いつもと変わりない穏やかな朝の訪れを感じて、アキラはようやく安堵の息を吐いた。
それでも何度と無くまばたきを繰り返し、これが夢ではない事を確認せずにはいられない。

すごく怖い夢を見ていた。
とても悲しい夢を見ていた。
それだけは確か。
でも、どんな夢だったのか、もう思い出せない。
ついさっきまで、その中にいたのに…
まだこの胸の中に、その悲しみがこびりついているのに…

-この気持ちは…何?-

身体の奥深くから、自分でも知らない感情が溢れてくるような気がした。
布団から起き上がることも出来ずに濡れたパジャマの胸元を掴む。
とてもつらい、とても悲しい、とても寂しい、そして、とても切ない…
まぶたを閉じると目尻から熱い滴が零れた。

…会いたい…

心の何処かで、自分なのに自分ではない誰かが呟く。
でも一体誰に?
もう少しで掴めそうな気がするのに、あと一歩というところでそれは霧散してしまう。
とても大切なものだった筈なのに…



………って、夢の話じゃないか。
「何を考えてるんだ、ぼくは!まだ夢を見ているのか!!」
自分の意識を無理やり現実に引き戻したアキラは、何かを吹っ切るように勢いよく起き上がった。

途端に
「つまんないんだろ」
突然、昨日芦原に言われた言葉が脳裏に蘇る。
芦原はアキラの父、プロ棋士で四つもの棋戦のタイトルを持つ塔矢行洋の弟子の一人だ。
アキラの兄弟子であり、父の弟子の中では一番歳の近い芦原は、兄弟のいないアキラにとって本当の兄弟のような近しい存在でもある。
その芦原の言葉は、確かにアキラの胸を衝いた。

的を得ていたから…

漠然とした不満、どうしようもない空虚感。
何かが足りないような、このままではいけないような焦りにも似た気持ち…
だからと言って、どうすることも出来ないことぐらい自分でも分かっている。
そう、きっと仕方のない事なのだ。
訳の分からない理由でプロになるのを躊躇っている自分が、きっと間違っているのだろう。
気がつくと、深いため息を吐き出していた。

-芦原さんが変なことを言うから変な夢なんか見たりするんだ! きっとそうだ! 芦原さんに会ったら文句の一つも言ってやろう!!-

気を取り直し、いつものように布団を片付けるために枕に手を掛けたアキラは、なぜかまた固まってしまっていた。

-…ぼくは…一体どんな夢を見たんだろう?-

手の中にあるアキラの枕は、涙を含んでぐっしょりと濡れていた。
また胸の中で何かがざわめくのを感じる。
けれどアキラはそのすべてを押さえ込むと、やがて制服に着替え終わる頃には夢の名残など微塵も感じさせなかった。
父、塔矢行洋との毎朝の一局をこれから打たねばならないのだ。
アキラの顔が、棋士のそれへと変わる。
ふすまを開けると、アキラは行洋の待つ部屋へと足を向けた。



その日の学校の帰り、アキラはいつものように碁会所のドアを潜った。でもいつもよりもずっと足取りは軽い。当然朝の夢のことなど、すっかり忘れ去ってしまっていた。
「あら、アキラくん?」
受付の市河が声を掛けてくる。彼女もまたアキラにとっては姉のような存在で、常にアキラのことを気に掛けてくれている優しい人だ。
「なんだか嬉しそうね。いいことでもあったの?」
いつものようにカウンターでランドセルを渡そうとすると、彼女はにっこり笑ってそう尋ねた。
「父さんがね、今朝ぼくの碁を褒めてくれたんだ!」
「あら、いつもホメてくれるでしょ?」
「そんなことないよ、久しぶりだよ」
するとアキラの近くにいた常連の客が、さも意外そうに口を挟む。
「でも塔矢先生はいつもアキラくんのことを自慢してるよなあ」
「ホントですか?」
「そーよ。自慢の息子なんだから、がんばらなくちゃ!」
市河さんもそう言って笑った。
プロになるのをためらう自分を、多くの人たちが見守ってくれている。
お父さんも期待してくれている…
アキラはなんだか胸の奥が熱くなるのを感じた。

-漠然とした不満なんか忘れよう。迷わず歩いてゆくんだ。まっすぐ、プロの道を-

碁盤を前に、そう考えていた時だった。
「あっ、なんだ子供いるじゃん!」
少し舌足らずな少年の声。
その声を…どこかで聞いたことがあるような気がした。頭の中で何かが引っかかる。
「え……、ぼく?」
振り返ると、アキラと同い年くらいの少年がカウンターの所で市河さんと何やら話している。
「対局相手さがしてるの? いいよ、ぼく打つよ」
アキラが側まで行くと、少年はこちらを向いて人懐っこい笑顔を見せた。
金色の前髪が彼の色素の薄い大きな瞳を縁取り、そのせいか彼の笑顔は真夏の太陽のきらめきを思わせる。
その瞬間、アキラは自分の中で何かが閃いたのを感じた。
デ・ジャヴュとでも言うのだろうか。
けれどもそれは言葉になる前に、よく分からなくなってしまった。

「ラッキーだな、子供がいて! やっぱ年寄り相手じゃ、もり上がんねーもんな!」
目の前の少年は屈託のない様子でアキラに近寄ってくる。
-…なんだかかわいいな-
そんな少年を見ていて、アキラは素直にそう想った。
-えっと、男の子にかわいいは無いか…ぼくが変…なのかな…でも…-
アキラが自分の中で戸惑っていることにも気付かずに、目の前で少年は元気よくニコニコしている。そんな彼を見ていると、些細なこだわりなどどうでもいいような気がしてきた。

「奥へ行こうか。ぼくは塔矢アキラ」
「オレは進藤ヒカル、6年生だ」

二人連れ立って歩き出す。
彼らはまだ知らない。
運命という名の歯車が、静かに回り始めたのを。
そしてもう二度と、悲しい夢など見ないことを…



あなたに出会うために生まれてきたのです
あなたに伝えたい言葉があるのです
次元も時空もすべて越えて

この想いを、あなたに…





fin
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8月8日
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申し訳ございません!(とりあえず先に謝っておきます!)
ようやく終わりました!
こんな悲惨な駄文を最期まで読んで下さる方がいるのかは謎ですが、とにかく終わりました!
最後まで読まれた方はお分かりになったでしょう!
このお話は「ヒカルの碁18巻」の短編から妄想を膨らませた代物だったりします。
(18巻の短編からどうして戦争ものになっちゃうのかは謎です)
もう腐れた頭で話を膨らますので、時間軸があっちへ行ったりこっちへ行ったりと解りにくいことこの上なく、自分でも頭がこんがらがってました(笑)。
自分でも不満の残る部分が多々あるので(特にⅦ)、また改定してゆくかも知れません。
こんなお話でも、最後までお付き合い下さったあなたは神様です!!!
最後まで読んで下さりありがとうございました!

2004年 8月 8日UP
14/12/17再UP
-竹流-


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