君に伝えたい言葉 Ⅵ
あれからどのくらい時間がたったのだろう。随分長い時間が経ったような気もするし、そうではない気もする。けれどそんなことはもうどうでもよかった。いま、ヒカルがこの腕の中に居るという事、それだけがアキラのすべてだった。
ヒカルはまるで眠っているように穏やかな表情で、アキラの腕の中で横たわっていた。
涙に濡れた頬を拭いもせずに、アキラはただじっとヒカルを見つめている。
青白い月光を浴びて目を閉じるヒカルの姿は、今にも目を開けて動き出しそうな気がした。
「ねえ…ヒカル…目を…開けて?」
ヒカルの髪に頬にと指を滑らせながら、アキラは呟く。
決して叶う事の無い望みと分かっていても、まだアキラは信じきれない。受け入れてしまえば、すべてが壊れてしまうような気がした。
ヒカルの身体はまだ僅かに温もりを止めている。
アキラの瞳にまた涙の粒が盛り上がった。どれだけ涙を流してもまだ足りない。こんなにたくさんの水が自分の身体の何処に隠れていたのだろう。
はらはらと零れ落ちる涙の粒が月明かりを反射して、水晶の輝きを纏いながらヒカルの上に落ちてゆく。それはヒカルの唇を濡らし、艶やかに彼の唇を彩った。
アキラはそれを拭おうと指を滑らせ、次の瞬間、ピクッと身体を震わせてそのまま固まってしまっていた。
-…柔らかい…-
濡れたヒカルの唇は軟らかな感触で、なぜかアキラは軽い眩暈すら覚えた。
そのまま何かに誘われるように、無意識のうちにアキラはヒカルに顔を寄せ、その唇に触れようとした瞬間、我に返った。
「…ぼくは今…何を…」
驚きに見開いた目でヒカルを見つめる。
決して答えてはくれない、腕の中でその瞳を閉じたままの人を見つめながら、アキラは気付いていた。
自分がすべての答えを見つけたことに。
アキラの中で、再び行洋の声が聞こえた。
「彼はおまえの何なのだ!」と…
けれど今なら答えられる。
たった今気付いたばかりの…真実を。
「…そうか…そう…だったんだ…」
苦しげに顔を歪ませながら、アキラはヒカルを見つめた。
どうして今になって気がついてしまったのか…
くるしくて、くるしくて、苦しくて…せつない…
「胸が…痛いよ…ヒカル…」
行き場のない想いが自分のすべてを押しつぶしてしまいそうな、そんな気さえした。
苦しくてどうにかなってしまいそうなのに、そのくせ心の何処かで喜びを感じている自分にも気が付く。
それは、ずっと長い間迷い込んでいた迷路の出口にようやく辿り着いたような、そんな感覚に似ているかも知れない。
「今頃気が付くなんて…ぼくは…なんて馬鹿なんだ…」
アキラはヒカルの身体をそっと抱き寄せると、目を閉じてその額に恭しく口付けた。
「でも後悔なんてしてない。ぼくはこの気持ちを誇りに思う」
再び瞼を開いたとき、アキラの瞳には何かを決意した静かな光が湛えられていた。
ヒカルに出会わなければ、きっと自分は空虚な思いを抱えたまま、ただ暮らしていただけだったろう。父親に敷かれたレールの上を何の疑問も持たず、ただ歩いていただけだったろう。ヒカルに出会って、初めて自分の意思で、自分の足で歩き出せた気がする。
-短かったけれど、ぼくは一生分、生きたよ…-
「…君もそうだといいな…」
見上げると天空にかかっている月が少しだけ傾いでいた。
青白い大きな月が見下ろす緑豊かなこの異国の地。
ここが終点の地なのだ。
美しく、そのくせ歪んだこの世界の、ここが終点。
何も怖くは無かった。
ヒカルさえ傍にいれば、もう何も必要では無かった。
握り締めた手榴弾の安全ピンを引き抜くと、アキラは自分とヒカルの胸の間に挟んで強くヒカルの身体を抱き寄せた。
「君を守りきれなくて…ごめんね」
ヒカルの顔を覗き込むと、穏やかに笑っているような気がした。
「でもずっと、傍にいるから。…そうだな、もしも、いつか生まれ変わることがあるのなら、もっと別の平和な世界に生まれてこよう。そこでもぼくは、必ず君を見つけるから。…そしたら君に、伝えたいことがあるんだ」
アキラはヒカルの柔らかな前髪に静かに顔を埋めた。
「君に伝えたいんだ、ぼくの…」
それ以上の言葉は紡ぐことができなかった。
けれどその瞬間、アキラは確かに微笑んでいた。幸せそうに…
一瞬の閃光と共に鈍い爆音が辺りに響き渡り、闇の中に長く余韻を引いた。
天空には青白い大きな月。
美しく緑豊かなこの異国の大地に、たくさんの屍は眠る。
風がまるで子守唄を奏でるように樹々を揺らし、木の葉をざわめかせる。
それは若くして永遠の眠りについた戦士たちへのレクイエムなのだろうか。
この夜、ある補給部隊は全滅した。
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14/12/17再UP
-竹流-
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