君に伝えたい言葉 Ⅴ




「彼はおまえの何なんだ?!」
行洋の言葉がアキラの中で、不意に蘇っていた。


あれはアキラがヒカルのいる訓練所に来た次の日のことだった。
何の前触れもなく、行洋はやって来たのだ。
「どういう事だ! 何故おまえがこんな所にいるのだ!」
物凄い剣幕で、行洋はアキラに詰め寄っていた。
隊長格以上の人間が使う応接室の中で、今、二人は対峙している。
「お父さん…」
「私は何も聞いてはいないぞ! おまえは免除になっていたはずではなかったのか! こんな我侭は許さんぞ! 今すぐ帰るんだ!」
アキラの手を引こうとした行洋の手は、パン! と小気味良い音を立てて弾かれていた。
「ア…アキラ…」
思わず手を押さえて、驚きを隠せない表情で行洋はアキラを見た。アキラは感情の見えない顔で、じっと行洋を見つめている。けれどその瞳には憎悪にも似た暗い光が揺れていた。
「…あなたは自分の邪魔になる人間は、いつもこうして排除してきたのですか?」
行洋の顔色が途端に変わる。分かっていたはずなのに、アキラの胸は鈍い痛みを訴えた。
「な…何のことだ?」
「答えるつもりが無いのなら、もう何もお話することはありません。どうぞ、このままお引取りを」
アキラは立ち上がると、行洋に背を向けた。
「何故だ!」
背後から縋るように叫ぶ行洋に、アキラは振り返ると冷たい一瞥を投げた。
「何故? 何故ですって? ご自分の胸に聞けばいいでしょう?」
「わたしは…おまえのためを想って…」
「そのためなら、何だってするんですよね? 人の命を踏みにじることなど、何とも思ってらっしゃらないんだ!」
どうしようもない怒りが体の奥から込み上げてくる。今更どうしようも無いことぐらい分かっているのに、生まれて初めて自分の父親を殴ってやりたいと心底思った。握り締めた拳が小刻みに震える。
「…アキラ…わたしは…」
「帰ってください…ぼくは、このままここに残ります」
「彼と共に…戦場へ行くことを選ぶのか…」
アキラは無言で頷くと、真っ直ぐに行洋の顔を見据えた。
自分の意思は変わらないと、何の迷いも無いとでも言うかのように。
「生き残る望みなど、殆ど無いんだぞ」
「分かっています」
「覚悟の上だというのか…」
「はい」
行洋の顔が苦渋に歪む。
何のために…、誰の為に汚い手を使ってまでこんな事をしたのか。
それとも…全ては単なる自己満足に過ぎなかったというのか。
その場に佇んだままの二人の間に、沈黙が重く横たわった。
壁に掛けられた振り子時計の奏でる、時を刻む音だけがやけに大きく響く。
もう、後戻りなど出来ないのだと囁きかけるように…。

先に口を開いたのは行洋だった。
「…分かった…もう、これ以上何も言うまい」
「お父さん…」
「だが、おまえ達が行く先は私の方で決めさせてもらう」
「それはどういう事ですか?」
行洋は一つ息を吐くとアキラの目を真っ直ぐに見据える。さすがのアキラでさえ、気圧されしそうな威圧感だ。有無を言わせぬ気迫がそこには込められていた。
「アキラ…私はおまえの親なのだ。できれば危険な場所には行って欲しくは無い。だが、おまえの決意は固い。私は私の出来る範囲でおまえを守ってやることしか出来ん」
「それは…ヒカルも一緒に、という事ですか?」
「ああ…そのように…しよう…」
行洋は言いながら僅かに顔を伏せた。その胸中に去来するのが何なのか、アキラには窺い知れない、ただ、行洋に自らの罪を認めさせたのだと確信していた。
「アキラ…」
「はい」
「生きて…戻って来なさい」
「…はい、そのつもりです」
「そうか…ではもう何も言うまい」
行洋は寂しげな笑みを口元に浮かべた。アキラはそんな父の姿を初めて目にしたような気がしていた。いつも厳格で、厳しい表情しか見せなかった父。
この人も寂しかったのだと、アキラはその時気付いた。アキラが抱えていた孤独感を、行洋もまた抱えていたのだろうか。
けれど、アキラにはヒカルが現れた。でも、彼には?
アキラはそれ以上見ていられなくて、黙って一礼するとドアに向かった。ノブに手を掛けた時、背後から縋るような行洋の声が聞こえた。
「アキラ、教えてくれ!…彼は…おまえの何なのだ!」
一瞬、アキラの手が止まった。
…彼は…ぼくの…なに…?
全ての答えがそこにはあるような気がした。
どうして自分がここまでするのか、なぜ、全てを賭してまで、彼を守りたいと思うのか。
けれど、自分でもよく分からない。自分の心なのに…。
逡巡する様子を見せるアキラに、行洋はため息を吐くと「わかった」とだけ言って背を向けた。それが、アキラと行洋との最後だった。

アキラが立ち去った後、一人部屋に残された行洋はぽつりと呟いていた。
「…おまえは見つけたのだな…自分の半身を…」
窓から暖かい日差しが差し込んでいた。少し開いた窓から、さわやかな風が吹き込んできては緩やかにカーテンを揺らしている。春はこれから、木の芽も綻び始めている。
けれどもう2度と、自分には春が来ないだろうことを、行洋は静かに覚悟していた。今年は桜の咲くのが早そうだ。美しく咲き誇りながらも、早く咲いた分、より早く散ってしまうのだろう。
窓の外をじっと見つめながら、行洋の肩が小刻みに震えていたのを知っているのは、部屋の壁の振り子時計だけだった。




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-新月-


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