こわい話 和谷編
初めはまったく気が付かなかったんだ。
俺ってさ、一度寝入っちまうと、もう朝までぜったい目が覚めないって奴でさ。
だから、微かに電話の音が聞こえたような気がしても、夢だと思っていたんだ。ずっと。
なぜって?
だってその音は俺の携帯の着信音と、違ってたから…
真夜中の電話 Ⅰ
「へえ~、驚いたなぁ。すごくいい部屋じゃないか。」
引っ越し祝いに来てくれた伊角さんが、部屋に入るなり声を上げた。
「だろ~v」思わず顔が綻んでしまう。
ぞろぞろとやって来たその他のメンツも「へえ~」とか「いいな~」とか、口々に言っている。
フフフ、そうだろう、そうだろう。羨むがいい、愚民ども!
だって、自分でもいい部屋見つけたな~と思ってるもんね。
みんなを驚かしてやろうと思って、引っ越すまでずっと黙ってたんだぜ。
もう、何度うっかり話しそうになったことか! 自分の堪え性の無さにびっくりだ!!
でも今日、ようやくその苦労も報われたってもんだ。
一ヶ月ほど前のことだったろうか。
なんとか手合い料もまとまった額を稼げるようになってきたし、本格的に独立を考えてもいいかなと丁度思っていたときだったんだ。不動産屋の前に貼り出してあるこの部屋を見つけたのは。
その部屋は棋院にも近く、その時住んでたアパートなんかよりもずっと広いワンルームで、おまけにこの辺りの相場から見てもかなりお得な物件だったわけで。
俺は迷わず不動産屋のドアをくぐっていた。
案内されたマンションはまだそう古くも無く、部屋の中は十畳ほどの広さがある上、ユニットバスにミニキッチン付きで日当たりもまるで申し分ない。
即決だった。だってすっげー掘り出し物だろ?
ただ契約するとき、不動産屋は、クローゼットの立て付けが悪くて開かない、と付け足した。そのせいで、他の部屋より少し値段が安いのだという。
そんなことぐらいで家賃安くなってるなんてラッキーv 俺、荷物少ないから押入れ無くってもぜんぜんオッケーだし。
で、そんなこんなで今日に至るわけだ。
「家賃、高いんじゃないのか?」
伊角さんが、言外に大丈夫なのかと心配そうな顔をする。もう、心配性だなぁ。
「高いと思うだろ? でもそうじゃないんだな~。冷蔵庫、クーラー完備でこの値段だぜ! すっごいお得物件だったんだv」
俺が指で金額を示しながら自慢げにそう話していると、進藤のバカが突然バカなことを言い出した。
「え~? でもそういう超お得物件ってさ、よく『出る』とかっていうじゃん! 和谷大丈夫なのかよ?」
「そうそう、もしかしてここもやばいんじゃないの~?」
調子に乗って、奈瀬までが囃し立てる。
「あ~、よく聞くよなそういうの。意外と多いらしいぞ」
本田さんまでが…すごい嬉しそうだ…
「ボクはそういうのはまったく信じないけどね」
「そっそうだよな!」
「まあ、気をつけるにこしたことはないんじゃない?」
…そういえば越智…なんでおまえまでここに居るんだよ…
「まあまあ、やっかみはそのくらいにしておいてやれよ」
か…門脇さん…さすが大人だ! 後光が射しているように見えます!
「そうだよ、今日は引っ越し祝いに来たんだからさ、思ってても言っていいことと悪いことがあるぞ」
…伊角さん、それ、フォローになってないどころか止めを刺してるって…
ああ、門脇さんもにやにやしてるし…
くそ~! 何なんだよ~! ちょっと、怖くなっちまっただろ~が!
「おまえらな~、人ん家のことだと思って、言いたい放題言ってるだろ!」
「あったりまえじゃな~い。その歳でこんないい部屋借りるなんて生意気~」
「奈瀬~」
「そうだよな~、和谷ってば生意気~」
「おまえにだけは言われたくねーよ!」
「とかなんとか言って、ホントはちょっと怖くなったんだろ?」
「そ、そんなことねーよ!」
「ふん、図星みたいだね」
「お、越智! なにを!」
「なんだ和谷、おばけが怖いのか? ハハ、おまえもかわいいとこあるんだな」
「あ~! もう! 伊角さんまで! みんなして俺をいじめて楽しむ気だなぁ!」
「拗ねるな拗ねるな、今日は色々買い込んできたからさ、飲め。飲んで忘れてしまえ」
「やった~!! 門脇さん、話せる~v」
声を上げたのは俺と進藤だ。
「か、門脇さん、和谷たちはまだ未成年ですよ」
「まあ、たまにはいいんじゃないか? 俺がこいつらぐらいの時には酒ぐらい普通に飲んでたぞ? 今日は俺が許すから、飲んでいいぞ! みんなも飲め!」
「お言葉ですけど、未成年者の飲酒は犯罪ですからね、ボクは遠慮させてもらいますよ」
越智がメガネをつ…っと指で押さえながら、きっぱりと言い切る。
なんでこいつ、こんなに付き合い悪い性格してるかな~。
みんなは越智の話を聞いてたのか聞いてなかったのか、知らん顔して宴会の準備にいそしんでいる。なんかまだ伊角さんは、いいのかな~みたいな顔してるけど。
「それでは、宴会の準備も出来上がったようなので、乾杯といきますか!」
安物の紙コップを片手に、床の上に雑魚座りして、おつまみなんかも袋を破いて広げただけでそのまま床に直置きして。
「それじゃ、素敵な新居から新たな第一歩を踏み出す和谷くんを祝して、乾杯!」
まるで披露宴級?の祝辞を門脇さんからいただき、みんなで杯を合わせる。
「「かんぱ~い!」」
なんか、すごく嬉しかった。
俺、いい仲間に恵まれてるよなぁ、なんてな…
ちなみに、越智のコップの中身はジュースだけどさ。
あとでこっそり越智のコップの中に酒を混ぜておいてやったら、一発で真っ赤になって寝ちまいやがんの。こいつってば、めちゃ弱。おもしれ~から進藤と二人で越智の顔に(マジックで)落書きしてやろうとしたら、伊角さんに止められてしまった。ちぇっ。
そしてその後も、なんだかんだと言い合いながら、おれたちは楽しく時間をすごしたんだ。
いや、碁も打つはずだったんだけど、結局みんなで酒盛りして終わりになっちまった。
ま、たまにはいいよな。こういうのも。
奈瀬と越智は、明日は地方に出張で朝早いから早めに帰ると言った門脇さんの車に便乗して帰って行った。
「俺ってタクシー?」
そう言ってる割には、助手席に奈瀬を乗せて満更でもなさそうな顔をしていた門脇さん。
はっきり言って、すっげえすけべ親父っぽかったぞ! 気をつけろ! 奈瀬!
で、残ったメンバーはすっかり泊まる気まんまんで、飲むだけ飲んでその辺に雑魚寝を決め込んだんだ。
でも、今思えば、この時から何かがおかしかったのかも知れない…
「なあ、誰か夜中に電話してた?」
翌朝、進藤が放った第一声がこれだった。
激しい頭痛と吐き気に襲われている俺の前で、けろっとした顔をして訳の分からんことを訊いてくる。って言うか、おまえ、絶対俺と同じかそれ以上飲んだはずなのに、なんでそんなに平然としてんの?
もしかしてザル? ザルなの?
それとも俺が弱いだけなの? って訊いたら絶対『おまえが弱いだけ』って言われるに決まってるから訊かないけどさ。
で、え~と、何だっけ?電話だっけ?
「俺は知らねーけど? 伊角さんか本田さんじゃねーの?」
返事するだけで頭がズキズキする…うう…あんなに飲むんじゃなかった…マジ、今日がオフでよかったよ。
「さっき訊いたんだけど、知らないって…」
「じゃあ、おまえの気のせいだろ」
「そうかな…」
「そうだよ、前の部屋と違って、ここは隣の音も聞こえないしさ」
何気に部屋自慢再びv
だって本当に嬉しかったんだよ。いい部屋見つけた…って。
だから進藤もそれ以上は何も言えなかったのかも知れない。
そして俺はすぐにこの話を忘れてしまった。
俺が妙な夢を見始めたのは、それから少ししてからのことだ。
夢の中で、電話が鳴っている。
二、三度鳴ると、誰かが電話に出て話し始めるんだ。
ただ、それだけの夢。
最初は気にもしてなかった。でも、その夢は毎日続いた。
さすがの俺も何か変だと思い始めたんだ。
そして進藤がそんなことを言っていたのを思い出した。
『夜中に誰か電話してた?』
ぞっとした。
あまりにも、俺の夢に似ているから。
偶然にしちゃ出来すぎてるだろ?
防音の壁は隣の音を伝えない。でも、夢で鳴っている電話の音は俺の携帯の音じゃない。
プルルルルル…とオーソドックスな、それでいて少し甲高いベルの音。
『超お得物件って、よく〝出る〟って言うよな』
なぜか、やたらと進藤の言っていた言葉が引っかかる。
「あー!もう!何なんだよ!かんべんしてくれよ!」
俺は真実を確かめるべく、覚悟を決めた。
時計の針は、もうすぐ真夜中の12時を指そうとしていた。
何も起こらない。
よく怖い話なんかで聞く、どよ~んとした空気が漂って来るわけでも、寒気がするわけでもない。
いつもと変わらない部屋だ。
少しほっとする。
俺はこのまま何も起こらないことを願いつつ、パソコンで棋譜整理をしていた。
今日はまだ、眠るわけにはいかないのだ。事の真偽を確かめるために。
そう、悶々と分からない事を思い悩むのは俺の性に合わないんだ。
今夜は謎が解けるまで、絶対に寝ない!
俺の決意は固いぜ!
気が付くと、パソコンを置いてある机に突っ伏して寝ていた。
……………。
時間は午前2時になる少し前。
俺って…俺って奴は…あの決意はいったい……
自己嫌悪に陥りそうになった時だった。
プルルルルル
椅子から飛び上がった。たぶん、10センチぐらいは飛んだんじゃないかな。
いや!これは驚いたからだぜ!怖かったからじゃないぜ!
でも、小さいが確かに電話が鳴っている。
この部屋の何処かで…
プルルルルル
部屋の中を見回して、俺の視線はある場所に釘付けになった。
クローゼット…
開かないはずのクローゼットの中から、音は聞こえてくるようだ。
急に部屋の温度が下がったような気がした。そのくせ、背中や手のひらにはびっしょりと汗を掻いている。
俺は全神経を集中して、聞き耳を立てた。
プルルルル。がちゃ。
三度目のベルの後、留守電に切り替わるような音がして、そして…その声は聞こえた。
「うわああああああ!」
自分が叫び声を上げて、部屋を飛び出したのは覚えている。
何処をどう走ったのか、気が付くと伊角さんの家の前で、迷惑も考えずにインターホンを鳴らし続けていた。
少しして、眠そうに目を擦りながら出てきた伊角さんは、俺を見るなりギョッとした表情をして一気に眠気が覚めたような顔になった。
「和谷!一体どうしたんだ?!」
「い、い、伊角さ…ん」
とても自分の声とは思えない震えた掠れ声が、俺の喉からこぼれる。
「とにかく中に入れ」
真夜中に突然やって来たっていうのに、伊角さんはいやな顔一つ見せずに部屋へ上げてくれた。と言うか、あまりにもただ事ではない俺の様子に、迷惑がる暇もなかったらしい。
「これを飲め、落ち着くから」
そう言いながら、伊角さんは暖かいミルクを出してくれた。
それを一口飲んで、ようやく俺は張り詰めていた息を吐き出せたような気がした。
「ちょっとは落ち着いたか?」
俺が頷くと、伊角さんもほっとした顔になる。
「ごめん…伊角さん…こんな夜中に…」
「まったく、びっくりしたぞ?こんな時間にインターホンガンガン鳴らされて、何事かと思って出てみたら真っ青な顔してガタガタ震えてる和谷がいるしさ」
「…俺、そんなに震えてた?」
「ああ、いつもの和谷からは想像もできないくらい、怯えた様子でな」
「…………」
「何があったんだ?」
俺は手の中のカップを強く握りしめた。
その温もりが幻ではないことを確かめるように…
NEXT
________________________
14/12/17再UP
-竹流-
ブラウザを閉じて戻ってください