ぱにっく in 合宿 Ⅰ
「進藤!」
塔矢邸に向かう途中、駅に降り立った途端、ヒカルは後ろから聞き覚えのある関西なまりに声を掛けられた。
「社!」
振り返ると、頭に描いた人物が案の定、満面の笑みを湛えながら、こっちへ向かってくる。
「久しぶりやな、元気しとったか?」
「ああ、社も相変わらずデカイな」
「おまえが伸びんだけやろ」
「うるせ~!」
軽口をたたき合い、屈託無く笑いあう。暫く会ってなかったが、そんな時間など微塵も感じさせない気安さが、二人の間にはあった。
「同じ電車に乗ってたんだ。全然、知らなかった」
「おれもや」
-こいつの顔を見ると、この季節が今年も来たんだなって、実感するな。
互いに同じことを考えながら歩き出す。
浮き立つような、どきどきするような、それでいて静謐な緊張感が二人の胸を満たしていた。
社の両手には、大きな荷物が。進藤の手には袋に入った大きな重箱が。
そう、北斗杯前に恒例となった塔矢低での合宿のために、彼らは今、ここにいるのだ。
出場資格18歳未満の北斗杯の、彼らは選ばれた選手。日本の代表選手は、結局、15歳から4年連続で、塔矢、進藤、社の三人がその地位を譲らなかった。
初年度だけ、塔矢はシード選手だったが、次の年からは全員トーナメント戦を勝ち抜いて、その資格を自力で手に入れてきたのだ。
若手の筆頭株としてこれ以上ないほどに、彼らの実力は抜きん出ていたと言えるだろう。
「また今年も、やるんやろか? 超早碁」
「やるんじゃねえ? おれ、徹夜覚悟で昼寝してきたってv」
「はは。おれも新幹線の中で、爆睡してきたで」
「やる気満々じゃん、社も」
「そらそうや。今年はおれも大将狙てるからな」
社の言葉にヒカルも頷く。
アキラはもちろんのこと、今やヒカルや社もそれぞれにリーグに名を連ねている。誰が大将になったとしても、問題は無いだろう。まだ一度も大将として席に着いたことのない社は、並々ならない覚悟で、今大会、挑んできているのだろう。その気持ちはヒカルにもよくわかった。
もう、これが最後のチャンスだからだ。
彼らは今18歳、これが最後の大会になる。
呼び鈴を鳴らすと、程なくガラガラという音を立てながら趣のある木戸を開けて、アキラが顔を出した。
「やあ、いらっしゃい」
今日も、塔矢先生たちは留守だ。特に中国リーグと契約してからというもの、一年の大半は海外で過ごされることが多くなった。
そのおかげで気兼ね無く、塔矢邸で合宿なんぞをさせてもらっているのだけれど。
「久しぶりやな、塔矢。また、世話になるで」
「社くんも元気そうで何よりだ。この間の棋譜見せてもらったよ。調子は良さそうだね」
「今年は大将、やらせてもらう気で頑張ってるからな」
「へえ…、それは楽しみだ」
なにやらすでに、二人の間には見えない火花が飛び散っているらしい。アキラと社の二人を交互に見やりながら、自分ひとり取り残されているようで、ヒカルは少し悔しい気がする。ヒカルは以前ほど、大将にこだわりを持ってはいないからだ。
去年まで韓国代表の大将だった高永夏は、今大会から出場資格が無くなって、出て来ない。
彼はもう、19歳になってしまったのだ。そのせいも、あるかもしれない。
去年の大会、ヒカルが対韓国戦の大将を務めて、やっとの思いで、初めて高永夏から勝利をもぎ取った。
『おめでとう』
日本語でそう言って、永夏は右手を差し出した。見上げたヒカルの視線の先には、優しく微笑んだ彼の顔。たとえ負けても、力一杯戦った充実感に満たされた顔だった。不覚にも、ヒカルはまた涙が零れた。初めて戦って、負けたときのように。
『よく泣くヤツだな』
笑いながら、永夏はヒカルの手を握った。
ヒカルも泣きながら、笑った。
もう、互いに何のこだわりも無かった。
社にも、そんな経験があってもいいとヒカルは思う。アキラも自分も、この大会において、大将の経験があるからだ。でもアキラにすれば、そんな考えは社に対して失礼だと思うのだろう。真っ向から勝負して、公正に大将は選ばれるべき、そう考えているのだ。
基本的に、アキラはどんな場合でも負けず嫌いだし…
でも…
…何も玄関先でにらみ合わなくてもいいんじゃね~の?
それがヒカルの、今一番の、率直な気持ちだった。
ようやく、部屋に入れてもらい、ほっと一息つく…間も無く、アキラの声が響いた。
「じゃあ、早速始めようか」
部屋の中にはすでに碁盤が用意され、タイマーもばっちり準備されている。
それらには、アキラの意気込みが感じられた。自分たちには今年で最後になる大会。ふと、ヒカルは4年前のアキラの言葉を思い出す。
『ぼくたちは日本の代表なんだ。頑張ろう』
いつも、アキラは全力投球だ。
負けられない。
ぎゅっと拳を握り締める。
中国代表にも、韓国代表にも、そして何より、おれたち自身にも…
社を見ると、同じことを考えているのだろう。厳しい顔をして碁盤を見つめている。
「ゴホン、ゴホン」
思考を中断させたのは、アキラの咳だった。
「す、すまない」
二人分の視線を浴びて、口元を押さえながらアキラはバツが悪そうな顔をした。
「なんや、風邪ひいたんか?」
社が驚いたように、アキラを見ている。珍しいものを見たような顔をして、と言うより、確かに珍しい。体調管理にはうるさいくらいのアキラが、風邪をひくなんて…
「さっき、薬は飲んだんだけど…」
益々、バツが悪そうなアキラ。
「うわ! おまえでも風邪ひくんだ! ちょっと、びっくり!」
ヒカルが大げさに言うと、アキラは少しむっとした顔になった。
「ぼくだって風邪をひくことくらいあるさ! 君は一体ぼくを何だと思ってるんだ!」
「え~っと、塔矢ロボ?」
「…君と話していると、熱が上がってきそうだよ…」
ヒカルの言葉に脱力したようにがっくりと項垂れると、頭に手を当てて溜息を吐く。さすがにヒカルとも長い付き合いなだけあって、少々のことではアキラも切れなくなっていた。
「お茶を入れてくるよ。先に打ち始めてくれ」
そう言い残して、そのまま部屋を出て行った。だからその後の、
「塔矢ロボかぁ、ようあいつ怒らんかったな。実はな、おれもそない思とってん」
という社の言葉は、聞かなくて済んだのだった。
もう何時間、打ったのだろう。
一手十秒の早碁だから、まだそんなには経っていないのかもしれないが、かなりの数をこなし、疲労が表立ってきた。そんなとき、
ぐう~~~~~~。
ヒカルのお腹の音が、石を置く音以外、静まりかえっていた部屋の中に響いた。
「あっ、ワリッ!」
思わず、拝むように両手を顔の前であわせる。チクチクと二人の視線が痛い…気がした。
油断していたのだ。二人の対局を見ている最中のことで、ちょっと疲れたな~なんて考えた途端、鳴り出した素直な自分のお腹。
ヒカルが顔を赤くしていると、ぷっと吹き出す音が聞こえた。
「こらあかんわ。おれも今ので集中力切れてしもた。ここらで休憩にせえへんか?」
「そうだね。進藤のお腹がこれ以上鳴っても困るしね」
二人は笑いながら石を片付け始めた。
「~~~~。おれのせいかよ、おれの!」
持参した重箱の中身をつつきながら、憮然とした顔のヒカル。笑われたのが、よほど気に障ったと見える。
「そらそやろ。おまえの腹が鳴ったんやん」
同じく重箱をつつきながら、冷静に社が答える。
「おまえらだって、疲れてたんだろ~が!」
むきになって、言い返すヒカル。
「ぼくはそうでもないよ」
涼しい顔で、今度はアキラが答えている。
「そりゃ、おまえがロボだからだろ!」
あっ、ヒカルが絡んできた。
「~~~。君も大概しつこいな…」
やばい、アキラの声も、穏やかじゃなくなってきた。
「ふ~んだ、ロボのくせに風邪なんかひきやがって。夏風邪はバカがひくんだぞ」
「まだ、夏じゃないだろ!」
「ここんとこ、夏みたいに暑いだろーが! 夏風邪だろ!」
そろそろアキラの『ふざけるな!』が出そうな空気に、ナイスタイミングで社が割って入る。意外だが、じつは社は気配り屋さんだ。
「あ~、あのな? おれ、倉田さんにって土産持ってきてんけど、これ、二本あるから一本飲んでみいへんか?」
その社の手には、紹興酒が。
「社くん、それ、お酒じゃないか」
「おお! おれ飲んでみる~v」
さっきまでの険悪な空気も忘れて、二人が食いついてきた。社はちょっと、ほっとする。
折角、最後の合宿やのに、喧嘩なんてごめんやで。
紹興酒はこの間社が中国に赴いたさい、買ってきたものだ。塔矢邸で合宿するのを見越して、倉田の分と、実はもう一本の方は、初めから自分たちで飲むつもりで購入していた。
ま、たまにはええやろ。
というのが、彼の言い分だ。
「塔矢、コップ貸してくれや」
「えっ、でも、未成年者がお酒なんて…紹興酒は結構きついお酒だし…」
相変わらず、アキラは真面目を絵に描いたようなお人だ。(社談)
こりゃ、アカンかな? 塔矢って(くそ)真面目そうやもんな。
そんなことを考えながら、社が困ったように口元に苦笑を浮かべていると、ヒカルが助け舟を出してきた。塔矢に、からかうように食って掛かったのだ。
「へっ、おまえ、お子様だから飲めないんだろ~」
「なんだと!」
結局ヒカルの一言で、気が付くとアキラも飲んでみることになってしまっていた。アキラには見えないように、ヒカルが社に向かって小さくガッツポーズをしている。
さすが進藤や、塔矢の操縦の仕方、めっちゃわかってるやん。
変な所で社は感心してしまう。何だかんだ言っても、ヒカルとアキラは仲が良いのだ。
まあ、トムとジェリーみたいやけどな。
笑いをかみ殺しながら、社はグラスに、ちょっと独特の匂いのする酒を注いだ。
なぜいつも、ヒカルの言葉には過剰に反応してしまうのだろう。
アキラは内心首を捻る。
そうは言っても、もう、後には引けなかった。紹興酒の入ったグラスを持たされ、なぜか全員で乾杯までしてしまって、他の二人はすでにグラスに口をつけている。しかも、
「うわ! きっつ~!」
「日本酒と全然ちゃうよな~」
などと、感想までのたまっている。
そして、当然のようにアキラに視線は集まる。マジで飲むんか? 飲めるもんなら飲んでみろよ。それぞれの思惑は違うようだが、興味津々なのは同じであった。
ええい、飲んでしまえ!
男前な決心をすると、アキラはグラスを一気にあおった。
身体が、焼けるように熱かった。それと共に引き攣れる様な痛みが全身を走る。
どうしたというのだろう?
風邪ひきに紹興酒は、やっぱりきつかったのか?
考えながら、アキラは暗い闇の中に意識が閉ざされてゆくのを感じていた。
驚いたのは、残された二人だった。
「「塔矢!?」」
声を揃えて、二人で叫んでいた。
男前に、塔矢が一気にグラスの紹興酒を飲み干した、まではよかったのだが、その途端、ばったりと倒れ、苦しみだした。
もしかして、酒にアレルギーでも持ってたんか!?
一瞬、社の頭に浮かんだのはそんなことだった。アナフィラキシーとかなんとかで、人が死んだりすることがあるという話を聴いたことがある。
一度アレルギーを起こしてしまうと体内に抗体ができて、次に同じものを摂取すると死んでしまうと言うやつだ。
アキラの親父さんは中国にいる。当然、紹興酒を持って帰ってくることもあるだろう。
もしも、以前にアキラがそれを飲んでアレルギーを起こしていたら?
恐ろしい考えが、頭の中を過ぎる。
紹興酒がそういうアレルギーを引き起こすとは聞いたことが無いけれど、わからない以上なんとも言えない。
「と、塔矢…」
社の隣では訳もわからず、ヒカルが泣きそうな顔をしている。
「取り合えず、救急車を呼ばなあかんやろ!」
社自身も青ざめてはいたが、ヒカルよりは幾分冷静だった。携帯を取り出して、救急に掛けようとする。だが、突然、ヒカルがそれを止めた。
「なんや! 早よ救急に電話せな!」
怒鳴る社のほうを見ようともせずに、ヒカルは震えながら、アキラを指差す。携帯を取り出して掛けようとしている間、ほんの数瞬だったが、社はアキラから目を離していた。
いや、苦しんでいるアキラを見ていられなくて、無意識に目を逸らしたのかもしれない。
しかし、その間に何かあったのか!?
いやな想像をしてしまう。
社は震えだしそうになる身体を、必死で押さえて、アキラにその視線を向けた。
「??????????!」
社は、突然目の前に突きつけられた事実に、頭の中が真っ白になってゆくのを感じていた。
NEXT
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ヒカ碁、北斗杯合宿ネタです。
長くなってしまったので、前編だけUPということにしました。
なるべく、5日までには全部仕上げたいと思っていますが、どうなるのでしょう?
しかも、初めに考えていたものとは、ほぼ、別物になりつつあり、さらにどうしよう?な感じです。
ちゃんと完結できるのか、これ?
取り合えず、頑張ります。
05/05/01UP
15/04/03再UP
-竹流-
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