風を切る音 W
「ちょっと待て!」
いくらおれでも、それは承服しかねるぞ。このエロ親父が!
と、後の部分は心の中で付け足して、おれは高遠を睨んだ。
ところが。
「待てません!」
気持ちいいくらい、きっぱりと言い切られてしまった。
ここまで、すっきりきっぱり言い切られてしまうと、逆に、こっちが悪いんじゃないかって気になってくるから、不思議だ。
「なん…」
「きみのせいでしょ?」
おれが口を開こうとしたら、高遠がいきなりなことを言い出して、おれは、きょとんとするしかない。
「本当はぼくだって、昼間からそんなこと…きみが嫌がるだろうからと思って、会うだけで我慢しようとしてたんですよ。こんなレストランじゃ、さすがのぼくでも手は出せませんからね」
そう言って、高遠は、オーバーゼスチャー気味に肩を竦めた。
「じゃあ、なんでまた、ホテルとか言い出すんだよ!」
おれがストレートに疑問をぶつけると、一瞬だけ、軽く唇を噛んで、照れたような表情を浮かべた。
そんな高遠の表情は、なんだか初々しくて。
おれも少しだけ、胸の鼓動が早くなってしまう。
おれだけに向けられる柔らかな視線に、すべてを絡め取られてしまう…気さえしていた。
けれど。
「…きみが…泣いたりするから。まさか泣いてくれるとは、思ってもみなかったものですから…」
不意に、ぽつりと零された、高遠の何気ない言葉。
なのにそれは、おれの中で、不安げな音を立てて、響いた。
…おい、何かそのセリフ、おれの本気を、今まで、疑ってたっぽく、聞こえねえ?
いつの間にか握り締められていた手のひらが、また、汗をかいている。
一体なにを、おれは緊張しているんだろう?
「…そんなことで、その気になっちまったって?」
まるでそんな自分を誤魔化すように、憮然とした表情を浮かべながらおれが直球を投げると、高遠は何も知らぬ気に、こくりと素直に頷く。
その、俯き加減に少し伏せられた睫が、また、妙に色っぽい気がして。
再びおれは、なにも言えなくなってしまうんだ。
きっと高遠は、そういう表情をすると、おれがこうなっちゃうのを知ってて、やっているんだろう。
こんなんじゃ、高遠の思う壺だってわかってるのに。
「…泣いたのは確かにおれだけど、でも、そんなの、勝手に涙が出ただけで、おれ自身は高遠を誘う気も何も無かったんだから!」
頭の中では、そう、反論しているのに。
やっぱり、おれの口からは、何ひとつ、言葉は紡がれなかった。
形にならない不安が、喉の奥に、わだかまっていて。
『拒絶したら、もう、逢ってくれないんじゃないだろうか?』
そんなことを考えてしまう、弱い自分が、どこかに、いて…
「わかったら、行きましょうv」
高遠は、黙ったままのおれの手を取ると、無理やり引っ張って、店から連れ出した。
「あんた、強引過ぎ」
バイクのところで、再びヘルメットを渡されたおれは、ようやく言葉を搾り出した。
自然と顔は、不機嫌なものになってしまっている。
当然、声のトーンは、低い。
「…怒った?」
高遠が伺うように、おれの顔を覗き込むけど、ふんっ! とばかりに、勢いよく顔を逸らしてやった。
大体、高遠ってば、おれの身体が目的なの?って言われても、無理の無いようなことばっかしてくるじゃん。
普段だって、深夜におれの部屋に忍んで来るしさ。
そりゃ、高遠が昼間っから会えないのは、わかってるけど。
だから、こんな風に、普通にデートみたいなのも…ちょっと嬉しかったのに。
学校まで迎えに来てくれたのだって、本当は…すごく…嬉しかったのに。
なのに…
結局は、おれの身体なのかな?
おれって、それだけの価値しかないのかな?
おれの気持ちを、ちっとも信じてくれてない高遠。
さっきの言葉で、それがよく、わかってしまった。
それは、自分が本気じゃないから、おれの気持ちも、軽く見ているって事なのかな?
もしかしたら、高遠は、おれのことなんか、本当はなんとも思ってなくて。
ただ、おれをからかって、玩具にしてるだけだったりしたら…?
もし、そうだったら?
この男ならやりそうだと、頭の片隅で考えてしまう自分が…一番きらいだ。
「はじめ?」
高遠が、不安を滲ませた声でおれを呼びながら、おれの頬を指先で撫でた。
「…そんなに…イヤですか?」
高遠の指先は、濡れていた。
どうやら、おれはまた、泣いていたらしい。
どうも高遠と付き合うようになってから、よく泣くよな、おれ。
感情の蓋と一緒に、涙腺がどうにかなっちまったみたいだ。
こんなおれを、見せたいわけじゃないのに。
でも、いつも、こわいんだ。
あんたを、失うことが。
あんたが、離れてゆくことが。
全部、うそだと。
遊んだだけだと。
いつか、言われてしまいそうで…
止めどなく零れ落ちてゆくおれの涙を、どう勘違いしたのか、高遠は少しだけ苦しそうな表情を浮かべて。
「きみが、そんなにイヤだと言うなら…行きませんけど…」
そして何を思ったか、おれの頭の後ろに手をまわすと、髪を止めてあるゴムを取って、おれの髪をばさりと下ろした。
肩に掛かる髪が、夕方の風に弄られて、乱れる。
「たかとお、なに…」
けれど、おれの言葉は、最後まで言えなかった。
高遠の唇で、塞がれていた。
おれの頬を両手で包んで、愛しげにやさしく、それは与えられた。
屋外の、人の眼もあるだろう駐車場で。
ああ、そうだ。高遠は、誰に見られても平気なのだろう。
おれを恋人だと、言い切る自信があるのだろう。
…信じてないのは、それは高遠じゃなくて、おれの方、なのかも、しれないな…
「好きですよ、はじめ。暫く会えなくなる恋人を、欲しいと思うのは…駄目ですか?」
長い口付けの後で、高遠が、熱を孕んだ声で呟く。
高遠を見上げるおれの視界には、まだ、沈まない夕日が映っている。
オレンジ色の閃光。
燃えるように、紅い空。
目を細めたおれのすぐ前には、高遠がいる。
高遠の顔は影になっているけど、いとおしげにやさしく微笑んでいる。
おれの頬にあてられた高遠の手は、見た目の冷ややかなイメージとは違って。
とても、温かい。
また、新しい涙が溢れた。
なんでかな?
すごく胸が、締め付けられるように、苦しいんだ。
まるで、見えない水の中に沈んでいるみたいに、息が出来ないんだ。
なあ、たかとお。
この想いは、これは、本当に恋なのかな?
こんなにも苦しい想いを、おれは、他に知らない。
傍にも、いられない。
いつ会えるかも、わからない。
あんたは、追われるもので、おれは、追うもの、だったはずなのに。
なのに、今は。
好きで、好きで、好きで、どうしようもなくなってしまって。
ずっと、離れないでいたい。
ずっと、傍にいて欲しい。
本当は、どこにも行かないで欲しいんだ。
たかとお…
なによりもおれは、あんたを…信じていたいんだよ。
気がつくと、高遠の首に腕を回して、抱きついていた。
「…これは…イエスの意味だと、受け取っていいんでしょうか?」
高遠は、おれの身体をそっと、まるで壊れ物にでも触れるみたいにやさしく抱き締めながら、耳元で、そう囁いた。
おれは高遠の肩に顔を埋めながら、何度も何度も、小さく頷いていた。
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初書き 05/10/18
改定 06/02/19
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日記に書いていたものとは、少しばかり形が違ってきていると思います。
結構、書き足したと思うので。
このお話は、二人が付き合いだして、数ヶ月ぐらい…というイメージなので、
高遠くんの気持ちを信じきれなくって、不安がるはじめちゃん、というのを書いてみたくなったのでした。
我ながら、はじめちゃんが、かなり乙女だなあとは思うのですけど。
でも、恋愛って、こんな感じの部分もあるよなあって。
だからこの先の話も、微妙に変わってくるだろうと思います。
そして、この続きの「X」は裏行きです!
ええ、日記には書けなかったんで、こちらではこのまま繋げて書いちゃおうと企みましたvv
読みたい方は、探してみてくださいませv
06/02/19UP
−新月−
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