風を切る音 V
適当に頼んだメニューは、意外と量が多くて、おれは、物も言わずに黙々と食べることに専念していた。
綺麗に盛り付けられ、美味そうな匂いを立てている料理を、けれどおれは、味わうことすらできずに、ただ口を動かして、飲み込んでいた。
まるで、砂を噛んでいる気分で。
高遠はといえば、珈琲だけを頼んで、そんなおれを、やっぱり何も言わずに静かに見つめている。
時折、伏せ眼がちになると、不思議な月の色の眼が隠れて、長い睫が綺麗な顔に影を落とす。
それが、まるで美しい一枚の絵のように見えて、その度におれは、なんだかドキドキしてしまって、食ってるものを喉に詰めそうになったりした。
馬鹿みたいに、胸を叩きながら咽ていると、
「もっと、ちゃんと噛んで食べなくては駄目でしょ?」
高遠は笑いながら、水を注いでくれるんだけど。
おれは、お子様かよ!
と、普通なら突っ込んでるとこなんだけど。
…でも、明日から、しばらく会えないんだ…
そう考えると、何も言えなくて。
ただ俯いて、もくもくと食べるしかなかった。
味気ない、料理を。
…結局、十分ぐらいで食っちまったけどさ。
「もう少し、ゆっくり味わって食べた方が、身体にも良いと思いますけど…」
高遠が、目の前で呆れた顔をしていた。
うるさいな、こんなもんなんだよ! まだ成長期なんだから!
と、心の中だけで、文句を言っておく。
言い返したら、絶対に口では勝てない気がするもんな。
…それに、何か言ったら、涙が出てきそうな気がしていたんだ。
しばらく、会えなくなる。
ただ、それだけなのに。
ずっと、会えなくなるわけじゃ、ないのに…
俯いたまま黙っているおれに、高遠はそっと、手を伸ばして来た。
「はじめ? どうしたんですか?」
不思議そうに、呟かれた言葉と同時に、高遠のしなやかな指先がおれの頬に触れた途端、ずっと堪えていたものが、もうどうしようもなくなってしまった。
折も折、レストランのピアノ曲ばかりを流しているBGMまでもが、このとき、運悪くショパンの『別れの曲』なんぞを流してたりしてな。
「はじめ?」
指に零れ落ちた雫を感じたのか、高遠が、戸惑ったような声を出した。
おれは、顔を上げられない。
肩が小刻みに震えだすのを、止めることも出来ない。
ただ、油断すると、漏れそうになってしまう嗚咽を、堪えるのに精一杯で。
たったの一ヶ月だ。
いつも会えてるわけじゃないんだから、そのくらい、どうってこと無いじゃん。
そう、頭では思うのに。
感情が、ついていかない。
高遠と、離れてしまうのが、つらい。
だって、だってもしかしたら、もう二度と、会えなくなってしまうかもしれない。
このひとは、犯罪者なんだから、いつ、なにがあるかわからない。
そんな想いも、やっぱり心の何処かにはあって。
ああ、おれ、こんなにも高遠のことが好きなんだなあ、なんて、自分でもちょっと驚いたりしていた。
泣けるくらい、この悪い人間を、おれは好きなんだ。
犯罪を暴くことを、防ぐことを、使命に感じながら、今まで生きてきたはずなのに。
どうして、こんなことになってしまったんだろう。
自分の心なのに、自分でも、よくわからないんだ。
おれの頭は、きっと犯罪を暴くことにしか、働かないに違いない。
そう、この人の犯した罪も、何度も暴いた。
おれ自身の、この手で。
許されざる犯罪者。
自分とは、対極に位置する者だと、ずっと、思っていたのに。
なのに、どうしてなんだろう。
自分でも、どうしようもないくらい、好きになってしまうなんて…
とか考えながら、おれがこんな状態なのに、おれの頬に指を当てたまま、何も言わない高遠を何気に不満に思ったりもしてな。
ああ、もう、男心も複雑なんだよ。
だから、ほんとは泣き顔なんて見られたくなかったんだけど、少しだけ視線を上げてみた。
どうやら高遠は、おれが泣くなんて、想ってもみなかったらしい。
おれの視線の先で、全く高遠らしくなく、大きく目を見開いたまま…ものの見事に、固まっていた。
いや、なんとなく、垂れ目がちの目を見開いてる高遠ってのも、意外性をついて、結構、可愛かったりしたんだけどさ。
え〜、時間にして、たっぷり5分は固まっていたんじゃないでしょうか?
この男が、驚いて、無防備に固まってるってのも、なんだか変な感じで。
その間に、おれの方が逆に落ち着いてきちゃったりして。
とりあえず、鼻をかんで涙を拭いてから、躊躇いがちに声を掛けてみた。
だって、目の前の高遠は、相変わらず固まったままだったし。
「…たかとお? だいじょうぶか?」
おれの声に、はっと我に返ったらしい高遠は、まるでたった今、夢から覚めたかのように、何度か瞬きを繰り返してから、しばらくの間、黙ってじっとおれを見つめた。
その目があまりにも真剣で、思わずおれは、後ろに身を引いていた。
なんか、危険を感じるって言うか。
妙な、胸騒ぎを感じるって言うか。
野性の本能、みたいなもんだったかもしれない。
それから高遠は、おもむろに腕に嵌めた時計に視線をやると、相変わらず黙ったまま、何を思ったか、いきなり伝票を掴んで席を立った。
一体なんなんだよ、この男は。
まったく行動が読めねー。
おれがぽかんとして見ていたら、さっさとしろ、と言わんばかりに声を掛けられた。
「はじめ、行きますよ」
「えっ? どこへ?」
訳もわからずそう言うおれに、ニッコリと極上の笑顔を向けながら、高遠は、これ以上ないほど簡潔に答えてくれた。
「ホ・テ・ルv」
「はい?」
窓の外には、幾分翳ってきたとは言え、まだ陽は燦々と輝いている。
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初書き 05/10/17
改定 06/02/05
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ああ、微妙に中だるみかしら。
もう一つ、展開に面白みのない回になってしまった気がする(汗)。
かといって、これ以上、手も入れられず…
う〜ん、すいません(滝汗)。
06/02/05UP
−新月−
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