風を切る音 U
男の背中にしがみつきながら、ヘルメットを被っているにも拘らず、おれの耳には、バイクが出すエンジン音と共に、風の唸る音が、ずっと聞こえていた。
男の運転する黒いバイクは、気持ちのいいスピードで風を切りながら、軽やかな動きで車を次々と抜かしてゆく。
何処へ連れてゆかれるのかと、少し視線を上げると、漆黒の髪が、風に激しく煽られているのが視界に入った。
その髪の感触を、おれはよく知っている。
さらさらとしていて、けれど、意外と柔らかな髪。
しがみつくおれの手の中で、いつもそれは、豊かにたゆたうんだ。
そんなことを考えていると、思わずその場面を思い出してしまって、顔がカッと熱くなるのが自分でもわかった。きっと、紅くなっているんだろう。
ヘルメットを被っていて、よかった…
ひとりで照れながら、細いけれど、意外と広い背中に凭れ掛かる。
男の鼓動さえ、聞こえてくるような、気がした。
間に挟まっている鞄が邪魔だけど、細い腰にまわした腕から伝わる温もりが、確かな存在を主張している。
ずっと、こうしていられればいいのにと、心のどこかで望んでいる自分。
けれど、無理なことだとわかっているから、少し涙が出そうになる。
こんな感情は、間違ってる。
自分でも、自覚くらいは、あるんだ。
でも、走り出した想いを止めることなど、おれには出来なかった。
どうしても。
そんなことをぼんやりと考えていると、バイクはどこかの駐車場に入って止まった。
見ると、どこか家庭的な雰囲気を持つ、レストランの駐車場だ。
らしくない、と言えば、言えなくも無い。
でも、そう言ってしまうと、昼間からバイクで学校までおれを迎えに来たこと自体が、この男らしくないだろう。
「昼間から何の用事かと思ったら、こんなトコに連れてきて、どういうつもりなんだ?」
おれはバイクから降りると、ヘルメットを取りながら、不機嫌さを装って男に向かって言った。
おれの、恋人に。
そう、全国指名手配犯、高遠遥一に。
「…きみに逢いたくて…っていう理由じゃ、駄目ですか?」
サングラスを外すと、セーターの胸元にそれを掛けて、首を傾げながら、無邪気に笑う。
月の色の不思議な虹彩が、午後の穏やかな光を反射して、綺麗なオレンジ色を湛えている。
こんな風にしているこの男を見ていると、とても、恐ろしい殺人犯だとは思えない。
笑いながら、人を殺して、罪の意識も持たない男。
憎むべき、罪びと。
なのにおれは、この男のすべての罪に、目を瞑ってしまう。
このずる賢い男は、きっと、おれがこの笑顔に弱いのを知っているんだ。
そうなのだとわかっているのに、おれは何も言えなくなってしまうんだ。
どうしようもなく、好きだと、思い知らされて…
たぶん、そう感じているおれもまた、罪びとなんだろう。
おれがヘルメットを抱えたまま固まっていると、高遠は何を思ったか、それをおれから取り上げると、ついでにおれの身体をも引き寄せて、ちゅっと軽いキスを送ってきた。
「た、たかとお…!」
まさか、昼間からそう来るとは思っても見なかったおれが、真赤になって慌てていると、
そのまま手を引かれて、店の入り口へと連れて行かれてしまう。
くっそ〜、高遠ってばいつも大人の余裕で、なんか悔しい。
頭ではそう考えているのに、掴まれたおれの手は、掴んでいる高遠の手のひらの温もりを感じて、単純に嬉しいと、おれに思わせる。
あ〜、も〜、やっぱりくやしい!
おれって、どうしてこんなに、この男のことが好きなわけ?
大体、なんでおれは、同性愛好者になっちゃってるんだよ?!
まったくもって、自分でもやっていられない!
憮然とした顔をしながら、けれど本気で怒ることもできずにおれは、店の中へと、高遠に連れられるまま木製のドアをくぐった。
ドアが揺れるたび、そこに付けられたベルが、カラリと明るい音をたてる。
気が付くと、さっきまでおれの胸の奥にわだかまっていた微かな罪悪感は、いつの間にか、何処かへ消えてしまっていた。
もしかして、これも、全部、高遠の思う壺なのかな。
わからないまま、おれは、高遠の後に続いた。
店内は、明るすぎもしないオレンジ掛かったベージュを基調とした塗り壁を持つ、落ち着いた感じの洒落たレストランだった。ダークブラウンの柱や梁が、思ったよりも高い天井に、むき出しのまま組まれているのが、隠れ家風な感じで、かっこいい。
ランタン調の照明や古びた木製の調度品などが、その趣をぐっと盛り上げていて、いい感じだ。
物珍しげにきょろきょろとしているおれを尻目に、高遠が名を告げると、ウェイトレスは店の奥の席へと案内してくれた。どうやら予約まで入れてあったらしい。
でも、まだ夕方だぜ? いったい何を考えてるんだか。
一番奥まった所にある予約席に着くと、なるほど、上手く背の高い観葉植物に隠れて他の席からこちらは見えない。横にある窓には薄いカーテンが掛かっていて、中から外は見ることができるけど、たぶん、外からは見えないようになっているのだろう。
こんな所は、やっぱり意外と用心深いんだよなあ。
素顔で学校に来たときには、心臓が止まるかと思ったけど。
「って、なんでそのままで学校なんかに来たんだよ! 美雪だってあんたの顔、知ってるんだぞ!」
いきなり、そう切り出したおれに、でも高遠はしれっとした顔で答えた。
「でも、ばれなかったでしょ? 少し、髪を切ったんです。これでこんなラフな格好していたら、誰もわからないですよ。人間って、結構、固定観念で物を見ますからね」
「…そりゃそうかもしれないけど…でも、おれ、一発でわかったし…」
おれの言葉に、今度は嬉しそうな笑みを浮かべて。
「そうですね、きみはわかってくれた」
そして、熱を孕んだ眼差しで、おれを見つめる。
高遠にそんな目で見つめられると、条件反射的に、おれの胸の鼓動は早くなる。
ずっと前に流行った宇多田ヒカルの、なんてったっけ? え〜と、そう「AUTOMATIC」だ。
あれって、本当なんだよなあ。高遠と付き合いだしてから、それを何度も実感したし…
なんて考えていると、突然高遠が、その眼差しを寂しげなものに変えてしまった。
何事かと、思ったら…
「きみはぼくがいないときは、あのお嬢さんと仲良くしてるんですよねえ」
まったく、これ見よがしにため息なんぞ吐いたりしてな。高遠め。
「ちょっとばかり、ジェラシーを感じますね」言いながら、今度は、恨めしげな視線を送ってくる。
でも、そんな顔してても色っぽいから、やめてくんないかな、その目つき。ちょっとばかり、もわもわした気分になっちゃうんだけど。
「そ…そんなこと言われても、美雪は幼馴染みだし…」
紅くなってしまいそうな頬を意識して、視線を逸らせると、不意に痛いところを突かれた。
「でも、好きだったんでしょ?」
それを言われると、さすがのおれもつらい。
なにも、反論できない。
おれが何も答えられずに、苦虫を噛み潰したような表情をしていると、急に高遠が、降参だとでも言いたげに、両手を小さく挙げた。
「きみの、そんな顔を見るために会おうと思ったんではないんですよ。少し、いじめ過ぎましたね。すみません」
すんなりと謝る高遠は、けれどなんだか、いつもと雰囲気が違う感じがして。
「どうしたんだ? たかとお? なんか、あったのか?」
おれが声を掛けると、その形の良い唇から、重いため息をひとつ落とした。
「…少し用事ができて、海外に行くことになったんです。たぶん、最低でもひと月は、こちらに帰って来れないでしょう」
「…えっ?…」
思ってもみないことを言われて、すぐには頭が動かない。
「今夜の便で日本を出ます。だからその前に、どうしても、きみに会いたくて…」
目の前が、一瞬、真っ白になる感覚があった。
言葉の意味を、まるで理解できないみたいに、おれはただ、高遠の顔を見つめて。
高遠も、真剣な表情で、おれの顔をじっと見つめている。
身動きもできずに、息をすることさえ、忘れてしまったように。
見つめ合ったまま、数瞬が、過ぎた。
西日がカーテン越しにテーブルを照らして、高遠の綺麗な顔に、印象的な陰影を投げかけている。
ごくりと生唾を飲み込んで、ようやくおれが何かを言おうと口を開きかけたとき、丁度ウェイトレスが、注文をとりにやって来た。
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初書き 05/10/15
改定 06/01/27
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「風を切る音U」アップでございますv
かなり、書き足したかもしれませんが、内容は、まったくといっていいほど変わっていません。
まだ書き足りない気もしてるのですが、とりあえず、こんな感じで(汗)。
06/01/28UP
−新月−
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