Dream Trap V





「さあ? どうしてだと、思いますか?」
朱を引いたように紅い唇に薄く笑みを浮かべて、高遠ははじめの側に腰を下ろす。
「…なに勝手にくつろいでんだよ…」
はじめの眉間が、嫌そうに顰められる。
「いいじゃないですか、ここが、このところの、わたしの定位置なんですから」
それを聞いて、はじめの顔が青ざめた。
「それよりも、金田一くん、よく、起きていられましたね。即効性の睡眠ガスを使ったんですよ?」
「……やっぱり…そうじゃねえかと思ったんだよ」
はじめはふとんの中から、一本のスプレー缶を取り出した。ちょうど噴出し口に当たる部分に、口に当てるためのカバーのようなものが付いている。
「なんですか? それは?」
「『ヘッド・リフレッシュナー』だって。この中に酸素が入ってんだよ。吸うと頭がすっきりするらしいぜ?」
はじめは、高遠に向かって挑戦的とも呼べる視線を投げつけたが、高遠はさらりとそれを受け流して、綺麗に微笑む。
「なるほど。面白いこと考えましたね。じゃあ、初めからガスだと気が付いてたんですか?」
「そうじゃねえけど …でも、そう考えるのが、一番確実だと思ったんだ」
高遠の視線を避けるように、はじめは顔を背けた。高遠を見ていると、どうしても夢の中のことを思い出してしまう。微笑まれた日には、顔まで赤くなりそうだ。
「もし、家の中に忍び込んで、飲み物に睡眠薬を入れたとしても、他のヤツに飲まれちまう可能性もあるし、第一、リスクが高すぎる。一度くらいならそれでもわかるけど、こう何度もじゃあ、それは無理だろ?」
「…それで、その『ヘッド・リフレッシュナー』ですか。よくそんなので、防げましたね」
「あ〜、おれも、一か八かだった」
そう言いながら、うっかりはじめは高遠に向かって、笑顔を見せてしまっていた。
以前、高遠に拉致られて、数日間を一緒に過ごしてからというもの、どうも高遠に対する危機感が薄くなってしまったようなのだ。
けれどそれは、この危険な男に対して、致命的な油断だった。

一瞬、なにが起こったのか、はじめは理解できなかった。

気が付くと、ふとんに押し倒されていて、高遠が上から覆いかぶさっていて、金茶色の瞳が、すぐ目の前にあって、くちびるが …塞がれていた。
両腕は高遠の手によって押さえ込まれており、身体も自由が利かない。
目を見開いたまま、くちびるでくちびるを塞いでいる男を見ていた。
透けるような光を湛えた高遠の瞳は、閉じられることなく、熱をはらんだ眼差しではじめを見つめている。

夢の続きなのではないかと、思った。
こんなことが、現実にあるわけないと、思った。
自分は本当はまだ眠っていて、これも夢なのだと…

けれど、ひどく息苦しくて。
ただ、それだけで。

酸素を求めて、思わずくちびるを開くと、奪われた。
なにも考えられないくらい、激しく。
もう、目を開けていることなんて、できなくて。

瞼を閉じる瞬間、高遠の眼差しが、柔らかく微笑んだような、気がした。


「本当にきみは、キスに弱いですね」

はじめは呆然と、目の前の綺麗な男の顔を、ただ、見つめていた。
散々貪った挙句に、目の前の男はなんでもないことのように、さらりと口にする。
それも、まだ、はじめを押さえつけたままだ。
男が男に押し倒されているという、ありえない状況に、はじめの頭の中はついてゆけてない。
しかも、濃厚なキスまでプレゼントされてしまって、頭の中は空白だ。

けれど、どうやら、夢でないことは、確からしい。
息が上がってしまって、おまけに、身体中が、熱を持ったように、熱い。

「…まだ、欲しい?」

うっとりと、これ以上ないくらい色っぽく微笑まれ、思わず頷きそうになる。
高遠のキスは、夢の中のそれとまったく同じで、ひどく官能的だ。

夢の中と…おなじ…?

ゆっくりと、高遠の顔がまた近づいてきた。
「うわ! ちょっ! 待って! たんま!」
突然、暴れだしたはじめに、素直に高遠が止まる。
「何ですか?」
「な…何ですかって…あ、あんた…、なんで、おれがキスに弱いとか、わかんだよ!」
すると高遠は、今さら何を言ってるんですか、というような顔をして、片眉を上げた。
「ぼくが仕掛けてたとわかったときに、全部理解したんじゃないんですか?」
「なんの…ことだよ!」
やれやれと、ため息を吐きながら、高遠ははじめの上から身体を退けた。
「まったく、わかってないみたいですね?」
言いながら、乱れた前髪を掻き揚げ、意味深な視線をはじめに投げかける。
はじめはというと、怯えたようにふとんを身体に巻きつけて、壁際に逃げていた。
ふとんに顔を埋めて隠してはいるけれど、耳まで真っ赤に染まっているのが見える。
「そんなに逃げなくても、もう、何もしませんよ」
「…しんじられない…」
そんなはじめの様子は、ふとんむしといった状態で、苦笑を禁じえないのだが。
「あ、あんた、今まで、おれに…なにを…してたんだ…?」
高遠は、それはそれはにっこりと、天使のような美しい笑顔を浮かべて、
「きみが夢で、見たとおりv」
などと、悪魔のように恐ろしいことを口走る。
はじめが泣きそうな顔で、震えていると、「全部では、ありませんけどね」と付け足した。
「もともとは、マジックの足しになるかと思って、勉強したんですよ…」
…むかしね…
言いながら、高遠は一瞬だけ、遠い目をした。

心理学を、少し齧ったのだと、高遠は言った。
暗示を与えて相手に夢を見せる、そんなことを研究したのだと、薄く笑う。
「まさか、こんな形で役に立つとは、思ってもみませんでしたけどね」
そして、熱っぽい眼差しで、はじめを見た。
「眠ってるきみに、耳元で暗示を与え続けたんです。わたしの作った物語の通りの夢を見るように」

じゃあ、あのコスプレは…高遠の趣味なんだ…
はじめがこっそり、そう考えたのを高遠は知らない。

「きみって、面白いくらい暗示にかかり易くて、それでちょっと、内容をエスカレートさせてみたんですよ」
キスなんかは、きみの方から強請ってくるくらい、馴染んだと思ったんですけどねぇ…
ため息混じりに、高遠は呟く。

ちょっと待てー! 一体、なにやってるんだよ! あんた!
はじめは、そう、心の中で叫び、そして、気付いてしまった。

えっ? ってことは、夢を見せながら、本当にキスしてたってことなのか?

全身から血の気が引くのを感じた。
昨日見た夢は、もっともっと先まで、その行為は進んでいたではないか…

はじめの様子に、その危惧していることがわかったのか、高遠は
「大丈夫ですよ? 最後までいったわけじゃありませんから。いくらわたしでも、眠っている相手にそこまではしませんよ」
と言った。

…最後までって……それって…どういう…こと………なのでしょう……?
…じゃあ、途中までは………って、こと…ですか………?
思わず、はじめの頭の中は、なぜか高遠並みに敬語になっている。

「まあ、それでも… 今日は起きてからも、疲れが残ってたんじゃないですか?」

止めのその一言に、はじめは頭の中が、真っ白になってゆくのを感じていた。

「な…な…んで…?」
はじめがそう、口にした途端、何か熱いものが、目から零れ落ちた。
「何で…そんなこと、するんだよ!!!」
抑えきれない感情で、目の前の男を怒鳴りつけていた。
「い…嫌がらせ…にも…ほどが…ある…」
ぱたぱたと、零れ落ちてくる雫は止まることを知らず、巻きつけたふとんを濡らす。
じつは、はじめはまだ、ふとんむし状態だ。
「…金田一くん…」
まさか、泣くとは思ってなかったのだろう。高遠は驚いたように大きく眼を見開くと、はじめの側に寄ってきた。
「こっち来んなよ!」
涙に濡れながら、それでもふとんむしのため逃げられず、怯えたように蹲ろうとするはじめを捉えて、高遠は少し悲しげな表情を見せた。
「泣かないで…きみの泣き顔を見たいわけじゃないんです…」
しなやかな白い指先で、はじめの頬に零れる涙を拭う。
「やだ! さわんな!」
そのまま暴れようとするはじめを、両腕でぎゅっと、ふとんごと抱きしめると、高遠は観念したように、深く息を吐いた。
「…わたしは…きみが、好きです」
今まで、腕の中でじたばたしていたはじめの身体が、瞬時に石になる。
「だから…ばかな話だけれど、夢で暗示を掛けて、わたしを好きになってもらおうと思った。きみの、心が、欲しかった。…誓って、嫌がらせなんかじゃないんです。きみを傷つけるつもりじゃなかった…すみません、許してください」
突然の、高遠の告白を聞きながら、はじめの頭の中は、余計こんがらがっていた。
今、言われたことを、冷静に、少し、反芻してみる。

え、え〜と、高遠は、おれのことが、す…好きぃ?!

「…なんだか、信じてもらえてないようですけど…、この夏に、きみと別荘で数日間を共に過ごして、はっきりと自覚しました」
高遠は腕の力を緩めると、ぽか〜んとあほ面を晒している、はじめの顔を覗き込んだ。
はじめも、もう、泣いている場合では無かった。だが、パクパクと口を動かしてみるものの、驚きのあまり、なにも言葉は出てこない。

男に、しかも『地獄の傀儡師』に、告られているのだ。
へたすると、なんか、命の危険も感じるぞ?
はじめの頭は、ビミョウな危機感を訴えている。

「初めは、叶うはずも無い恋だからと、諦めようと思ったんですよ? これでも、一応…」
高遠は、どこかしらはにかむような表情を浮かべながら、なおも告白タイムらしい。
「でも、だめだった。一度、自覚してしまった気持ちを、抑えることはできなかった…」

「…で、これなの…?」
はじめが、心底困った顔で言うと、
「そうですv」
その顔は、反則だろ? と言いたくなるような笑顔で、高遠は簡潔に答えた。
そして、その腕が上がったと認識する前に、はじめの顔に向かって、シュッと何かがかけられる。何が起こったのか、一瞬、理解できなかった。
無味無臭で、軽く息を吹きかけられたような感触のそれ。
あまりに突然のことで、避ける暇も無かったそれは。

ま、麻酔ガス?!
告られた直後に、こ…これって一体?!

「な…なに…する…」
はじめの視界が、急速に暗転し始める。と同時に、身体も、起きていられなくなる。
「駄目ですねぇ、金田一くん。わたしの前で、そんなに油断しちゃ」
倒れこんできたはじめの身体を腕に抱きながら、クスクスと何かを企んでそうな笑みを浮かべる高遠の顔が、はじめの視界の中で、歪んで霞み始める。
「た…かと…」
「折角、今夜もネタを仕込んできたんですから、もったいないでしょ?」
今夜のコンセプトは、『およしになって、お殿様v』ですからね…
フェードアウトしてゆく意識の中で、最後に高遠が、

覚悟してくださいね

そう言ったのを、聞いた気がした。



05/05/18     了

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いや、もう、ごめんなさい…

05/05/19UP
−新月−

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