A suspect





「あれ?」
マナーモードになっていた携帯が、着信を知らせる振動をポケットの中で主張しているのに気付いたおれは、液晶に表示された名前を見て、素っ頓狂な声を上げていた。

授業もホームルームも終わって、あとは帰るだけ、というか、ミス研に連れて行かれそう、という絶妙のタイミングで、そのメールは送られてきたのだ。
「どうしたの? はじめちゃん?」
ミステリー研究会におれを連れて行くべく、わざわざ迎えに来ていた部長の美雪が、おれの声に反応して横から携帯の液晶を覗き込む。
当然、頭を引っ付け合わせる格好になって、ラッキーと思いながらも、おれの胸は、はしたなくドキドキと鼓動を早めた。
仕方ないだろ! こう見えても、結構、純情ちゃんなんだよ! おれは!
…でも、美雪は…どうなんだろう、おれとこんな風にしてても、平気なのか? 
そりゃあ、おれは幼馴染みだけど、でも、その前に男なんだぞ。って、もしかすっと、おれ、男として見てもらえてなかったりして?  
う〜〜ん、淡い恋心を抱く者として、それは、由々しき問題だよな…
なんて考えていたら、寄せられた美雪の長い髪からすごくいい匂いがして、妙にもわもわした気分になる。だって、おれ、健康な男子高校生だもんなv
ああ、もっと、側に寄りたいv

−苦しゅうない、もっと、近こう寄れ。

…思わず、頭の中に浮かんだ言葉に、一瞬で、天国から地獄に堕ちたような気分になってしまうおれって、すっげー不幸者だ…
…これって、昨夜見た…ってか、見せられた夢…の影響、だよな…?
も、絶対、思い出したくなんかないのに……高遠の大ばかやろう!
うう、さっきまでの幸せ気分は何処(いずこ)に…
横で、がっくりと項垂れているおれに気付きもしないで、美雪が興奮気味に言った。
「これって、明智さんからじゃない! 事件かしら? きっと、はじめちゃんに急用でもあるのよ!」
「…あ〜、そっかあ? な〜んか嫌味聞かされそうなだけって気がするけどな〜」
おれが、やる気も元気も無さげに呟くと、腹にエルボーが飛んできた。
ぐほっ! …美雪、おまえ鍛えたら、いいK−1の選手にでもなれるんじゃねーか?
口に出したら殺されそうなことを考えながら、仕方なしに携帯を開く。

「少々お話があるので、今日、学校が終わったら、警視庁までご足労願えますか? 食事くらいなら、奢らせていただきますよ。必ず、一人で来てください」

「なんだあ? ひとりで警視庁まで来いだって?」
「やっぱり、事件か何かで、はじめちゃんの意見が聞きたいんじゃないの?」
「あのなあ、あの超絶自信男の明智警視が、民間人のおれに意見を聞きたがるわけねーだろうが。剣持のおっさんじゃあるまいし」
「…それも、そうよね。じゃあ、一体なんなのかしら?」
う〜ん。なんか、剣持のおっさんがかわいそうになるような反応だったな、今のは。
「でも、あんまり仲良く無さそうなのに、明智さんとメール交換なんて、いつの間にしてたの? はじめちゃん」
美雪の言葉に、はたと気が付く。
そんなのした覚え、無いよな? おれ。
あれ? でも、明智さんの名前で出るって事は…いつの間にかおれの携帯に、勝手にちゃっかりとアドレス入れてたって事か?そんでもって、その時におれのアドレスも盗んだ、と。
うおい、それってほとんど犯罪じゃん!
怪盗紳士も真っ青だ!!
恐るべし、超絶厭味エリート警視!!!
やつの前では、個人情報保護法も意味を成さないんだぜっ!

って、つまんねえことで脳内で盛り上がるのは、寂しいからやめよ… 
ま、あの人なら、これくらい朝飯前で、やりそうだもんね。
「これって犯罪だろ!」
な〜んて、おれが言っても。
「なにを言ってるんですか、犯罪にむやみに巻き込まれやすい君のために、仕方なく私のアドレスを入れておいたんですよ。何しろ君と来たら…」
とかって上から目線できて、そのあと延々と厭味を聞かされておしまいにされそうだもんな。
うわ〜、やだやだ。

「あ〜、なんか、たり〜よなあ。行かなきゃならんのか? これ」
「明智さんがわざわざメールを送ってきてるんだから、きっと大事な用なのよ。行ったほうがいいわ、はじめちゃん」

ってな具合に、美雪に押し出されるように学校を出て、結局、警視庁に向かう羽目になってしまっていた。
おれって、押しに弱い体質なのかな?
美雪に強く言われると、それ以上何も言えなくて、素直に言うこと聞いちゃうんだよなあ。
考えてみると、昨夜だって、もっと抵抗のしようがあったように思うのに、高遠の思うがままになってしまっていたし…
いや、そのことはもう考えるな。考えても、落ち込むだけだ。
とりあえず、明智さんが何か奢ってくれるってメールに書いてあったし、そっちを期待しようっと。



そうやって、餌に釣られる形で警視庁までのこのこ来てしまったおれは、今、心底、いやマジで、後悔していた。

「で、なんなの? これ…」
テーブルに置いてあるものを指差しながら、おれは、目の前で涼しい顔をして座っている男に、困惑しきった視線を投げつけていた。
テーブルの上には、いつの時代からあるんだ? と聞きたくなるような、年期が入ってそうな卓上型のライトスタンドと。そして、このテーブル自体が、…てか、テーブルじゃなくって事務用机みたいなところが、なんか、もの凄くイヤなんだけどさ。
まあ、それはさておき。
んで問題は、この机の上に載っているもの。これはどう見ても、あの、刑事物のドラマとかでよく見かける、例の…
「…カツ丼…ですが? カツ丼も知らなかったとは、君の無知さには驚きですね」
目の前の、やたらキラキラした光を周りに飛び散らせる技をマスターしているとしか思えない男が、前髪をキザったらしく掻き揚げながら、やっぱ嫌がらせだろ? と言いたくなるような口調で、答えてくれた。
「カツ丼くらい知ってるわいっ! だから、なんでこんな所に連れ込まれた挙句、目の前にカツ丼なんだよ!!」
「わたしは確か、食事くらい奢らせていただきますよ、とメールした筈ですが?」
「〜〜〜だからって、なんでこんなとこで、出前のカツ丼なんだよ!」
「いえ、なんとなく、この方が雰囲気が出ていいかなと、思っただけです」

あんた、嫌味にも、加減ってもんが必要なんじゃないの?
流石のおれも、この時ばかりはマジで、そう思った。

おれの背後には、この部屋唯一の窓があるんだけど、素敵な飾りとばかりに鉄格子が付いていて。くすんだ灰色の壁にある鏡は、嵌め殺しで飾り気も何もなく、覗き窓付きの鉄の扉の横には、小さな机が椅子とワンセットになって置かれている。そして、この部屋のメインは、おれと明智警視が座っている場所だ。
ただそれだけの、狭い部屋。
そう、ここは、泣く子も黙る、警視庁第一取調室の中なのである。
今、おれは、明智警視と机を挟んで向かい合う形に、座らされている。当然、容疑者が座る位置にだ。
ったく、おれは、容疑者なのかよ!
という、おれの心の叫びが聞こえたのかどうかは知らないが、明智警視が言った。
「たまたま、今日ここが空いていた、というのもあるんですが、じつは、君にはある容疑が掛かっているんですよ」
「なんだそりゃっ?!」
思わず、驚きの声を上げていた。
…そりゃ、驚くわな。身に覚えないし。
…って、もしかして、あれか? いや、まさかな。じゃあ、あれとか? う〜ん。ああ、あれってこともありうるか? もしくは、あれか?
目の前で、顎に手を当てて、あれこれ考え出したおれを見ながら、目の前の嫌味警視…じゃなかった、明智警視がワザとらしく溜息を吐く。
「なんだか君は、叩けばいっぱい埃が舞い上がりそうですね」
その言葉に、ちょっとばかりドキッとしたりして。
「そ…そんなことは…ないですよ?」
さらに、視線逸らしながら敬語使っちゃったりして。
余計怪しいって! おれ!
いや、でも、この机の前に座ってるだけで、容疑者な気分になってしまうところが恐ろしい。やましい埃が、一掃されそうな感じだ。うう、ぶるぶる。
でも、机に両肘を突いて、顔の前で軽く手を組んでおれを見つめる警視の瞳には、真剣な色が宿っていて、これが、決して性質の悪い冗談なんかではないことを物語る。
仕方なく、おれはスチール製の、あまり座り心地の良くない椅子にふんぞり返った。
何が訊きたいのかはわかんねーけど、この明智警視の様子だと、聞くまでは帰さないって感じだし。
「…冗談、でも無さそうだよな。ま、あんたが冗談でこんなとこ使うようなシャレの分かる男じゃないってのも、知ってるつもりだけどさ」
おれの言葉に、明智警視の意志の強そうな眉が、ぴくりと動いた。剣呑な雰囲気が漂う。
やば、もしかしておれ、地雷踏んだか? 
そう考えて、背中に冷や汗が浮いた。明智警視を怒らせたら、一体どんな嫌味攻撃をされるか、わかったもんじゃない。
けれど、おれの心配をよそに、明智さんは一見、普通に受け答えた。
「…一応、褒め言葉として、受け取っておきましょう」
そう言って、笑みの形に口元を歪めた明智警視の、けれどその眼だけが、冷ややかな光を湛えたまま、笑ってはいない。
凄絶な気配が、有無を言わさぬ迫力を持って、おれの目の前に突きつけられる。
まさしく、真犯人を前にした警視としての明智さんが、目の前には、いた。
おもわず、ごくりと生唾を飲み込んだ。
一体、この人はおれからなにを、訊き出したいのだろう…
少しばかり、嫌な予感がしていた。



08/05/17
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08/05/17UP
−新月−


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