A suspect





「で、おれから、なにを訊きたいわけ? ってか、おれ、何の容疑で呼ばれたんだ?」

結局、ぺろりとカツ丼を平らげたおれは、すっかり開き直った態度で、食後のお茶を啜りながら、明智さんの顔を真っ直ぐに見返していた。
だん!っと、男前にテーブル…じゃない、机の上に湯飲みを置く。
別に、おれにはやましいことなんか無い…とは言いがたいが、警視庁に捕まるほどの悪さはした覚えがない。変な勘ぐりなら、ここできっぱりと訂正しておいた方がいいに違いない。
そう、思っていた。
けれどすぐに、そう考えたことを後悔する羽目になるとは、このとき、分かってはいなかったんだ。

明智さんが、眼鏡をつっと中指と薬指とを使って押し上げた。
それは、とてつもなく自然な動きで、なんでもない動作で。
そのわずかな時間、色素の薄い瞳は、薄い瞼に閉じられていて。
そして今度は、芝居がかった動きでゆっくりと手が下ろされ、やがてその眼が開いたとき、突然、何かのスイッチが、明智さんの中で入ったように感じた。
奇妙に、今までとは違う、なにか。
ふっと過ぎる、嫌な予感。

「では、単刀直入に訊きます」
明智警視が、口を開く。けれどそれは、いつもと変わらない、とても静かな声。
なのに、高ぶる感情を押し殺しているような、そんな風に聞こえた気がした。
そして。
「君と高遠遥一とは、『どういう関係』なんですか?」
訊かれた内容は、異様に唐突なもの、だった。
「はあ?」
思わず、といった体で、おれは固まる。

なに言ってんの? この人? おれと高遠が、一体なんだって言うんだ??
というか…
いったい……この人は…なにを…知っているんだ…?

背中に冷たい汗が浮かぶのを感じながら、それでもおれは、そ知らぬ顔を続けた。けれど、聡い明智警視のことだ、そんなおれの内心の焦りなど、きっとわかっているんだろう。

「どういう関係って言われても…あいつは人殺しで、指名手配犯で、おれは…」
「そんなことが訊きたいわけではありません」
きっぱりとした口調で、明智警視がおれの言葉を遮る。
そして、真っ直ぐにおれを見つめながら、少しだけ眉を顰めた。
「昨夜、君の部屋の窓から、しかも真夜中過ぎに、…高遠が出てくるのを、この眼ではっきりと見ました」
「な…なんで…」
そんなトコに、あんたがいんだよ! しかも夜中に! 
とは、言えなかった。
高遠が昨夜、おれの部屋を訪れたのは、間違いのない事実だし。それに、どういう関係かと訊かれても、今のおれには答えようも…無い。
でも。
「なぜ私が夜中にそんなところにいたのかと、訊きたいようですね?」
まるでおれの考えを読んだかのようにそう言って、明智警視はレンズの向こうの眼を、微かに眇めた。おれは黙って、頷くしかなかった。
「通報があったんですよ」
明智警視の言葉は、警察が動くにはあまりにも当たり前すぎて、意外だった。
「通報?」
「ええ」
警視の話だと、こうだ。

おれの家の近所の、庭で犬を飼っている数件の家から、犬が何者かに薬を盛られているようだ、との通報があった。
その数件の家の主は皆、いつも早朝に犬を連れて散歩に出かける習慣なのだが、いつもなら主人が犬小屋に行くまでに起きて待っている犬が、なぜか起きて来ない。ゆすって起こそうとしても、起きない。そんな日が何度かあったために、心配した飼い主が病院に連れて行くと犬自身にどこも悪いところはなく、検査の結果、これはどうやら薬で眠らされた可能性が高いという事になり、通報に至ったのだという。そして、それらの飼い犬は、人の気配を感じるだけで吼えるという点だけが、共通していた。

でもそれって、どう考えても捜査一課の事件じゃないよな?
おれが、訊くと、
「ええ、違います。この話がわたしの耳に入ったのも、たまたまです」
と、きっぱりと仰る。
「じゃあ、なんで…」
言い募ろうとしたおれに、明智さんは断言した。
「この話を耳にしたとき、わたしは直感しました。高遠だろうと…」
そして、おれから視線を外すと、少し顔を上げて、鉄格子の嵌った窓から覗く空を眺めるように、遠い眼をした。
「通報があった地域は、決まった一方向だけではありませんでした。日によって、場所が違う。けれど一箇所だけ、すべてが重なるところがあったんです」
「それが、俺んちの近くってわけ…か」
おれがそう答えると、警視はふっと笑みを浮かべて、またおれに視線を戻した。
「そうです」
口元は笑っているのに、やっぱり笑ってはいない眼差し。
「ひとりで、張ってたのか?」
「確信はありましたが、証拠も何も無いのに勘だけで動けるほど、警察は暇じゃないんですよ」
言外に、きみとは違うのです、と言われてる気がするのは、おれの穿ちすぎ?
ってか、あんたが一番暇じゃないだろうがっ! というのは、あえて言わないでおいてやる。どうせこの人は、おれの身を心配して行動したに違いないんだ。
ったく、厭味なくせに、責任感だけは人一倍強いんだからな。
「でも、なんで高遠だと思ったわけ…?」
おれの問いに、一瞬、明智さんは口を噤んだ。そして、やけにゆっくりとした口調で、何かを確認するみたいに、話し始めた。
「あの男が…高遠が、君に異常な執着を持っていることは、気付いていましたから」
「…異常な、執着…」
その言葉をオウムみたいに繰り返しながら、おれは落着かない気分になる。
確かに、あれは、異常な執着に違いない…
そんなおれを知ってか知らずか、明智警視はまた、ふーっとわざとらしい溜息を吐くと、ようやく本題に入る決意を固めたとばかりに、軽く右手の中指で眼鏡を押し上げる動作をした。

「じつは昨夜、君の部屋から出てきた高遠と、少しばかりにらみ合いになりましてね。その時、言われたんですよ」
「えっ…なんて?」
考える前に、口が動いていた。
どうしてだか、あいつがなんて言ったのか、聞いてみたいと思ったんだ。なぜかその時、目の前の明智さんが、一瞬、苦しげに眉を寄せたように見えたけど、でも、それは気のせいだったかもしれない。
一呼吸置いて、警視は言った。
「…知ってました? 金田一君のくちびるは、とても柔らかくて、甘いんですよ?」
わざと、高遠の口調を真似るように。
「…これをわたしは、どう解釈すればいいんでしょうね?」
明智さんが、厳しげな眼差しでおれを見据える。おれは何も言えずに、再び固まるしかなかった。

あいつは…いったい、なにを…考えているんだ!?

怒りなのか何なのか、よくわからない複雑な感情が、おれの中に沸き起こる。けれどなぜか、憎い、とは思えなかった。
あんな男に、キスを奪われたのに。
しかも、あんなにディープなキスまで…昨夜は、起きてるときにまで…されて…

こんな場所で、しかも明智さんの前だというのに、おれは思い出してしまっていた。
あの、くちびるの感触を。与えられた、熱を。
そして、耳元で囁いた、あの男の声を。
『…わたしは…きみが、好きです…』
そう告白した、あの男の…

咄嗟に口元を押さえて、明智さんから顔を隠すように、俯いた。
自分でも、不自然なことをしているのはわかっていた。でも、紅くなっている顔を、見られたくは無かったんだ。

いったい、どうしちゃったんだ、おれ。
美雪のこと考えてるときにだって、こんな風になったこと無いのに。男にされたキスを思い出して、照れるなんて。
もっと、こう…気持ち悪いとか、思わないのかよ!
ましてや、思い出しただけで、身体の奥が…疼くなんて…
絶対、変だ! こんなの、ありえねえっ!!
もしかして、また何か、寝てる間にされちゃったのか?!
そう考えて、ふと、高遠の言葉を思い出す。
『夢で暗示を掛けて、好きになってもらおうと思った。…君の、心が欲しかった…』
あの男は、確か、そう言ったのでは無かったか?
では、おれのこの反応は、高遠がおれの無意識に植え付けたものなんじゃないのか?
それが果たして、可能なことなのかどうかはわからないけど、とにかく、おれの頭脳はそう警告している。
きっとこの答えは、どこかにあるに違いない、と。

なのに、思い出すのは、おれが泣いたときに見せた、高遠の切なげな顔ばかりで。
それ以上は、どうしても、頭が働かなかった。

「どうかしましたか?」
明智さんが、いやに固い声を出した。
おれの行動に、きっと大方の察しをつけたんだ。ってか、おれの態度がバレバレなだけなのか。
どうしよう、ヤバイよな? おれ、なにも言い逃れできないかもしんねえ。だって、突拍子も無い話だろ? あいつが夢を使って、おれを落とそうとしているんだ、なんて。
でもおかげで、おれの容疑ってのが何なのか、ようやく見えてきた。昂ぶっていた感情も、少しは落ち着いた。
俯けていた顔を上げると、おれは思い切って訊いてみた。
「なあ、明智さん。おれの容疑っての、もしかして『逃亡幇助罪』なわけ?」
「ご名答です」
「…やっぱり…」
「そう言うところを見ると、やはり心当たりがある、ということですか」
「そんなこと言われても、おれにも、答えようが…無くってさ」
天を仰いで、溜息を吐くしか無かった。
「じゃあ、ひとつだけ、正直に答えて欲しいんですが、宜しいですか?」
気がつくと、真剣な眼差しが、おれに向けられている。
明智さんらしくない、その、あまりにも必死な雰囲気が、ちょっと不思議な気がして。
「…質問にもよるけど…いいよ、べつに…」
そう答えていた。妙に喉が渇いて、冷めたお茶に手を伸ばしながら。

「では訊きますが、高遠とは『どこまでの関係』なんですか?」
すごい直球来た〜〜〜〜っ!!!
と、思ったと同時に、見事に噴出してしまっていた。



08/05/24
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とりあえず、2アップです〜。

08/05/24UP
−竹流−


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