たとえば、こんな、物語(学園モノ)Ⅹ
「せん…せ…」
喘ぐように、はじめの唇から、高遠を呼ぶ声が零れ落ちる。
窓の外はすでに暗く、明かりを点けてはいない室内からは、星の瞬きすら見ることが出来た。
何ひとつ、悪いことなどしてはいないのだと主張するかのように、部屋のカーテンは開け放されたまま。クーラーの微かな稼動音が、部屋の中に満ちている。
「せんせ…」
はじめの声が、責めの色合いを増して、高遠を呼ぶ。
その言葉ごと、柔らかなくちびるを塞ぐためになのか、高遠のくちびるが、また重ねられた。
もう何度、重ねあったのか。何度、味わったのかわからないほどに、繰り返された口付け。生まれたままの姿で、互いのすべてを確かめ合いながら。
はじめの身体は、高遠の指が、くちびるが触れなかった場所は無いくらいに、探られていた。
その、しなやかな指で、形の良い薄いくちびるで、何度も愛されて。
なのに、高遠は決して、最後の一線を越えようとはしなかった。
重なっていた唇が離れると、はじめは荒く息をつきながら、それでも、言葉の続きを紡ぎだした。
「な…んで…これ以上…先へ進まないの?」
青白い月明かりの中でさえ、それとわかるほどに、熱に浮かされた眼差しを向けるはじめに、高遠はいとおしげに、何度もその頬を撫でさすりながら、柔らかな笑みを浮かべた。
「それがどういうことか、わかって言ってるんですか?」
穏やかに返される返事に、はじめは苛立ちにも似た感情を覚えてしまう。
なんだか自分が、酷く子ども扱いされている、気がして。
「男同士で、どうやってセックスするのかぐらいは、知ってるよ」
「おやおや、今どきの高校生は、そんなことまで知っているんですか?」
相変わらず、穏やかな物言いで高遠は返してくる。はじめが、何を望んでいるのかをわかっていながら。
「だから、せん…」
はじめの唇に、今度は人差し指を軽く押し当てて、高遠は続く言葉を遮った。
「きみは、やっぱりぼくのことを先生って呼ぶでしょう? じゃあ、教師の立場のぼくは、今のこの状態でも充分犯罪行為だと思うのに、これ以上は怖くてできませんよ」
言いながら、からかうような笑みを垣間見せる。
「でも! …でも先生、もうすぐ、どっかへ行っちゃうんだろ? おれの手の届かない所に、行っちゃうんだろ? だったら、ちゃんとした思い出が欲しいって思うのは、いけないことなのかよ?」
はじめの目に、また、涙が溢れ始める。それが零れ落ちてしまう前に、高遠は唇を寄せると、それを吸い取って。そしてそのまま、はじめの頭を自分の胸へと抱き寄せた。
「きみの気持ちはとても嬉しい。正直、ぼくもきみがすごく欲しい。でも、できない…」
「どうして…?」
間髪いれずに返されたはじめの言葉に、高遠は苦しげな表情を浮かべた。けれど、はじめは気付かない。高遠の腕の中に閉じ込められているから。
でも、それでよかった。辛い思いをはじめに悟られてはいけない。自分の愚かな劣情を、知られてはいけない。
だから高遠は、そのまま、静かな声で続けた。
「…とても、きみを大切に想っているから。だから、きみを傷つけるようなことは、したくない。きみの気持ちを疑ってるわけじゃないんですけど、でももし、ぼくと離れてからきみに好きな女性が現れたら、きみはきっと、ぼくとのことを後悔する日が来るでしょう」
「そんなこと、あるわけないだろ!」
自分を抱きしめていた身体を、両手で強く突っぱねながら、はじめはきつい眼差しを高遠に向けた。怒りを込めたその目には、やはり、涙を溜めている。
「せん…遥一さんは…おれの気持ちが、そんな程度の、中途半端なもんだと思ってるんだ! 子供だと思ってるんだ! おれが…おれが、どんな気持ちで…」
後は、声にならなかった。溢れ出した涙は止まることを知らぬ気に、次から次へと、眦を濡らしながら零れ始める。
「…はじめ…」
高遠が、また抱きしめようとすると、はじめは抗った。
「やだ! おれの気持ちなんか、ちっともわかってくれないくせに!」
けれど高遠は、そんなはじめをまたしても容易く腕の中に閉じ込めると、強くその身体を抱きしめた。
何かを、堪えているように、身体を強張らせながら。
「…そんな可愛いことを言われると、自制心が利かなくなりそうですよ。……でも、これ以上は…わかってください、はじめ…ぼくは、きみを…愛しているんです」
「せんせ…」
「本当は、きみを誰にも渡したくない。今すぐ自分のものにして、きみを連れ去ってしまいたい。誰の目にも触れず、誰の手も届かない所へ」
「…じゃあ…なんで…」
「きみにはまだ、わからないでしょうね。そんなのは愛じゃないんですよ。それは、自分の欲望でしかない。相手を愛するという気持ちは、そんな簡単なものじゃない。ぼくは…きみが幸せでいてくれさえすれば、それでいいんです…」
「じゃあ、なんで抱いてくれないの? おれは、それを望んでるのに…」
「今はきみが、熱に浮かされているだけの状態だから…かな?」
こんなことまでしておいて、偉そうなことは言えませんけどね…
そう言って、高遠は苦笑を浮かべた。
とても、幸せそうに。そして、哀しそうに。
それでも、そんな高遠も、とても綺麗で。
本当に好きだと、はじめは何度も、高遠の腕の中で繰り返した。
ありがとう、とても嬉しいですよ、と、高遠は言いながら、けれど、やっぱり最後の一線を越えることは、なかった。
それが、高遠との、最初で最後の、逢瀬。
数日後、高遠ははじめの夏休みを待たずして、日本を発った。
高遠が日本を離れる日、空港の傍から、高遠の乗った飛行機が飛び立つのを、はじめはずっと見送っていた。誰にも気付かれないように、誰にも知られないように。
それは、高遠自身にすら。
飛び立った機体が、遠くなって見えなくなっても、はじめはいつまでもそこを動けないでいた。
胸の奥が、引き千切れそうなくらい、痛くて、苦しくて、涙が止まらない。
身体が震えて、その場所に座り込んだまま、立ち上がることすら、できなかった。
誰に、わかると言うのだろう。
愛されているのに、受け入れられもせず、ひとり取り残される、孤独を。
好きで、好きで、仕方がなくて。
なのに高遠は、連絡先すら、教えてはくれなかったのだ。
もう、逢えない。
声も、聞けない。
絶望にも似た暗い闇が、背中を捉えて離れてくれない。
怒りにも似た思いを抱えて、心の中で、高遠をずっと責め続けて。
自分の寂しさにばかり気を取られ、つらいと、悲しいと、思うばかりの毎日が続いていた。
この年の夏休みを、どうやって過ごしたのか、はじめは記憶に止めてはいない。
ただ、いつもは留守がちの両親が、笑わなくなったはじめのことを酷く心配して、わざわざ長期の休みを取ってまで家にいてくれていたことだけが、妙に印象深く残っている。
そしてそのことは、はじめが立ち直ろうとするきっかけに、大きく関係していた。
いざというときには自分を優先してくれるのだと、確かに両親は、ずっと自分を愛してくれていたのだと、はじめは今更ながらに気がついたのだ。
辛いとき、自分を愛してくれている誰かが傍にいると言う事は、どれだけ心の支えになるだろう。
ひとりではないのだと。
自分は、望まれて存在しているのだと……。
夏が終わる頃、はじめは俯けていた顔を、ようやく上げた。
高遠と、まったく会えなくなって。
遠く離れて、連絡すらできなくなって、時間が経って。
どんなに恨んでも、ずっと好きだと、会いたいと思う気持ちを、止められなかった。
あの日、触れた素肌の感触も、どうにかなってしまいそうなほどに、あの人を欲しいと思った気持ちも忘れられないまま、見えない想いだけが、確かに募っていた。
そこにはただ、純粋なまでに高遠を求める気持ちだけがあった。
だから、はじめは決めた。
今は、何の迷いも無い。
あの日、高遠は言ったのだ。
「ぼくのことを、ずっと忘れないでいてくれたら、ずっと好きでいてくれたなら、きみがぼくの所へ来てください。うんと勉強をして、ぼくのいる大学へ留学して来てください。そうしたらそのとき、すべてをはじめましょう」
「んなの無理だよ! 先生の行く大学って、めちゃくちゃレベル高いじゃん!」
「何を言ってるんですか、きみはIQが180もあるんでしょう? 本気で勉強すれば楽勝ですよ。それとも、ぼくのためにじゃあ、そんなに頑張れない?」
そう言う高遠に、そのときは何も返事ができなかった、自分。
だから、高遠が今も待っていてくれるのかどうか、連絡の取れないはじめには、わからない。
けれど、それでも構わなかった。
あの人の傍に行きたい。
自分の、その想いだけで充分な気がしていた。
本物の愛が、どんなものなのかなど、はじめはまだ知らない。
ただ、後悔だけはしたくなかった。
この想いの果てにあるものを確かめなければ、きっと先へは進めない。
そんな気が、していた。
「待っててくれるよね…せんせい…」
見上げる空は、どんなに離れていても、確かに、あの人に繋がっているはず。
高遠と過ごしたあの日とは違う風に吹かれながら、遠い空の下にいる人を想う。
「ずっと、好きだよ…」
思い出すだけで、涙が零れてしまうほど。
頑張るから。おれ、絶対、先生の傍に行くから…
今まで知った、どんな感情よりも強い意志を持って。
はじめは、自ら一歩を、踏み出した。
そうして年が変わって。
今年、はじめは、高遠のいる大学を受験するための準備を進めている。
もう一度、ふたりが出会って。
本当の物語がはじまるのは、まだ少し、先のお話…
06/01/0? 了
06/06/15 改定
10/09/17 再改定
BACK
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ようやく、完結でございます~v
ああ、「絵日記100枚目記念」で書き始めたお話だったんですよね。長かったなあ。
いや、一月には書き終わってたんですけどね(笑)。
でも何日に日記にアップしたのか、覚えてないや。あの頃も、ばたばたしてたから。
少しだけ書き足しましたが、殆ど変わっていません。
大体、向うの大学を受験するのって、どうなんだかさっぱりわかんないし。
…少しぐらい、調べて書けばいいのに、自分ってやつは… まあ、こんなヤツ(笑)。
このお話に、最後までお付き合いくださった方に、感謝v
06/06/15UP
再UP 14/08/29
-竹流-
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