たとえば、こんな、物語(学園モノ)Ⅸ
「え~と、とり合えず、紅茶でいいですか?」
高遠の顔も見ずに、はじめは黙ったまま、頷いていた。
「散らかってますけど、その辺に適当に座っててください」
また、はじめは、黙ったまま頷いた。ふっと、高遠が笑った気配があった。
はじめは、今、高遠の部屋に来ている。
マンションの前で、偶然、買い物帰りの高遠と鉢合わせして、逃げ帰るというわけにもいかず、こうしてついて来たという訳だ。けれど、この部屋に来るまでの間、互いに一言も話さず顔も合わせず、非常に気まずい空気を漂わせていた。
この前、はじめがこの部屋に来てからそんなに経っていないというのに、高遠の部屋には沢山のダンボールが積まれ、荷物が片付けられている。
引っ越すというのが一目でわかる有様に、はじめの胸が、なぜだか、ぎゅっと苦しくなる。
寒いわけでも無いのに、身体が震えだしそうで、思わず両手で身体を抱きしめていた。
「どうしたんですか?! 金田一くん!」
紅茶を持って部屋に戻ってきた高遠が、身体を抱えるようにして座り込んでいるはじめを見て、慌てて傍に寄ってきた。持っていた盆を下ろすと、はじめに手を伸ばしてくる。
「また、熱でもあるんじゃ…」
そう言いながら、額に触れかけた手に、はじめは過剰に反応していたのかも知れない。
「な、なんでもないよ! 先生、心配しすぎだから!」
咄嗟に、高遠の手を払いのけてしまっていた。
一瞬、高遠の顔が悲しげに見えたのは、はじめの気のせい、だったのだろうか。
「それだけ元気があれば、大丈夫でしょう」
そう言うと、高遠は何事も無かったような顔をして、はじめの前に紅茶とお菓子を出してきた。
白い、何の飾り気も無いが、洗練されたと感じさせる滑らかなラインのカップ。それが、妙に高遠らしい気がして、はじめはそのカップに触れるのが、一瞬、躊躇われた。その中に充たされた透明な赤い液体の表面に映る自分の姿を眺めながら、それがなぜなのかと考えると、わからなくなる。
「で、今日はどうしたんですか? 何か用事があったんでしょう?」
高遠の言葉に、我に返る。
見ると、伺うような色を浮かべた高遠の眼差しが、自分を見つめていた。
高遠は言葉の裏に、そうでなければ来るはずが無いでしょう? と、含みを持たせた言い方をしていたのだけれど、はじめにそんなことが、わかるわけも無い。
「うん」
はじめは素直に頷くと、横に置いていた大きな包みを高遠に向かって差し出した。当然、眼に痛いほど派手なラッピングのままだ。
「…なんですか、それは…」
はじめが怪しげな包みを抱えていたのは知っていたものの、まさか、それが自分へ差し出されるとは思ってもみなかった、といった声で、高遠が訊ねてきた。
「…高遠先生ファンクラブの人たちからの…餞別だって…」
答え難そうに、はじめも返している。
「どうしてまた、きみが?」
「代表決めると、もめるからだって。なんでか、おれが持っていくのが一番いいってさ」
「そう…ですか。それは、わざわざすみません」
どこかに落胆した空気を孕ませた返事をしながらも、高遠は丁寧にそれを受け取ると、早速、巨大なリボンを解いて派手な包みを開けてみた。
すると、中から出てきたのは、お手製と思しき大きなクッション。
見た途端、高遠の表情は非常に微妙なものになっていた。
気持ちは嬉しいのだが、じつは結構、困る贈り物だったりもするのだ。お手製の、しかも生徒のプレゼントとなると、やはり捨てるに捨てられない。けれど、部屋に置いておくには乙女バリバリの色とデザイン。しかも悪いことに、これまた、かなりの大きさときている。
一緒に手紙も付いていたので、ため息交じりに、高遠はそれを開いた。
読む前に、ふと視線をテーブルの向うにやると、はじめが出されたお菓子を大人しく食べている。なんだか一生懸命で、まるで小さな子供のようだ。
それを見ながら、高遠の眼が柔らかく微笑んだのを、はじめは気付かない。
高遠は再び、手紙に視線を落とした。
『高遠先生へ わたしたちの大好きな先生。アメリカに行かれると聞いて、わたしたちはとてもショックでしたが、先生がご自分の夢を叶えられるのだからと、寂しいですが、みんなで先生の応援をすることにしました。向うへ行っても頑張ってくださいねv このクッションは、みんなで一針ずつ、想いを込めて縫い上げたものです。どうか受け取ってくださいv オプションとして金田一を付けます。たとえ禁断の愛でも、頑張って貫いてくださいねvv』
高遠は、眩暈を起こしそうになった。
―一体、何なんでしょうね? これはもしかして…金田一くんもプレゼント…なんでしょうか? 今どきの女子高生の考えることは、わかりませんねえ…
高遠は、頭を捻った。
はっきり言って、はじめだけなら嬉しいのだが、…お手製のクッション、しかも全員で一針ずつ縫ったというのは、どうにも…
「まさか…髪の毛…とか……入ってないですよね?」
もらい物に対して非常に失礼なのだが、執念がこもってそうで、微妙に怖い気もするのだ。
「さあ? あいつらのやることは、おれにもよくわかんない……入ってるかも…」
言いながら、お互いに『こんなの持ってても、ほんとに大丈夫なのか?』な視線を交わした。
しばしの沈黙。
そして、互いに、同時に噴出した。
なんだかおかしくて、ひとしきり笑い合って、そして、
「またきみと、こんな風に話せるとは、思ってもいませんでした」
何気なく、本当にただそう思ったことを、高遠は口にしていた。こうして、はじめとまた向かい合って笑える日が来るなどと、考えもしていなかったから。
けれどその途端、はじめの顔が瞬時に強張った。
だから、高遠はそれを勘違いしたのだ。
あの時の、自分のしたことを怖がっているのだと。
「ああ、心配しないでください。もう、きみにあんなことはしませんから…」
言ったと同時に、はじめの顔が、絶望したような表情を浮かべた。気がした。
「…金田一くん?」
「…やっぱり…先生は…本気じゃ………無かったんだ…」
急に立ち上がると、はじめは高遠に背を向けて玄関へといきなり走り出した。はじめの突然の行動に驚いた高遠は、わけのわからないまま反射的に追いかけていた。
はじめの言葉が何を意味しているのかなど、理解する間などなかった。けれど、今、はじめを捕まえておかなければ、後悔するような気がしていた。
「どうしたんですか? なぜ…」
玄関の扉の前で、ようやくはじめの手を捕まえて振り向かせた高遠は、そこで絶句した。
はじめは…泣いていたのだ。
「…なぜ…泣くんですか…」
高遠が、涙を拭おうと手を伸ばすと、乱暴にその手を払われる。
「触るな! 本気じゃないくせに! 大人なんて、みんな嘘つきだ!」
言いながら、はじめの眼からは、止めどなく涙が零れてゆく。
「なんで…なんで、キスなんかしたの? …なんで、好きだなんて…言ったの? …なんで、おれを置いて…どっかへ行っちゃうの…?」
俯いて、声を詰まらせながらそう言うはじめの足元に、拭われることのない涙が、はらはらと零れ落ちてゆく。
「…金田一くん…きみ…」
気が付くと、高遠は、はじめを抱きしめていた。
もう、押さえることなど、できなかった。
涙に濡れたまま、驚いた表情を浮かべているはじめのくちびるを、荒々しく、強引に奪う。
抗うはじめの身体から、完全に力が抜けて大人しくなってしまうまで、高遠は止めなかった。
はじめが立っていられなくなって、高遠にすがりつくようにして身体を震わせ始めるころ、ようやく、くちびるは離れた。
二人とも、息が上がっていた。
「…せん…せ…」
「遥一…ですよ。はじめ」
はじめの眼から、また、涙が溢れ出す。
「泣き虫なんですね…ぼくの本気を疑ったんですか? そんなこと、あるわけないのに…」
「でも…でも、せん…」
言いかけた言葉は、また、くちびるで塞がれた。
「遥一、です」
高遠の訂正が入る。
「…でも、悪いのは、ぼくの方…ですよね。きみがそんな気持ちでいてくれているなんて、思いもしないで、諦めようとしていましたから」
「…なん…で?」
「自信が…無かった……ぼくたちは同性で…だから、この想いが届くなんて考えもしなかった…なによりも…ぼくのせいで、きみを傷つけたく無かった…」
高遠は、また、はじめを抱きしめる自分の両腕に力を込めた。はじめの頭を抱え込んで、自分の顔が見えないようにして。
「だから、とても…うれしい」
その声は、震えていた。
微かな震えが、高遠の身体から、はじめに伝わってくる。
はじめは、自分も高遠の身体に腕を回すと、目を閉じて、そっと抱きしめた。
高遠の背中は、思ったよりも、ずっと広かった。
来る前はあんなに苦しかったのに、今は、幸せな気持ちで充たされている。
そして自分もまた、高遠に伝えなくてはならない言葉があることに、気が付いた。
高遠の胸に顔を埋めたまま、両手に力を込めると、はじめは勇気を振り絞るかのように、言った。
「おれも、先生が、好きだよ」
高遠は、何も答えずに、ただ、はじめを抱きしめていた。
窓の外では、夕陽が空を、まるで燃えるような紅に、染め上げていた。
06/06/10 改定
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こんなものでしょうか?
殆ど変わっていませんが、少しだけ書き足しました。
このシリーズも、ようやく次で完結です。
最後まで、楽しんでいただけたらよいのですけど。
06/06/10UP
再UP 14/08/29
-竹流-
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