たとえば、こんな、物語(学園モノ)Ⅷ





「…えっ?」

はじめは困ったような表情を浮かべると、目の前で腕を組みながら仁王立ちしているクラスの女子生徒たちを、椅子に座ったまま、呆然と見上げていた。
高遠が学校を辞めるという噂は、あっという間に広まっていた。
あの噂のあった次の日から、高遠は学校へ来なくなり、今現在、高遠の授業は代理の教師が受け持っている。
そのせいもあってか、噂は明らかな現実として受け止められていた。

「高遠先生、やめちゃうんでしょ? あんた、寂しくないの?」

はじめの目の前の女子生徒たちは、今にも泣きそうな顔をして、はじめをその机ごと取り囲みながら詰め寄っていたのだ。

「あ、あたしたち、あんたと先生の噂聞いたときはショックだったけど、でも、ヘンな女に先生を取られるくらいなら、あんたの方がまだマシかなって、みんなで二人を応援することに決めたのに…」

ひとりが、耐え切れないとばかりにそう言い出すと、後は止まらなかった。

「なんで、あんただけ、学校に来てんのよ!」
「最後まで、愛を貫きなさいよね!」
「当然、追いかけるんでしょう?!」
一度に、あちらこちらから同じような言葉が浴びせかけられる。

「いや…でも、おれと高遠先生は…そんなんじゃ…」
はじめは、困りきっていた。

そう、高遠が学校に来なくなってから、今度は、別の噂が流れた。
高遠は、じつはアメリカの大学に留学するために、学校を辞めるらしいというのだ。
以前、生物学の専門誌に出した論文が高い評価を受け、あちらの大学から研究員として来ないかと、オファーが来たらしい。
事実、高遠はそのための準備を始めている、というのが今度の噂。
だが今度のは、どうやら噂だけ、というわけでは無さそうなのが、さらに話を熱くさせていた。
そのおかげで、はじめの噂のことはすぐに忘れ去られてしまったのだが、しかし、一部の女子生徒たちは納得してなかったようである。

「なに言ってんのよ! あんたがしっかり先生を捕まえとかないから、こんなことになるんでしょう!」

彼女たちの頭の中では、すでに、なにやら複雑で怪しげな話が進行しているようだ。はじめは、ただ、たじたじと圧倒されるしかない。
と、突然、目の前に大きな包みを、デンと置かれた。
派手なラッピングも眼に痛い、これがプレゼントでなくて何なんだというほどの、巨大なリボンを掛けられた代物だ。

なんですか、これは?

はじめが怯えた眼差しで訴えると、憮然とした顔で、彼女たちのリーダー格と思しき恰幅の良い、やたら迫力のある女子生徒が口を開いた。

「先生、もう、学校に来ないかもしれないって言うから…みんなからの餞別、あんたが先生の所に持ってって」

命令ですか…

しかも、さすがにリーダーだ、声にもそれなりの迫力と説得力がある。
はじめは、すでに自分が負けていることを感じながら、それでも、この派手な包みを持って歩くことを考えると、食い下がらずにはいられない。
しかも、高遠のところへ持って行けというのは…勘弁して欲しい。

「…おれ、先生とはそんなに親しくも無いんだけど…」
「みんなで行っても迷惑でしょう? 誰かが代表でって言うのも揉めそうだし…だから、あんたが持って行ってくれるのが一番いいの」

お願いします。

と、思いもよらず全員に深々と頭を下げられて、はじめは、それ以上、何も言えなくなってしまった。中には、泣いている女子生徒もいる。
本当なら、自分たちで持って行って、高遠に最後の別れをしたいところなのだろう。でも、そんなことをすればこの人数だ、高遠に迷惑が掛かるのは、確かに目に見えている。
彼女たちは彼女たちなりに真剣なのだということが、胸に痛いほどわかる気がして、邪険に断ることは、どうにも憚られた。
しかし、はじめにとっても、今、自分が高遠に会いに行くのは物凄くまずい気がするし、何より行き辛いのだ。
などと悩んでいる間にも、女子生徒たちは「お願いお願い」と、にじり寄ってくる。
どうすればこの現状から逃れられるのか。
追い詰められつつあるはじめは、救いを求めるように他の生徒の姿を探してみたけれど、教室内の男子生徒たちは、離れた場所から恐ろしそうに視線をちらちらと送ってくるばかりで、誰も助けには来てくれない。

『君子危うきに近寄らず』

…って言うか、怖いからおれたちを巻き込むなっ!
そんな、男子生徒たちの心の声が聞こえてきそうな雰囲気が、無情にも教室内には漂っていた。

結局、はじめがこの派手な包装の荷物を、持っていくことになってしまったらしい。

おれは、宅配の人かよ…

そうは思ったけれど、すでに、嫌だといえる状況では無かった。
「ゴメン、やっぱり無理」
などと言おうものなら、何をされるかわからないんですけど…的な危機感さえ、ひしひしと肌に感じる。蛇に睨まれたカエルの気分とは、まさにこのことだと、はじめは心底実感していた。
自分の、相手の押しに弱い体質が、この時ほど恨めしいと思ったことはない。
重いため息が、はじめのくちびるから零れ落ちていた。



大きな包みを抱えたまま、はじめは、何度目かのため息を吐いていた。
高遠の、マンションの前である。
以前、熱を出したときに高遠に連れて来てもらっただけだったから、うろ覚えでかなり不安だったのだが、なんとか迷子にもならずに辿りつけてひと安心…という気持ちには、やはりなれない。
ここへ来るまでも、人々の奇異な眼差しに堪え続け、神経をかなりすり減らしている。ひとえに、眼に痛いほどの派手な包装のせいだ。
恨めしいかな、高遠ファンクラブのお方たち。
でも絶対に、文句を言うなんて怖ろしい事は、できそうにない。
…って、問題は、そこじゃなかった。
いま、目の前にある問題は、やはり、高遠に会うということだ。

一体どんな顔をして、会いに行けばいいというのか…
再び、はじめの口からは、重いため息が吐き出される。

高遠はあの日、保健室で告白をしてから、その後は一度もそのことに触れなかった。
はじめ自身、あの時は体調も悪くて、どう答えればいいのかわからなくて、混乱していて。
でも、嫌なわけではなかった。
高遠に抱きしめられて、くちづけられて、愛を、囁かれて。

なのに、ちょっと噂が流れただけで、高遠ははじめを置いて何処かへ行ってしまうという。
本気では無かった、ということなのだろう。

「大人なんて、みんな、嘘つきだ…」

もう、なにも、信じない。
そう、思うのに。
あの時の、高遠の眼差しを思い出すと、胸の奥が痛くなる。
ひとりになると、涙が、零れてしまう。
本当は、自分でもどうしようも無いくらい、高遠のことを思うと苦しくなってしまうのだ。
こんな感情なんて、いらないのに。

「みんな、嘘なんだから、忘れてしまえ」
「なにが、嘘なんですか?」

はじめの独り言に、唐突に返事が返されて、心臓が止まるかと思うくらい、驚いた。
…聞き覚えの、ある声で…

「金田一くん、どうしたんですか? こんな所で…」

振り返ると、高遠が驚いた表情を浮かべて、はじめの直ぐ後ろに立っていた。



06/06/05 改定
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少しだけ、書き足したのですけど、高遠くんが殆ど出てこない、第八話。
なんだか、寂しい…
その分、学校の女子生徒が、やたら、出張っております(笑)。
なかなか進展しませんが、もう少し、焦れてやってくださいねv

06/06/05UP
再UP 14/08/29
-竹流-

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