BIRD CAGE Ⅲ





気がつくと朝だった。
それも、昨夜通された客間のベッドの上。
「えっ、あれ、夢?」
あんなリアルな…まだ、首を絞められた感覚さえ残っている気がするのに。
首をひねったが、しかし夢としか考えられない。どこも燃えている様子はないし、自分が起きた形跡も無い。
「夢かよ~、ったく、やな夢見たなー」
若者は寝転がったまま、うーんと伸びをした。そうしてから、ぼんやりとベッドの天蓋を見つめた。夢の残骸が脳裏を 掠める。
本当にリアルな恐ろしい夢だった。この屋敷の雰囲気が、あんな夢を見せたのだろうか。

「ま、夢でよかった」
…じゃなければ…今頃死んでいた…
ぞっとしない面持ちで、ふと低いチェストの上を見ると、いつの間に置かれたものか自分の荷物が乾かされて、一式き ちんと揃えられている。
こんなに親切な人が、あんなことをするわけが無い。ただの夢だ。そう自分に言い聞かせると、どこかしら不安がって いる自分をいさめるように、若者はベッドから起き上がった。

着替えて階下に下りてゆくと足音に気づいたのか、昨日、夕食を食べさせてもらった食堂から声を掛けられた。
昨日の彼とは違う、もっと若い少年の声。雨は上がっているようだから、早くに来た使用人さんだろうか。

ドアを開けて中に入ると、高校生くらいの少年が窓辺に佇んでいた。身に着けている上等そうな服装からすると、使用 人ではなさそうだ。
「おはよう、昨日の夜来た旅人さんだね?」
彼は若者の姿を見るなり、人懐っこそうに笑いながら話しかけてくる。
「トーストと目玉焼きくらいしかオレ出来ないけど、食べてってよ」
「えーと、きみは?」
「ん? オレ? オレは、はじめ」
言いながらキッチンに入ってゆく。

えっと、今の男の子が、昨夜の彼が言っていた、弟君かな? 体が弱くて寝込んでいると聞いていたけど、今見る限り じゃあ元気そうだ。
なんてことを、若者がぼんやりと考えていると、じきにはじめ君は食事を持ってやってきた。
「こんなのしか出来なくて、ごめんね。オレ、不器用だから」
「あ、いや、こちらこそ色々とお世話になってしまって」
「こっちこそ、なんか迷惑かけたんじゃないかなって、気になってたんだ」
「えっ?」
「昨夜、変な夢を見たでしょう」
その言葉に、うんうんと頷く。同時に、どうして知っているのかと尋ねたら、はじめ君は申し訳なさそうな顔をした。
「うちに来る人、みんなそうなんだ。怖い夢を見るって。それに…」
「えっ、何? 夢の他にもまだ何かあんの?」
目玉焼きにかぶりつきながら、若者は普通に喋っていた。年下だと思うと、口調は自然とため口になってしまうようだ 。
「うん。昨夜、遥一兄さんに会った?」
「ああ、うん。綺麗な人だよね。遥一さんっていうんだ。そういえば彼は? 今日は見ないね。まだ寝てるの?」
それを聞いたはじめ君の顔が、やっぱりといった風に僅かに翳る。
あれ? 俺、何かまずいことでも訊いたかしらん?
と思っていると、はじめ君は妙なことを言い出した。
「実は兄さんは、数年前に亡くなっているんだ」
「えっ?」
もう、今朝何度目の「えっ?」だろう。しかも、かなり素っ頓狂な声が、自分の口からは出てたと思う。
でも…
昨日の彼が、実は死んでる人? んな、バカな。

「昨日みたいなさ、酷い雨の日にはよく出てくるんだって。しかもオレの知らないうちに。そしてあなたみたいな客人 を招くんだ。でも本当に兄さんは、父さんと喧嘩して、昨日みたいな雨の中、もみ合って二人とも海に落ちたんだよ」
ほら、そこの崖から。と、窓の外に見える崖を彼は指差した。
「でも、オレの前にはちっとも現れてくれないんだ。オレ、遥一兄さんのこと大好きだったのに…」
そうして、はじめ君は、昨日の雨が嘘のように晴れ上がった空を窓越しに見上げた。

この少年に担がれているのではと疑いながらも、若者は寒気がして止まらなかった。
本当に、昨夜のあの美貌の彼は、生きた人ではなかったのだろうか。あんなにはっきりと、会話もしたというのに。
また、夢の断片が脳裏を過ぎる。
父親と思しき人と争っていた、彼の姿が。

はじめ君は、昨日の夜も見た空の鳥かごに顔を寄せると、悲しげに呟く。
「オレは、逢いたいのに…」
「はじめ君…」
怖くはないのかい? とは、とても訊けなかった。
こんな寂しげな屋敷にいたら、たとえ死んでいても、肉親に会いたいと思うのは仕方の無いことかもしれない。
でも本当のところは、単にこの少年の性質の悪い冗談なのだろう。
そうでなければ、色々とありえなさ過ぎる。
と、そこまで考えて、若者はあれ?と思った。
昨日見た鳥かごは、確か銀色だと思ったのに、今見ると…金色だ。


若者は、また旅を続けるべく、早々に屋敷を辞することにした。嘘だと思いながらも、実はちょっと怖かったのもある 。 なんとなく、崖の方は…極力見ないようにした。

「気をつけてね」
ドアまで見送りに来てくれたはじめ君に、ふと思い立って訊いてみた。
「じゃあ、きみは今、誰とここに住んでいるんだい?」
「一人だよ」
「ええっ、マジで!」
「使用人さんも毎日通ってきてくれてるから、一人でも大丈夫だよ。もう慣れてるしね」
明るく笑いながら、はじめ君は手を振って送り出してくれる。
「元気でね!」
自分もはじめ君に手を振り返して、そして、歩き出した。

やっぱり、昨夜の彼のことははじめ君の冗談なのだ。そう確信していた。
そうでなければ、こんな屋敷に一人で住んでいて、あんな風に明るく笑えはしないだろう。それに、彼のように親切に 人の世話をしてくれる幽霊なんて、今まで聞いた事も無い。

考えると、可笑しくなってくる。
きっと寂しいから、客人が来ると、ああやってからかって楽しんでいるのだ、はじめ君は。もしかすると、昨日の彼も 共謀して二人で。
はじめ君の、人懐っこそうな笑みを思い出す。

「もっと話してから、出て来てもよかったかな?」
急ぐ旅でもないし…
寂しい海辺の館、はじめ君くらいの年齢なら、もっと色んな人と関わりたいだろうに。
ふと、またここに来ようと思った。今度会ったら、昨夜の彼に礼も言いたい。

昨日の雨が嘘のように、綺麗に晴れ渡った空が眩しかった。
絶好の旅日和だ。



それがほんの3時間ほど前のこと。
ようやく小さな町に辿り着いて、おれは民家の軒先を借りて一息ついていた。
「兄ちゃん、旅人さんかい?」
民家のおばあちゃんが、茶を入れて声を掛けてくれる。こういうのがあるから、旅が止められないんだなあ、なんて思 いながら、礼を言って茶を受け取る。
「昨日はすごい雨じゃったじゃろ? 大丈夫じゃったんか?」
ばあちゃんが心配そうに訊いてくれるものだから、若者は正直に、海辺の崖の上のお屋敷に泊めてもらって助かったん だと話した。すると、ばあちゃんは奇妙な顔をした。
「そげな所にお屋敷なんぞ無かよ?」
「え、でも、俺そこで泊めてもらったから風邪も引かずに済んだんだけど」
ばあちゃん、ちょっとボケてんのかな? なんて失礼なことを考えながら話していると、近所の人も自分のことが物珍 しいのか寄ってきて、話に加わってきた。

とりあえず、彼らの話をまとめるとこうだ。

確かにずっと昔、そこに金持ちの大きなお屋敷はあったのだが、火事が出て三人の焼死体が出た。それ以来、そこには 焼け跡しか残っていないはずだということだった。しかもそれらは戦前の、ばあちゃんたちがまだ小さな子供のときの 事件で、場所が場所だけに、今も手付かずのままなのでは…と言う。
「…う…そだろ…」
ばあちゃんたちに礼を言うと、若者は今来た道を急いで引き返した。どうしても確かめたかったのだ。

昨夜の彼の姿が、くっきりと脳裏に浮かぶ。そして、はじめ君の屈託の無い笑顔が。
とても信じられなかった。

そして再び、若者は海辺の崖の上にやって来た。
朝には無かった気がする、鬱蒼と生い茂った雑草を踏みしめて、ようやくその場所に辿り着いた。
崖にぶつかっては砕ける波の音が、やけに耳に響く。
さんざめいて引いてゆく波の音すら、聞こえてくるようだった。

見た瞬間には、声もなかった。
そこには相当に大きかったであろう建物の残骸しか、残ってはいなかったのだ。
昨夜は確かに、綺麗な男の人に逢った。そして朝には、はじめ君に逢った。
間違いなく、そこに屋敷は存在していた…はず。

力が抜けて、ぺたりとその場に座り込んで、彼らのことを思い出していた。
なんら、普通の人と変わらない人たちだった。自分は十分すぎるほどの世話を受けた。一緒に話もした。そのはずが…

「…うそだろう…こんなことって…」
ぼんやりと目の前に広がる、廃墟とも言えないほどに荒れ果てた、ほぼ土台しか残ってはいない雑草だらけの古い無残 な残骸を見ていると、再び、昨夜の夢を思い出した。
燃え始めていた絨毯。美貌の彼が、自らの父親らしき人を殺して、それから、自分のことを「はじめ」と呼んで首を絞 めた夢。

夢だったのか? 本当に?
あれは夢ではなく、はじめ君が最後に体験した「記憶」ではなかったのか?
それを自分が追体験した…

3人の焼死体、全焼して残骸に成り果てた屋敷。
奇妙に符号は成り立つ。

記憶の中にある立派な屋敷の中に、意味もなく存在した空っぽの鳥かごが何故か印象的に浮かぶ。銀色に輝いていた綺 麗な丸い鳥かご。そして朝に見た、同じ形の金色の鳥かご。
「この屋敷は、この鳥かごと一緒です…」昨夜の彼の声がよみがえる。
ここは本当に鳥かごで、今もなお、彼らはここから出られない籠の鳥なのだろうか。
あの人懐っこい笑みの、屈託の無さそうな少年でさえも、捕らえられたまま。

何の呪いか、銀色と金色、別々の鳥かごに捕らえられ、逢いたい相手には逢えないようになっている、いたずらで残酷 な鳥かご。
はじめがいなければ生きてゆけないとさえ言っていた彼と、大好きな兄さんに逢いたいと言っていたはじめ君。
あれは、本当のことだったのか?
一人で住んでいると言っていたはじめ君の言葉は、間違ってはいなかったのか?

二人のことを思うと、胸が痛かった。
でも、自分にはどうしてやることも出来ない。

もしかすると、あの空っぽの鳥かごを開けてしまえばよかったのでは?
だからこそ、客人を招くのでは?
そうすれば、もしかして彼らは…

でも、もう、今更わからない。
すべては仮定でしかない。

若者はその場で手を合わせると、世話になった礼を言って立ち上がった。
また、旅を続けるために。
自由にどこにでも行けるということが、どれだけありがたく幸福なことなのか。

屋敷跡に背を向けると、若者は一度も振り返らずに歩き出した。
そしていつの日にか、再び激しい雨の日に、もう一度この場所を歩こうかと、思った。

また逢えるだろうか、彼らに…



きっと、嵐のような激しい雨の日には現れるのだ。
すでに無いはずの屋敷が、美貌の主が。
時に、迷った旅人を招き入れながら。
そうして報われない夜を朝を、繰り返しているのだろう。

寂しい、鳥かごの中で。




14/08/28(木) 了
14/09/12(金) 改定
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7年ぶりに書き上げました!
ちょっとだけ最初に書いてたほうも書き直したりして。
しかも、結局主人公は、名無しの第三者のままになってしまったり。
時間経ちすぎちゃって、面白いのかどうかも、もうわからない…(涙)
しかも自分の中では、はじめと遥一兄ちゃんはデキてるんですが、そこまで表現ができなかった…(握り拳)
とりあえずは完結です。
長い間待っていてくれた方(が、まだいたらいいけど)
ありがとうございました。

14/10/11UP

-竹流-


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