BIRD CAGE Ⅱ
「申し訳ありません。使用人たちは通いで来ているものですから、酷い雨の日は誰もいないんですよ」
今日はこの程度のものしかなくて…
と、言いながらテーブルに出されたのは、こんな厚切りのハムステーキなんて見たことねえっ!ってくらいの代物だっ た。しかも、テリーヌやら何やらと、普段なら自分の口には決して入らないような前菜つきだ。
旅の間中、漬物とご飯だけでも、食べさせてもらえるだけで十分過ぎると思っていた自分には、涙が出るような高級品 ばかり。
さらには、真っ白なテーブルクロスが掛かった、映画でしか見たことの無いような長いテーブルに燭台という、物凄く 雰囲気のある中での食事。自分的に、ありえないことのオンパレードといっても過言ではないだろう。>
-神様、貧乏旅を続けていても、ご褒美をいただけることがあるのですね!
若者が内心、神に感謝を捧げていると、何でもないことのように、若き美貌の主は言った。
「お口に合えばいいのですが」
「こ、こんなにご馳走になっちゃって、本当にいいんですか?!」
若者が、裏返りそうな興奮気味の声で訊くと、
「お客様が何をおっしゃっているんですか、こちらこそ、簡単なものしかお出しできなくて恐縮ですよ」
などと、穏やかに微笑まれる。
ああ、神様。お金持ちって俺たちとは人種が違うんですね。と、若者が思ったのも無理はないだろう。
若者は、ふと、食事が出されているのが、自分の前だけだと言うことに気がついた。
「あの…おれだけ食べていいんですか?」
疑問を口に出してみれば、ああ、という顔をして、
「ぼくはもうさっき食べてしまったので」
お気になさらずに、どうぞお召し上がりくださいと穏やかに微笑み、そして若者の目の前の席に座ると、手を組んで興 味深げに自分を見てきた。
やっぱり彼の眼は、ローソクに照らされているとはいえ、金色に近い虹彩を持っているように見える。まるで、猫の目 のようだ。などと考えて、一瞬、ぼけっと彼の顔を見てしまっていたのだろう。
「あ、ぼくがいるとゆっくりお食事ができませんか?」
彼が立ち上がろうとするのを「そんなことないですよ!」と慌てて若者は引き止めた。
すると、
「いいんですか?」
と、彼は少し嬉しそうに、再び席に就いた。なんでも、こんな辺鄙な場所だから、なかなか客などは来なくて寂しいら しい。彼は若者の旅の話を聞きたがった。
金持ちって、もっととっつきの悪い人間ばっかりなのかと若者は思っていたが、それは偏見と言うものだったのだろう 。意外とこの美形は、外見とは違って話しやすい人だった。若者の貧乏旅行の話を、時折相槌を打ちながら、楽しそう に聞いてくれる。
ヒッチハイクで車に乗せてもらえたはいいけど、相手はゲイの人だったらしく、やたらと身体を触られて困った話やら 、耳の遠いおばあちゃんに、出家した人と間違われて、お布施をもらった話やら、と、若者が夢中でいくつかのエピソ ードを話し終わると、彼はぽつりと呟いた。
「うらやましいですねえ」
「?うらやましい? おれが?? こんな豪華なお屋敷に住んでらっしゃるのに?」
「ええ、ぼくたちは、ずっとここから出られないんですよ」
「ぼくたちっていうと、やっぱり誰か他にもいらっしゃるんですか?」
若者が訊くと、彼はこくりと頷いた。
「身体の弱い弟が一人、ここで一緒に暮らしています。長く寝込んでいるものですから、ご挨拶もさせずに申し訳ない のですが…」
「ご挨拶なんてとんでもない! でも、やっぱり弟さんがいるんだ。一人でこんな所にいたら寂しいですもんね。今、 俺が着ている服もその弟さんのものですか?」
「ええ、丁度サイズも同じくらいで、よかったです。着ていらした服はびしょ濡れでしたから」
にっこりと微笑む彼は、やっぱり男の自分が見ても綺麗で、ついつい見惚れてしまいそうだ。
「でも、弟もぼくも、ここから出ては行けないんです。家に事情があって…」
そう言うと、組んだ手に顎を乗せながら、訳ありげに視線を下げ、それから彼は、ふと視線を窓際に逸らした。
若者も習ってそちらに目をやると、丸い鳥かごがそこにはあった。
今まで気がつかなかったが、綺麗な銀色の、でも中にはなぜか何も入っていない、空っぽの鳥かごがそこには吊り下げ られている。
「この屋敷は、この鳥かごと一緒です。ぼくたちには何の自由も無い」
ため息混じりに、彼は呟く。その声に、諦めのような雰囲気を感じて、一瞬、若者は言葉に詰まった。
この美しい彼は一体何者で、どうしてこんな辺鄙な所で暮らしているのかと、その時初めて疑問に思ったのだ。
雨宿りさせてもらえてラッキーvとばかり考えていて、今の今まで何も感じてなどいなかった。
しかし、考えてみればおかしな話だ。こんな若くて美しい普通に教養もありそうな人物が、人里はなれた辺鄙な場所に 、まるで隔離でもされるみたいに住んでいること自体が。
「鳥かご…ですか?」
若者が、そう口にすると。
問われてハッとしたように、彼は顔をこちらに向けると黙ったまま穏やかに微笑した。でも、その笑みは作り物だと若 者は気づいた。それ以上訊くなと、拒絶されているのだと。
恐らく、無理に彼と彼の弟はここに住まわされているのだ。こんな人気の無い寂しい場所に。
きっと人には話せない、複雑なお家事情でもあるのだろうが、それは幽閉にも近いことではないのか?
こんな現代にも、色んなことがあるもんだ。
などと考えながらも、ぺろりと平らげた食事は、ありえないほど美味かった。
幽閉でも、ここまで美味いものが食えるならいいかもvなんて、一瞬でも考えた自分は終わっている、と我ながらに思 った…
「お食事も終えられたようですし、お部屋へご案内しましょう」
若者が食後に出されたコーヒーを飲み干したのを見計らって、彼は優雅な身のこなしで、何事も無かったかのように立 ち上がった。
しかし、ここの主であるはずなのに、使用人が来ないときには弟の世話もすべて、彼が一人でこなしているのだろうか 。
彼の気配りの細やかさや慣れたそぶりに、ふと妙な寂しさを若者は覚えた。
外の雨は一向に止む気配さえ見せずに、叩きつけるような雨音が相変わらず聞こえている。その向こうからは荒れた波 の音が。
なのにこの大きな屋敷には、彼と身体の弱い弟の二人だけしかいないと言う。
果たして自分なら耐えられるだろうか?
そう考えると、胸がふさがれるような感覚がした。
通された部屋は、客間なのだろう。生まれて初めて見る天蓋付きのベッドや、丸みを帯びたアンティークな家具が豪奢 な印象を与える。が、ここでも明かりはやはりローソクだけだ。
燭台に置かれたローソクの穏やかなオレンジ色の光に照らされていると、落ち着いた気分にはなるが、やはり何か違和 感を感じてしまう。それは普段から、電光の明かりに慣らされているせいだからなのか、自分でもよくはわからないが 、ただ、やはり空気が重い気がして仕方が無い。
単にこの屋敷の、庶民には見慣れない重厚な造りのせいなのかもしれないが…
しかし、疲れていたのかすぐに瞼が重くなってきた若者は、早々に考えることを手放して眠ってしまった。
どのくらい時間が経ったのだろう、雨の音の中に車のクラクションが聞こえた気がして目が覚めた。
相変わらず、外は大雨だ。今は何時なのだろう。おそらく相当に遅い時間だろうと思うのに、今頃来訪者が来るとは。
もしかして自分と同じように、雨に迷った人だろうか。それにしてもクラクションを鳴らすとは、横柄な人だ。
そんなことを考えながらもベッドになついていると、またウトウトとしていたらしい。
次に眼が覚めたのは、ガシャーンと、激しく物が壊れる音のせいだった。
「なに? なに? 今の夢じゃないよな?」
驚いて耳を澄ましてみると、内容はわからないが、何やら言い争っているらしき声も、微かだが聞こえてくる。
気になって、そっとベッドを抜け出すと廊下に出てみた。廊下では言い争っている声はさらに大きく聞こえた。どうや ら階下から聞こえてくるようだ。
まさか、さっきのは泥棒か何かだったのか?
なんて、一瞬びびったが、泥棒がクラクションを鳴らして車で来るはずも無い。裸足のまま、足音を忍ばせて廊下に出 ると下を窺うことにした。
何かあれば、美形の彼の加勢に入るつもりで。
「あなたはいつもそうだ! ぼくたちよりも世間のほうが大事なんでしょう?!」
階段に近づいてゆくと、彼の声がより大きく聞こえた。
もう一人の声は聞き取りにくいが、壮年の男性と思しき声が、彼に反論しているのだけはわかった。
「今度ははじめを置いて行けとおっしゃるんですか! こんな所に一人で置いて行けるわけが無いじゃありませんか! 」
『はじめ』とは、たぶん身体が弱いと言っていた弟のことなのだろう。かなり彼が感情的になっているのが、その声音 だけでわかる。
「父さんは何もわかってない!!」
また物の壊れる音。
どうやら争っている相手は、彼の父親のようだ。何か親子喧嘩に他人が首を突っ込むのも憚られたのだが、あまりにも 激しい物音に、思い切って若者は階段を下りて、音がする方へと足を伸ばした。すると、少しだけ開いているドアが。 中からは光が漏れている。物音はどうやらそこからするようだ。
そっと気配を殺して中を覗き込むと、頭から血を流して倒れている男がまず目に入って驚いた。次に、その男の上に跨 って、さらにその首を両手で絞めている彼の姿が…
こんな事態は想像してもいなかった。
燭台が下に倒れて、ローソクから絨毯へと火が燃え移り始めていた。その炎に照らされて、彼の影が、恐ろしい魔物の ように壁に大きく揺れ動いている。
震えながら見ているうちに、首を絞められていた男はやがて口から泡を吹いて、ぴくりとも動かなくなった。
あまりの恐ろしさに、足が竦んでいた。と、彼が顔を上げて若者の方を見た。扉の影にいる若者に気がついたのだろう 。
「…はじめ」
自分の弟と勘違いしているのか、彼は若者に向かってそう声を掛けてきた。乱れた髪が顔に掛かって、その間から覗く 金色の瞳が炎の光を反射して、不気味に輝いて見える。
彼の様子はおかしい。火は徐々に燃え広がり始めている。
早く逃げなくてはいけないと、頭の中では危険信号が点滅しているのに、金縛りにでもあったみたいに若者の身体はい うことを利かない。声も出ない。
彼はまるで幽鬼のようにふらりと立ち上がると、倒れている男を踏みつけて、若者に近寄ってきた。
「はじめ…あの男は死にました。ぼくたちを引き離そうとするから…」
彼は、目の焦点がまるで合っていない。紅を引いたような薄く紅い口元は…笑っている。
心底恐ろしいと思った。なのに、動けない。
「はじめ、はじめ、ぼくはお前がいないと生きてはいけません。だからこのまま…一緒に死にましょう」
手がいきなり若者の首に伸びてきて、ぎりぎりと絞め上げ始めた。細い身体には似合わない、物凄く強い力だ。
「ぐ…っ」
息が出来なくて、だんだんと目の前が暗くなり始めた。
最後に見た彼は、泣いていた。泣きながら、やっぱり、綺麗に笑っていた。
14/09/12
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ずいぶんと時間が経ってから書き足したので、すっかり書き方を忘れてしまっています(汗)。
仕方ないな~と、笑って見逃していただけると幸いです。
14/10/11UP
-竹流-
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