紅に染まる空 Ⅰ
空が、燃えるように紅く染まっていた。
部屋の中はもちろん、外の景色もすべてその色に染められていて、思わずおれは、窓から空を仰ぎ見ていた。
朱に色付いた空には、行く筋もの雲が黄色や紫色に染まりながら浮かび、鮮やかな空をさらに印象的に彩っている。
美しいと、素直に感じていた。
紅に染まる世界。
ほんの一時だけ、垣間見える、閃光のマジック。
ふと、あの男の顔が脳裏に浮かんだのは、なぜだっただろう。
瞬間、見計らったかのように、おれの携帯が聞き覚えのあるピアノ曲を鳴らし始めた。
机の上に、無造作に置かれたそれが、あの男からの着信を、知らせる。
灯るライトが、それがメールではなく、直接の連絡であることを教えている。
紅色に染まった部屋の中で。
美しい景色の中で。
おれはそれを手に取ると、相手の名前も確認せずに通話ボタンを押した。
「もしもし」
『金田一くん? わたしです』
「うん、わかってる」
『何をしてました? 今、とても夕日が綺麗なものですから』
「…うん、おれも見てたよ」
『そうですか』
空が美しいからと、この男は携帯に掛けてきたのだろうか。
おれが黙っていると、高遠も少しの間、沈黙した。
その間にも刻々と空の色は移り変わり、少しずつ鮮やかな紅が、闇の気配を深くし始める。
『暫く連絡をしないですみませんでした。少し、日本を離れていたものですから』
まるで、恋人に言い訳でもするみたいに、高遠は言葉を紡いでゆく。そう、高遠からの連絡は、ほぼ一ヶ月ぶりくらいだろうか。
「別に…」
短いおれの返事に、高遠が携帯の向うで、微かな苦笑を洩らしたのがわかった。
『明日、会いたいんですけど、時間は取れますか?』
この男がおれに都合を聞いてくるなんて、初めてのことじゃないだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、おれは大丈夫だと答える。どうせ駄目だと言っても、この男は会う手はずを整えるに決まっているんだ。たとえ、それが脅迫まがいの形を取っても。
ならば、イエスマンでいるほうが幾らかマシというもの。
それが、この男と付き合いだして、おれが唯一学んだことだ。
いつの間にか、部屋の中は暗くなり始めていた。窓の外も、夜の始まりを告げるかのように、駆け足で日の光を失ってゆく。
おれは、灯りもつけないで、それをただ、ぼうっと眺めていた。
結局、高遠とは、夕方近くに外で待ち合わせをして、会うことになった。
おれは髪を下ろしたまま、伊達メガネをかけて待ち合わせ場所に立っていた。
一応、変装しているつもりだ。こんな所で、もしも知り合いに会ったりしたら、洒落にならねえから。
約束の時間より、少しばかり早く着いただろうか。遅刻魔のおれにしては、本当に珍しいんだけどさ。
大体、全国指名手配中のあの男が、こんな所で待ち合わせをすること自体が間違っている。
ここは、おれが観たいと思っていた話題作がやっている映画館のすぐ前。
何を好き好んで、はじめての待ち合わせ場所に、こんな人の多い所を選ぶかな。
いつもなら、勝手にメールを送りつけてきて、一方的に場所、といってもホテルだけど、と時間を指定して、おれを呼びつけるだけなのに。
なんで急に「たまには、外で会いましょうか?」なんだよ。
なにが「その方が、恋人っぽくていいでしょ?」なんだよ。
ったく、わけわかんねえ。
何を考えているのか、あの男の頭の中だけは、マジで、完全にさっぱりだ。
そんなことを考えながら壁にもたれ掛かっていると、突然、肩を叩かれた。顔を上げると、見知らぬ男たちが目の前に立っている。
背の高い、そこそこの見た目なのだろう二人組み。
何の用かと思って、首を傾げたら。
「ねえ、暇だったらさ、一緒にお茶しない?」
「は?」
これって、これって、もしかして…
「ちょっとだけでいいからさ、おれたちに付き合ってよ」
ナンパかよっ?!
ちょっとばかし…いや、かなり…愕然っ!!
確かにおれ、髪は長いけどさっ。今日は、高遠と一緒に外歩くからって、ブカッとした男でも女でもどっちでもいけそうな服着てるけどさっ。
でも、わかるだろうがっ!
おまえら、目、悪すぎだっ!
と、頭の中では、怒涛の勢いで色んな思いが渦巻いているのに、あまりのショックのためなのか言葉が出てこない。
おれがポカンとしているのをいいことに、二人組みの片方がおれの手を掴もうとしたとき、
「遅くなってすみません」
と、その後ろから、声が掛けられた。
おれの視線がそちらへと向けられ、目の前の二人組みも、慌てて後ろを振り返る。
前髪を少したらして、残りの髪を綺麗に撫で付けるように後ろに流した髪型で、掛けていたのであろうサングラスを軽く口元に当てながら、あの男は艶然と微笑んでいた。
その、絶対的な存在感。
目の前の男二人が、霞んでしまうほどの、明らかな美貌。
一瞬、周りのことをすべて忘れてしまいそうなほどに、見とれてしまうところだった。
高遠が、冷ややかな声を発さなければ。
「きみたち、ぼくの連れに何かご用ですか?」
口元は笑っているのに、全く笑っていない視線を投げかけられて、目の前の二人組みは、すくみ上がるように背筋を伸ばした。
高遠の持つ、冷たい威圧感を肌で感じたのだろう。
「いや、待ち合わせだとは知らなかったんで…」
「す、すいません…」
薄く額に汗をかきながら、早口にそれだけを言うと、急ぎ足で離れてゆく。
その去ってゆく後姿を、相変わらずポカンとした表情で見送っていると、目の前からくすくすという含み笑いが聞こえてきた。
そちらに顔を向けると、高遠が軽く腕組をしながら、本当におかしいと言った具合で笑っている。
「な、なんだよっ!」
「…いや、女の子に間違われたんだなと思ったら、おかしくて…」
「うるさいなっ! あいつらの目がおかしいんだよっ!!」
「ふふっ、そうですかね?」
言いながら、おれの格好を上から下までジロジロと不躾に見つめてくる。
「その格好じゃあ、間違われても仕方がないんじゃないですか?」
「おれは髪を下ろしただけで、女に見えるってのかよっ!」
「そんなことは、ありませんけど… ただ最近、きみは少し、色っぽくなったから…」
その言葉を聞いた途端、カッと全身が熱くなったのがわかった。鏡なんか見なくてもわかる。きっと、全身真っ赤に染まってしまっているんだ。
その言葉の意味するところを、おれは、よく知っているから。
何も言えずに俯くと、いきなり手を取られて引っ張られた。
「な、なに?」
「急ぎましょう、もう始まりますよ。チケットは、先にとってありますから」
「えっ? なに? 映画を観に来たのかよ?!」
見上げると、ニッコリと微笑まれて。おれは、また、黙るしかなかった。
「面白かったですか?」
「うんっ!」
映画を観た後、ふたりで、気取らないけれど雰囲気のあるレストランに入って、向かい合って食事をしていた。
高遠と観た映画は、おれが観たいと前々から思っていた海賊モノで、高遠もこんなのを観るのかと、ちょっとばかり驚きだったのは確か。
でも、それが逆に、この男に対する親近感を覚えさせたのか、映画のあのシーンがカッコよかったとか、あの場面は笑えたとか、普通に友達に話すみたいに、おれは高遠に話しかけていて。
高遠はというと、静かに微笑みながら、おれの言葉にいちいち頷いたり、返事をくれたりしていた。
こんな風に、普通に高遠と話すのは、本当に久しぶりだ。
『魔術列車』の、まだ高遠が犯人だとは知らなかったとき以来なんじゃないだろうか。
普段、この男と会っていたって、ほとんど喋らないし、たとえ喋っても、会話が弾むことなどあるはずもない。おれたちは、そんな関係だから。
なのになぜか、懐かしいような、そのくせ、胸の奥が微かに苦しいような、そんな奇妙な感覚を抱きながら、それでも今おれは、とても楽しいと感じていて。
内心、戸惑ってもいた。
おれを犯して、穢して、平気な顔をしている男と一緒にいて、おれは、なんでこんなに楽しいと感じているのだろう。いくら映画が面白かったからといって、友達と観に行ったのだとしても、こんなに浮き立つような気持ちになったりはしないのに。
そう考えて、高遠はどうなんだろうと気になったりもする。
目の前の高遠は、いつもとは違う髪型で、ラフなシャツにチノパンという出で立ちで。
それはこの男が、おれと一緒にいてもおかしくない格好を意識してチョイスしたのだろうというのがなんとなくわかるだけに、どこかしらくすぐったい気分にもなる。
高遠は、いったい何を考えて、おれを映画なんかに誘ったのだろう…
「どうしました? 急に黙って」
少しの間、考え事をしていて黙りこんでしまっていたらしい。気がつくと、目の前で高遠がおれの顔を覗き込むようにしていた。
ただそれだけなのに、おれは、自分の頬が紅くなるのを感じる。
高遠の、月の光を映した瞳が、おれを見つめているだけで。
慌てて、高遠から視線を外しながら、少し考え事をしていただけだと、言い繕う。
なぜだか、高遠の顔が真っ直ぐに見れなくて、胸の鼓動が早くなるのが、わかった。
どうしておれの胸は、こんなにもドキドキしてしまう?
高遠は男で、おれも男で。
高遠との関係は身体だけのもので、それだけでも、十分おかしな関係なのに。
おれたちがしているのはただの『ゲーム』なんだ。
恋人なんかじゃない。
互いに、フリをしているだけ。
この男は、おれを犯しているだけで、心がそこにあるわけじゃない。
全部、ただの遊び。
わかっているはずなのに、胸の鼓動が、止められない。
どうして?
そんなことを考えていたら、高遠が、なんでもないことのように口を開いた。
「この後は、行きますよね? ホテルに」
ちゃらりと軽い音を立てて、部屋番号の書かれたキーホルダーの付いた鍵が、おれの目の前で、揺れた。
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06/08/13
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『GAME』のシリーズ、『感情の行方』の続編です。
この前に、書かないといけない形もあったんですけど、上手く纏まらなくて、
いっそのこと、省いちゃうかっ! とか思って、これを書き出しました(汗)。
省いた分も、何とかしたいなあと思いつつ、綺麗にこのお話が成り立つことをひたすら願っています。
って、頭の中で纏まってないんですよね、これも(笑)。
とりあえず、頑張りますんで、少しでも楽しんでいただけますように。
06/08/13UP
15/01/12再UP
-竹流-
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