紅に染まる空 Ⅱ




「金田一、おまえ最近、どうしたんだよ?」

机に肘を着きながら、ぼんやりと教室の窓の外を見ていたおれに向かって、突然、投げかけられた言葉に驚いて顔を上げると、なぜだか少しだけ頬を赤らめた草太が、机を挟んだすぐ前に立っていた。
「どうしたって…なにが?」
草太が何を言いたいのか、本気でわからなくて、とぼけるでもなくおれはそう答えた。
「七瀬さんも心配してた。おまえの様子がおかしいって。最近、妙に自分を避けてる気がするって」
言いながら、なぜか草太の眼差しが微かに泳ぐ。
まるで、おれを見ることに戸惑いを感じてるみたいに。
そんな草太の態度に違和感を覚えながらも、おれは何も気付かないフリをして、そ知らぬ顔をして、また答えるんだ。
「…別に避けてるつもりはないぜ? そんなの気のせいだって」
完全に、これは嘘。
おれは、美雪が忙しいのをいいことに、あいつのことを避けている。
昔から、ずっと付き合いのあるあいつに、今の自分を知られたくなくて。顔を合わせるのも怖くて、逃げている。
あいつの素直な眼差しに見つめられたら、なんだか何もかもすべて見透かされてしまいそうな、そんな気がして。
いや…それだけじゃ、ないか。
失ってしまった、淡い恋の名残が、胸に痛いせいもあるのかな?
もう、おれには、あいつに想いを寄せる資格が、なくなってしまったから…

「…金田一、おまえ、なんか隠し事でもしてんじゃないのか?」
草太の突然の言葉に、心臓がどきりと大きな音を立てた。

おれは、そんなにも様子がおかしいのか? 草太にさえ、何かを感付かれるほどに?

内心、焦りにも似た感情が湧き上がるけれど、
「なんだよ、それ。何も隠し事なんかあるわけないじゃん?」
できるだけ冷静に、できるだけいつものように、とぼけた口調で茶化すように答える。
おれは、ちゃんと普通に話せているのだろうか。
…でも、いつもの自分って、どんなだったっけ?
それすら思い出せないほどに、おれは高遠とのことが始まったあの日から、すべてを繕っている。いつ、おれの携帯に、あの男からの呼び出しが掛かるのかと内心怯えながら、普段どうりの自分を演じている。
そんなおれを、草太は真っ直ぐに見据えると。
「…なんか、こんなこと言ったら、変に思われるかもしれないけど…」
そう前置きをして、惑いを隠し切れないみたいな表情をした。
何を言われるのかと、思わずおれは、手を握り締めていた。手のひらの汗ばんだ感触が、酷く、気持ち悪い。

なのに。
「おまえ最近、色っぽい表情をするだろ?」
いきなり、思っても無かったことを言われて、なんだか拍子抜けしてしまった。
目の前の草太はというと、言いながら、また頬を染めている。
「はあ? なんだそりゃ?」
おれが、声を上げると。
「…おれも、七瀬さんからおまえの様子が変だって相談される前から、おかしいって思ってたんだよ」
「な、なにが?」
「どう言えばいいのか… なんか、ぼんやりしていることが多いし、それに…」
「それに?」
咄嗟に、聞き返していた。
「うん… なんか、そういうときのおまえの表情が…すごく色っぽい…気がするんだ」
自分で言いながら、自分で照れるみたいに、草太はさらに顔を赤くして頭を掻いた。

「…もしかしておまえ、誰か好きな人でもできたんじゃないのか?」

続けられた言葉に、おれは、愕然とするしかなかった。
咽喉がカラカラに渇いて、口が動かしにくい。そんな感覚。
「…なんで… そんな風に思うんだよ…?」
絞り出した声は、少し掠れていた。
草太に、気付かれはしなかっただろうか?
「なんでって言われても… なんだか辛い恋をしているみたいな感じがするんだよ。おまえを見てるとさ。…まあ、おれの思い過しかもしれないけど…」

それから草太は、何かを誤魔化すみたいに笑顔を見せると、今までの話がまるで無かったことのように、話題を切り替えた。
おれも、なんでもない顔をして、その話題に乗った。
でも本当は、草太に言われたことが、気に掛かって仕方がなかったんだ。

つらい恋を、している?
おれが?
だれに?




「なにを考えているんですか?」
おれの身体に触れながら、高遠が訊いてきた。
「えっ?」
「ぼくの腕の中にいるのに、今、他の事を考えていたでしょう? 許せませんね」
言うなり、くちびるを重ねられて、深く口腔を探られる。それは決して、乱暴に与えられはしないし、おれもむやみに抵抗したりなんかしない。

あの食事の後、当然のようにホテルに連れ込まれて。
部屋の中に入ると、いきなり抱きしめられて口吻けられた。
初めてくちびるを重ねたときから、こうして必ずキスするのが当たり前になっていて、おれも、もう自分の中にあったこだわりなんか、どうでもよくなってしまっていた。
それは、胸の奥に秘めているだけだった恋も、何もかも全部諦めてしまって、半分以上、やけになっているからかもしれないけどさ。
そうしている内に、ベッドに押し倒されて、衣服を剥ぎ取られる勢いで脱がされて。
まるで、久しぶりに抱き合う恋人のように、性急に高遠がおれを求めてくると、馴らされた身体は、すぐにそれに反応して熱くなる。
おれの感情を、置き去りにしたまま。

でも、もう、いいんだ。
この身体は抜け殻で、心がここにあるわけじゃない。
そう、これは、ただの『ゲーム』なんだ。
この男に抱かれているつかの間の時間、おれは『金田一一』という人間ではないのだ。

そう考えるようになって、少しだけ、この関係に慣れた。
「慣れた」という言い方は、自分でも、なんだかひどく嫌な感じがするけれど、でもそうとしか言いようが無いから、きっと、そうなんだろう。


こんな風に考えられるようになったきっかけは、高遠の一言だった。
この関係が始まって、まだ初めの頃。
おれは、凄く苦しくて。
この男に馴らされてゆく身体が、許せなくて、どうしようもなかった。
たぶん、煮詰まっていたんだと思う。

「おれを、どうしたいんだよ。いつまでこんなことを続ける気なんだ。おれがボロボロになるまで、玩びたいのかよ」
ある時、耐えかねて、高遠に訊いた。
するとこの男は、何を言い出すのかとでも言いたげに、きょとんとした表情で、
「これは、きみを落とす『ゲーム』なんでしょ? ボロボロになるまでって…そんな風にきみを扱っているつもりはありませんけどねえ」
薄い唇に、男にしては細くてしなやかな指を当てながら、不思議そうに答える。
「もっとも、最初はきみが言うような企みも無かったわけじゃないんですけど、きみが言い出した『ゲーム』の方が面白いかなと思ったんですよ。きみがどうなのかは、知りませんけどね?」
「…おれのせいだって、言いたいのかよ…」
「そんなことは言ってませんよ。仕掛けたのはぼくですから」
言いながら、くすくすと笑う。とても、楽しそうに。
「でも、そうですね。この関係に飽きたら捨てますよ。だからそれまでは、イヤでも、お付き合い願うということになるでしょうかね」
綺麗に笑いながら、残酷なことを簡単に言い捨てる。この男らしいと、おれは思った。と同時に、どこかホッとしてもいた。

この男がおれに飽きたら、全部おしまいに出来る。
そうしたら、前と同じように、追う者と追われる者として向き合えるようになる。
この男を捕まえて、また、刑務所に送ってやれる。
絶対に、捕まえてやる。
その時が来たら。

そう考えて、おれの口元にも、自然と笑みが浮かんでいた。
「そっか…じゃあ、早く飽きてくれよ。おれも、楽になれるしさ」
おれの言葉に、目の前の高遠が、ほんの少しだけ苦さを含んだ笑みを刷いたと思ったのは、きっと気のせいに違いない。

『ゲーム』だと、最初に言い出したのは自分だったのに、そのくせ何処か割り切れていなかった自分に気が付いて、何かが楽になっていた。
これは『ゲーム』。
高遠といるときのおれは、本当のおれじゃないんだと思い込んで、肌を重ねる。
抱きしめられて、キスをされて。
快楽に身を委ねて、声を上げても、それは決しておれじゃない。
作り物のおれ、作り物の快楽、作り物の世界。
だから、平気だ。
全部、嘘なんだ。
時折、流れる涙は、我慢することをやめたせいだ。
生理的なもの。ただ、それだけのこと。

この前なんか、キスをしてきた高遠の首に腕を回してやったら、高遠の方が驚いて、「どういう風の吹き回しですか?」なんて、聞いてきやがった。
なんで?『ゲーム』なんだから、あんたに捨てられて終わりになるのだけが結末じゃないだろう? って言ったら、そうですねって、苦笑された。
絶対にそんなことはあり得ないって、言いたいのだろうけど、もう、これは始まってしまった『ゲーム』なんだから、仕方がない。

おれは、おれの役割を演じて、あんたを落とそうとする。
あんたはあんたで、その気も無いのにやさしいフリをして、おれを落とそうとする。
そう、これは空しいだけの『ゲーム』。
エンドタイトルなんか出ない、ハッピーエンドなどとは程遠いラストになるのはわかってる。終わりはきっと、後味の悪いものになるだろう。
でも、後戻りなんかは、できないんだ。
これは高遠に犯されたとき、誰にも助けを求めなかった、おれの勇気の無さが招いた結果。
こんなこと、なんでもないんだと自分に嘘をつきながら、呼び出される度に、おれを犯した男に今も抱かれ続けている。

この男が、飽きるまで。
それまでの辛抱。



でも…
この男が、連絡を寄越さなかったこの一ヶ月の間。
時折、この男の事が思い出されて、その度に、身体の奥が焼け付くような疼きを覚えたりしたのは、なぜだったんだろう。




06/09/01

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少し? 間が空いてしまいましたが、『紅に染まる空2』ようやくアップできました。
いきなり草太くんが出てますが、はじめちゃんの友人と言えば彼、な感じがするもので。
以前にも、書いたお話の中に出てましたよね?
それで、『1』のあとがきに書いてあった「端折った話」の分を無理やり詰め込んだので、なんだかやたらと時間が前後して、さらにわかりにくい話になってしまった気がします。
って、前にも同じようなことをあとがきに書いたな。う~ん(悩)。
とりあえず、頑張って完結を目指しますね!

06/09/01UP
15/01/12再UP
-竹流-


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