リセット Ⅰ





消して。
全部、なかったことにして。

どうか、神さま、お願いだから…



ぎしりと、暗闇の中でベッドのスプリングが嫌な音を立てる。
その度に鎖が、チャリチャリと、妙に軽薄な音をおれの耳に響かせる。

「も、や…たのむから…やめて…」
息を荒くして、もう堪えられないと言わんばかりの情けない声を出しているのは、おれだ。
「なぜ? 君の身体は、こんなにも感じているのに?」
微かに笑いを含んだ声で、やさしげな声で、この男は答える。おれの身体を、好き放題に玩びながら。

いつから、こんなことを続けているのか、どのくらいの時間、おれはここに居るのかなんて、考えたら気が狂いそうになってしまうから、おれは何も考えない。
犬がするような首輪をつけられ、ベッドから降りることも出来ないおれは、トイレに行くにしても、あの男に懇願して、犬の散歩みたいに鎖につながれたまま個室へと連れてゆかれる。
風呂なんか、ここへ来てからというもの、自分で入った記憶はない。いつも、この男に責められておれが意識をなくして、気がつくと、すでに身体を洗われ、暖かいバスタブの中にこの男に抱かれながら入っているんだ。

そう、ずっと、鎖につながれたまま。

こんな生活を長く続けているからか、おれの足は筋肉が萎えて、一人で立つのがやっとという状態になってしまっている。日の差さない部屋にいるせいか、肌の色も、女みたいに白くなっちまった。
以前のおれを知っている人が今のおれを見たら、きっと驚くだろう。いや、もしかしたら、おれだと気付いてくれないかもしれないな。
何年も閉じ込められているから、もう、みんなおれのことは死んだと思っているだろう。


最初の頃は、抵抗した。
あの男が、おれを抱こうとしたから。
驚いて、嫌悪して、激しく抵抗した。
男が男に犯されるなんて、屈辱以外の何ものでもないだろ?
でもその頃は、首輪だけじゃなくて、手にも足にも鎖が繋がれていて、おれにはどうすることもできなかった。舌を噛み切ろうとしたことさえあったけど、それさえ、口の中にタオルを詰め込まれて、阻止された。
そうしておれは、この男のものになった。まるで、そうすることが当たり前のように、この男はおれを抱いた。
いつからかおれは、抵抗することも忘れて、この男の従順な犬に、成り下がったんだ。
足の鎖が外され、手の鎖も解かれ、でも、首輪は外されないまま今日に至っている。

初めの頃は、激しく怒りを感じていたけど、今はもう、そんな感情をこの男に抱いてるわけじゃない。諦めのようなものがおれを支配していて、暗い空洞が、そこにある。
けれど、何も感じていないわけじゃないんだ。
この男に触れられるたび、悲しくなる。涙が、溢れてくる。
辛くない、わけじゃないんだ。

「も、やだ…死にたい…」
抱かれている最中に、おれが零したその一言に、この男は反応した。
「そんなに、わたしに抱かれるのは嫌ですか?」
「…いやだ…」
「そう、ですか…わかりました」
言うなり、おれの身体から自身を引き抜くと、おもむろにベッドから離れて、部屋からも出て行ったと思っていたら、すぐに手に何かを提げて戻ってきた。
ベッドサイドの灯りを灯された瞬間、ようやくそれが何か、わかった。
拳銃だった。

「な…に…?」
「拳銃ですよ。死にたいほど、嫌なんでしょ?」
この男の目が、嘲りを含んだ眼差しでおれを射る。オレンジ色の薄暗い明かりの中で、この男の瞳は、暗い琥珀色に燃えている。
やっぱり、この男は殺人者なんだなと、今さらながらにおれは思い知らされていた。
そうだ、いつでも簡単に、この男はおれを殺せる。今までは、ほんの気まぐれで、生かしておいたに過ぎないんだろう。それとも、おれに生き地獄を味わわせたかったからなのか。
まぁ、そんなトコなんだろう。
ぎゅっとベッドのシーツを握り締めながら、冷たい光沢を放つ人殺しの武器に、おれが硬直したように見入っていると。

「でも、このままじゃあつまらないから、ちょっと遊びましょうか」
そう言って、シリンダーから弾をすべて抜くと、一発だけをその中に戻して、勢い良く回転させた。
「これで、何発目に弾が入っているかわからなくなりましたよね」
クスクスと笑いながら、楽しそうにおれを見る。
この男が何を考えているのか、ようやくおれにもわかった。
「理解したようですね? ロシアンルーレットですよ、自分の頭に銃を宛てて引き金を引くだけ、それで、きみかわたしかのどちらかが死ぬことになるでしょう」
「…なんで、あんたまで死ぬような話になるんだよ…」
「おや? ご不満ですか? わたしが死んでも、きみは自由になれるでしょう?」
綺麗な顔でそんなことを言う。
この男が死んでも、鍵が無ければ、鎖につながれたおれはここで野垂れ死ぬしかない。どちらにしても、死ねるんだから文句はないだろう、ということか。
いかにも、この男の考えそうなことだ。

「大丈夫ですか? 震えているようですね? でも、きみが言い出したんですから」
おもむろに銃口がおれに向けられて、瞬間、身体が竦んだ。そんなおれを、見下すように嘲りを隠しもしない声でこの男は言う。
「冗談ですよ。案外、口ばっかりのようですね、金田一くん」
そして、おれをしっかりと見つめたまま自分の頭に銃口を当てて、躊躇いも無く、この男は引き金を引いた。

かちり

意外と大人しい金属音が響き、それが、この男が命拾いしたことを告げる。
おれの方が緊張していたみたいに、思わず、息が漏れていた。
「きみの番ですよ」
おれに差し出された銃を受け取るために手を出すと、ずしりと重い手ごたえが手のひらに乗せられる。力の入らない腕が、それを支えきれずに下がる。
それでも、しっかりとそれを掴んで頭に宛てると、おれは目を閉じて引き金を引いた。
その一瞬が、妙に長く感じられて、おれはひどく汗をかいていた。
「また、ハズレだったようですねえ」
男の気楽そうな声に、おれが命拾いしたことを知る。身体の震えが止まらない。
死にたいとまで思っていたはずなのに、いざ、こうなると、死ぬのはやっぱり怖いんだ。

かちり
男の頭の横で、乾いた金属音が、また響いた。
これで、五回目の空振りだ。このシリンダーの弾数は六発、だから最後の弾倉に弾が入っていることになる。おれは震える手で銃を受け取ると、静かに頭に銃口を当てた。男は、おれをじっと見つめているのに、何も言わない。引き金に指をかけ、ぎゅっと目を閉じる。
震えていた身体が、さらに大きく震えて、指先に力が入らない。ほんの一瞬だとわかっているのに、引き金を引きさえすれば解放されるのに、わかっているのに、なのに、怖くておれは、どうしてもできなかった。
ベッドの上に銃が落ちて、おれは崩折れるようにその場に臥して、泣いた。
死にたいと願ったはずなのに、こんな生かされ方をしていても、いざとなると死にたくないんだ。勇気が無いんだ。
と、男が銃を拾い上げながら、大きくため息をついた。

「…きみには、がっかりですよ。折角、楽しいゲームだったのに」
そして、撃鉄が上げられる音がした。
顔を上げると、男がおれに銃口を向けている。その指先には、眼差しには、迷いが無い。
「きみが自分で逝けないなら、送って差し上げましょうか」
引き金に掛かっている指先に力が込められるのを見て、おれは震えながら、再び目を閉じていた。

かちり

おれを撃ち殺すはずだった銃は、またしても空を切る音を立てた。
「…えっ?」
もう、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら男を見ると、意地の悪い笑みを浮かべている。
「だから、遊びだと言ったでしょ?」
男の手から、六発の弾がパラパラと零れ落ちた。
「この銃には、弾なんか入ってなかったんですよ。きみも、自分の本心がわかったでしょう? 死にたいなんて、口先だけなのだとね」
「…くっ…」
悔しくて仕方がなかった。騙されていたおれもおれだけど、こんな風に人の気持ちを玩ぶこの男が許せない。悔しくて、悔しくて、さっきとは違う涙が流れた。

どこにもはけ口の無い絶望を噛み締めながら、けれどおれはまた、この救いの無い空間で、この男に抱かれ続けるしかなかったんだ。



06/12/19
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完全な、突発です。
書いてそのままアップなんで、なんだかなな出来かもなのですが、頭に浮かんで離れなかったので。
しかも、またしても続き物(泣)。
最近、めっきり暗い話から離れられない竹流でした。

06/12/19UP
再UP 15/01/23
-竹流-

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