世界で一番、醜くて美しいもの Ⅰ





欲しくて。

欲しくて、欲しくて。
自分の中の、狂気にも似た感情に、自分で驚く。

こんな風になってしまったのは、いったい誰のせいだ?

高遠のせい?
自分のせい?
それとも、元々この身体の中にあったものなのだろうか。

苛立ちと、腹立たしさと、満たされない想いと、どこか諦めのような悲しさと。
全てをミキサーで砕いてかき混ぜたみたいな、そんな複雑な感情を抱えたまま、おれは目の前の高遠を睨みつけていた。

「で、おれが悪いってのかよ」
はなっから、けんか腰のおれに対して、高遠はこちらを見ようともしないで、突き放すような口調で言葉を返してくる。
「ご自分の胸に訊いてみたらどうですか?」

なんでわかってくれないんだ。
いや、そうじゃない。わかろうとしてくれないんだ。
自分の感情に、盲目になり過ぎていて。

それは、裏を返せば、おれをどれほど深く想ってくれているのか、という事なのだと信じてるけど。でも、おれにだって言い分はあるのに、何も聞こうとしないで、突っぱねられるのは、腹立つし、悔しいし、何よりも…悲しいだけだ。

今、おれたちは冷戦状態とでもいうのか、いわゆる家庭内別居状態だ。
これが、一週間以上続いている。
高遠は、別の部屋で寝起きしているし、極力、おれと接触しないようにしているらしい。
まあ、飯は作ってくれてるんだけど、でも、絶対に一緒には食わないし。昼過ぎには、今、マジックの舞台をやっている、ナイトクラブに一人で出かけてしまう。
こうなってしまう前は、おれもスタッフの一人として、一緒に働いていたのに。



きっかけは、このナイトクラブで働いているジャックという青年だった。

すらりと背が高くて、なかなかの甘いマスクで、おまけに金髪・ブルーアイズ。鍛えられた身体からは、いかにも女にもてそうっていうオーラが滲み出ているという、ごく今どきの若者だ。
貧弱だと自覚のある俺としては、見てるだけでコンプレックスを感じさせてくれる兄ちゃんだなあと思っていたんだけど、意外にも、彼は気さくで感じのいい兄ちゃんで、とろいおれを何かと気遣ってくれて、仕事のことも色々教えてくれたりした。
そんなだったから、おれとしては、なんだか友達が出来たみたいな気がしてさ、高遠が忙しくしているときは、彼と行動を共にすることが多くなっていた。

まさか、そんなことが、高遠の機嫌を損ねているなんて、おれは考えてもいなかったんだ。

「最近、仲のいい友達が出来たようですね」
ある日、突然、高遠がそう切り出してきた。とても、静かな声で。
その声がなぜか、棘を含んでいる気がして、おれは思わず、高遠の顔を見返していた。
「えっ? ジャックのこと?」
その名前を口にして、高遠と目が合った瞬間、心臓が止まるかと思った。
おれを見ている高遠の目は、全然笑っていなかった。
冷たく暗い感情を湛えた光が、その瞳の奥に揺れている気がして、身体の奥が凍りつきそうなほどの寒気を覚えた。

この眼差しは、知っている。

そう感じた。
そう、それは『傀儡師』のときの、眼だ。
身体の奥は冷えてゆく感覚があるのに、おれの心臓は、ドクドクと激しい不安を刻んで、背中に冷たい汗が伝っていた。

そして、その数日後、まさかという事件が起きた。
もしかしたら、高遠はうすうす気付いていて、このことを心配していたのだろうか。


その日、おれは探し物をしていて、楽屋に残っていた。
いつもなら、そでから高遠の舞台を見ているんだけど、その日、ジャックに返す約束をしていたCDがカバンの中からなくなっていて。高遠の荷物の中に、うっかり混ざってしまったかと思って探していたんだ。

そこは、舞台の出演者たちが使う、小さな楽屋。
舞台が始まって、皆出てしまうと、人気のない空間になる場所だ。

と、ジャックが入ってきた。
休憩に入ったから、探すのを手伝いに来てくれたんだと思って、おれは、彼の姿を見て微笑み掛けた。ジャックも、おれに笑いかけてきた。でも、なんか雰囲気がおかしな気がして。
『探すの、手伝いに来てくれたのか?』
そう聞いたんだ。でも、ジャックはそれに返事をするわけでもなく、
『はじめは、おれのことが好き?』
なんて、頓珍漢な事を訊いてきた。
『はあ? なんだよいきなり』
今考えたら、きっと無防備でバカな顔してたんだろうなあ。きょとんと、首を捻ったおれに対して、ジャックはさらに言葉を続けた。
『おれは、はじめのことが好きだ。初めて会ったときから、ずっと』
扉の前に立って、後ろに手を回したジャックの背後から、かちりと鍵がかかる音がした。

気が付いたときには、押し倒されていた。
隠し持ってきていたらしいロープで、おれの両手は背後で縛られ、抵抗を奪われていた。
その時になって、CDを隠したのもジャックなんだと気がついた。おれと楽屋でふたりきりになるために、以前から計画していたのかもしれない。
おれ、男なのに、なんでこんなことをされているんだろうって、情けないやら、悔しいやら、腹立つやら。でも、そんなもろもろの感情よりも、その時、おれの胸の中を一番占めていたのは、『恐怖』だったろうか。

怖い、と、心底思った。

暴れられるだけ暴れたと思う。でも、腕が利かないっていうのは、抵抗する手段を奪われたも同然だった。
たいした抵抗も出来ないまま組み敷かれ、着ていたシャツをたくし上げられ、身体に舌を這わされる。身震いして、蹴り上げようとするけど、足はジャックの足にしっかり押さえ込まれていて、こっちも自由が利かない。
口の中には、ジャックの左手の指全部がねじ込まれ舌をつままれて、声を出すことも、口を閉じることも出来ない。飲み込めない唾液が溢れて、口の端から零れ出した。
苦しくて、怖くて、涙が出てきた。
そのうち、ジャックが何かを言いながら、おれのジーパンの留め金に手を掛けた。そのことに気が付いて、必死で身体を捩ったけれど、おれの上に馬乗りになりながら行為を進めようとしている男に押さえ込まれて、結局おれは、高遠以外の男におれ自身をさらす羽目になってしまっていた。
おれは泣きながら、口に手を突っ込まれたままの状態で、必死で首を振った。
いやだって、必死で訴え続けていたんだ。
でも、訴えは聞き入れられることはなかった。
空いているほうのジャックの手が、おれ自身を握りこんで、ゆっくりと愛撫し始めた。緩やかに上下に手を動かされて、先端に指を這わされ、鈴口から割り入れるようにして刺激を与えられる。
首筋に唇を這わされ、頬に伝った唾液を舐め上げるみたいに、舌を這わされているうちに、おれは、だんだんわけがわからなくなってきた。

身体の奥が、熱い。
それは、高遠と睦み合っているときにも、与えられる感覚。
縛られている腕は痛いし、頭の中では嫌だと思っているのに、身体は快楽を感じ始めていて…
情けないことに、おれはジャックの手の中で、勃起していた。

ジャックが何か言っている。
ジャックの手が、おれを追い詰めている。
でも、おれは、ただひたすらに高遠を呼んでいた。塞がれた口で。
舞台に立っている高遠が、助けに来てくれるはずなどないのはわかっていたけど、でも、おれはずっと、高遠に助けを求めていたんだ。
自分の感情を置き去りにして、単純に快楽だけを求めているこの身体を、どうにかして欲しくて。

ふと、声が出ると思った。
口に突っ込まれていたジャックの手が離れて、苦しくなくなっていた。
でも、もう、頭は朦朧として、何がなんだかわからなくなっていた。ぼんやりと、無防備に口を開いたままだったのだろう。次の瞬間、目の前が暗くなって、今度は指ではなく、柔らかなものが口の中に忍び込んできた。それは、吐息さえも奪いつくすように、巧みな動きでおれを翻弄して。おれは、拒むことすら思いつかなかった。
頭の中がどうにかなりそうだった。
下半身に与えられる刺激に、おれ自身は開放を求め始めていて。でも同時に、それを拒絶しているおれもいる。

助けて欲しかったんだ、高遠に。

唇が離されて、おれの口が、やっと自由になって。
すると、下半身でおれ自身に刺激を与えていた手の動きが早くなって、おれを追い詰め始めた。
「あっ、いやっ!」
与えられる快感から、逃れようとするみたいに、おれは身体を仰け反らせて身を捩った。

ジャックの荒い息が聞こえている。
高遠じゃない男に、自分の痴態を見られている。

どうしようもない嫌悪に、涙が止めどなく零れて。そのくせ、身体は開放を求めているんだ。
高遠じゃないとダメだと思っていたのに、いつの間にこの身体は、快楽に簡単に陥落されるほど、堕落してしまったのだろう。
「いやっ! いやだぁっ!」
力のない声で、拒絶を繰り返しても、誰が助けてくれるわけでもない。
「い、いやだっ、たかとおっ! 助けてっ!!」

その瞬間、おれの中で何かが弾けて、下半身の熱が開放された。
シャツをたくし上げられて、晒されている素肌の上に、覚えのある感触が散る。
真っ暗な闇の中に突き落とされたみたいな絶望感に、おれの身体は震えた。

またジャックが何かを言いながら、おれに顔を寄せてきたけれど、何を言っているのか、おれには良くわからなかった。ぼんやりと、魂の抜けた人形みたいに、ただ横たわっていた。
ジャックが自分のジーパンの前をくつろげながら、また、おれの唇に唇を重ねてくる。
おれは、もう、空っぽになってしまったみたいに、抵抗することすら思いつかなくて、大人しくジャックの唇を受け入れていると、突然、バンッ!と、鍵を壊して扉が開かれる派手な音がした。

「はじめっ!」
おれを呼ぶ、高遠の声が聞こえた。

あれ? なんで? まだ、舞台の最中のはずなのに。
思考の覚束ないおれは、そんなことを考えていたりして。
これが夢か現実かさえ、わからなくなっていたのかもしれない。
自分の置かれている状態を、どうしても、認めたくなくて。
未だにおれを組み敷いているジャックが、扉の方を振り返りながら、酷く狼狽した様子でそこにいるのを、まるで他人事のように下から眺めていた。
カツカツと、靴音も高く近づいてくる足音に、ジャックがすくみ上がる気配が、触れた身体から伝わってくる。

ざまあみろ。と、自分の中から声がした、気がした。



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07/07/06
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どこに置くか悩んだ結果、裏におくことにしました。
かなりぬるいとは思うんですが、露骨な単語も出てるので。
で、いきなりな、レイプもの(汗)。
未遂なのですが、第三者にという設定なので、嫌いな方、ごめんなさい。
大体が、こんな話にするつもりではなかったのに。
しかも、短編の予定だったのに。
また、続き物ですよ(泣)。
楽しんでくだされば、よいのですが…

07/07/06UP   
15/03/03再UP
-竹流-


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