たとえば、こんな、物語(学園モノ)Ⅳ




あと…少しで、授業が終わるな…

腕時計をちらと見ながら、高遠は落ち着かない気持ちで授業を進めていた。けれどその割りには、自分でも驚くほど冷静に振舞えているだろう。今日、予定していた分の授業はきっちりと押さえられているはずだ。
高遠は、そう自分に言い聞かせ続けていた。
なのに、はじめの姿が視界に入ると、やはり意識せずにはいられない。どうしようもない想いは、確かに、高遠の中に存在していた。

はじめに対する気持ちを自覚してから、どれだけの逡巡をしたか知れない。これは、気の迷いなんじゃないのかと思いながら、眠れない夜を何日も過ごしたりした。
彼は生徒で、自分は教師という立場にある。そんなことも、迷いの原因のひとつになっているのは、間違いないのだが、何よりも、こんな気持ちは普通じゃない、という自覚が、悩みをさらに深刻なものにしているのだろう。
けれど、否定することは、もう、できない。そんなことは、自覚してしまう前に、イヤというほどしてきている。そうして高遠は、何度も自分に問いかけ続けていた。

自分は、一体どうしたいのか?
何度も夢で見るようなことを、彼に望んでいるのか?
でも、それでは、単なる欲望の対象であるというだけではないのか?
自分の気持ちなのに、よくわからない…

こんな複雑な気持ちは、高遠にとって初めての経験だった。
人を好きになるのも、ましてや、それを欲望の対象として見るのも、初めてのことでは無いはずなのに。



数日前、はじめが高遠を訪ねて準備室までやって来たときなどは、正直言って、困ったのだ。
話を、聞くべきかどうかと。
先日の件が片付いたのだと、そのときはじめは言い、すぐに彼が告白を受けていた話のことだと察しが付いた。その話がその後どうなったのかと、気を揉んでいたのは確か。
気が付くと、結局、聞くことになってしまっていた。
他の人に聞かれるのも憚られる話だったので、空いていた教室を使って話を聞こうと思ったのだが、はっきり言って、これは大いなる失敗だった。
その話の間中、ずっと拷問を受けているような気分だったからだ。

二人きりの教室で、小さな机ひとつを挟んだだけの距離に、彼がいて。
手を伸ばせば、すぐにでも触れられる、その距離。
閉ざされた教室に誰も来るはずは無く、クラブの部室などからも離れた位置にあるこの教室の前の廊下には、人の気配も無い。

開け放たれた窓から吹き込んでくる風に、彼の髪が揺れていた。
汗ばんだ彼の首筋には、数条の長い髪が纏わり付いている。
シャツの一番上のボタンを外したまま、制服を気崩している彼の襟元から、鎖骨がわずかに覗いているのが見えた。
彼に、そんな気は無いのだとわかっているのに、まるで、彼が誘っているかのように、思えて。
触れたくて、触れたくて、どうにかなってしまいそうで。

…へんに、思われただろうか。
後でそうは思ったものの、そのときは自分を押さえつけることに精一杯で、他のことを考える余裕など無かったのだ。



なのに今日、つい、触れてしまった。
落ちてきたのが、受け止めた身体が、彼のものだとわかったとたん、どうしようもない衝動に突き動かされて。
自分の中に隠していたものが、ずっと抑えていたものが、不意に表に現れて。
そして、触れてしまったのだ。

彼の、くちびるに…

もう引き返せない、と、その瞬間、思った。
彼が欲しい。
どんなことをしても。
心の底からの渇望に、眩暈すら覚えたほど。

自分の中に、もうひとりの自分がいるような気がしていた。
こんなことはいけないのだと戒める、教師の顔を持つ自分と、どうすれば彼を手に入れられるのかと考える、ただの男としての自分。
どちらが真実なのか。

授業をしている間中、胸の中で迷いながら、彼の視線を背中で受け止めていた。
赤い顔をして、それでもずっと彼は、見ていた。
避けてはいたけれど、高遠もそれをわかっていた。
どんな想いで、彼は自分を見つめているのか。
その真っ直ぐな眼差しは、自分を責めるためのものなのだろうかと考えて、怖くなる。

教師としての立場を、見失いかけている自分。
許されない想いだと、わかっているだけに。自覚があるだけに。逆に、よけい熱くなってしまう気持ちというものも、この世には確かに存在するのだと、思い知ってしまった自分。
眼を合わせたら、衝動を抑えられなくなりそうで。
ここが教室だということも、すべて、どうでもよくなってしまいそうで。
自分でもどうすればいいのか、わからなくて。
結局、はじめを避け続けるしか無かった。

でも、あと少しだ。
あと十分ほどで、終了のチャイムが鳴る。

高遠が授業のまとめを書くために黒板に向かっていると、突然、背後でがたん!と大きな音がした。
同時に、何かが崩れ落ちるような、重い音が響く。
驚いて振り返ると、はじめが床に倒れているのが、目に入った。
一瞬、頭の中が真っ白になるような感覚が、高遠を襲う。

いったい、なにが、起こったというのだろう?
なぜ、はじめは、床の上に倒れているのだろう?

「おい、金田一!」
周りの生徒たちが、ざわめきながらはじめの傍に駆け寄るのを見て、ようやく高遠は我に返った。と、誰かがはじめに手を伸ばそうとしているのが目に入り、咄嗟に声が出てしまっていた。
「勝手に触ってはいけません!」
高遠の厳しい声に、皆、驚いて、触れようとしていた手を引っ込めた。
それを確認しながら、傍に駆け寄る。

誰も、彼に触れて欲しくない。
本当は、ただ、それだけだったのだ。

はじめは顔が赤くて、少し汗をかいていた。額に手を当てると、確かに熱い。
熱が上がっているのは明らかなようだ。呼吸も、少しばかり早かった。
「熱があるようですね」
言いながら、はじめの身体を横抱きに抱え上げる。
どこからともなく、「きゃ~っv 」という女生徒の黄色い声が上がったが、高遠には聞こえていないらしい。すぐに、生徒たちに指示を出していた。
「保健室に連れてゆきます。終礼までまだ少し時間がありますが、残りは自習にしてください。松井くん」
「は、はい」
高遠に呼ばれた学級委員は、慌てて立ち上がった。
「ぼくの教科書類を、生物準備室のぼくの机まで、運んでおいてくれますか?」
問いかけの形を借りてはいるが、これは命令だった。
「は、はい」
いつに無く、迫力のある高遠の物言いに、松井は一も二も無く、返事をしていた。
「では、お願いします」
呆然としている男子生徒と、目を妙にキラキラさせている女生徒たちに見送られながら、高遠は教室を後にした。

はじめの身体を腕に抱えたまま、高遠は保健室を目指していた。
四階からだと、一階の保健室まで結構な距離があるが、そんなことなど言っていられない。
ずっと意識していたのに、彼の体調の悪さに気付いてやれなかった。それどころか、自分のしたことがショックで、こんな事態になったのかもしれない。
迂闊だったと、考えが無さ過ぎたと、自分を責めるしかなかった。
そして、そうやって、懸命に意識を逸らせようとしていたのだ。
腕の中の、はじめから。
階段を下りる足元に気を配りながら、なるべく意識しないようにと頭ではわかっているのに、どうしても腕の中のはじめに意識が向いてしまう。

今日、これで二度目になる。
はじめの身体を、抱くのは。
今まで、触れたくて仕方のなかった温もりが、今、この腕の中にある。
一度目は、彼だとは知らずに腕を差し出したけれど、今度は違う。
彼が、今、腕の中にいる。
見ないようにと気をつけていたのに、気が付くと高遠は、はじめの顔を見つめてしまっていた。

まるで恥らうように、頬を紅く染めている、はじめ。
自分の腕の中で、無防備に意識を失っている、はじめ。
呼吸は微かに荒く、その柔らかなくちびるは、まるで誘うように開いていて。
思わず、足が止まっていた。
もう一度、彼の、くちびるに触れたくて。
その感触を、もう一度、確かめてみたくて…

けれど、無理やりその想いを振り払うと、高遠はまた階段を降り始めた。
まったく、相手は病人だというのに、自分の節操の無さには、呆れるほかない。
ここまで常識の無い人間だとは、自分でも想っても見なかった。
それとも、そんなものでは括れないほど、この想いは成長しているのだろうか。
そもそもが、常識という規格からは、随分と外れた想いなのはわかっている。

腕の中のはじめの体温を感じながら、熱くなってしまう素直な自分の身体に、もう誤魔化しはきかないのだと、覚悟するしか道は残っていないのだと、気付いた。




05/11/27改定

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久しぶりに、『たとえば、こんな、物語(学園モノ)』更新ですv
一度書いたものだから、手を入れるのが、面倒で(って、あんた…汗)。
いや、今回の分は、どこをどう手を入れたらいいのか、わからなかったんですよね。
一応、形には成ってたので。でも、一話としてアップするには短いし…
なので、多少変えました。わからん程度ですが。
『LOVE SONG』と、被ってるシチュエーションは、もう、お約束だと思ってくださいv
ええ、学校が舞台になるとなぜか「一度は保健室に行かなあかんやろ!」という、
自分の激しい思い込みが、そうさせるのですよ(謎)。
久しぶりに妄想する、白衣の高遠くんはやっぱりいいですねv ええvv

05/11/27UP
再UP 14/08/29
-竹流-

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